第85話 魔法師は見た!〜薄曇りの中庭編〜


 辺境伯邸に収蔵されているという数々の宝飾、服飾品についてその送り主や当時の流行などの話をしこたま聞き出したカステルヘルミは、心躍る逸話を摂取してほくほくであった。

 いつか直に見せてもらえる機会があるかもしれない、更には部屋の奥で眠る貴重なドレスに袖を通す日が巡ってくるかもしれない。期待に胸膨らみ今にも弾けそうだ。

 霧の向こうには明るい未来があると信じていられるポジティブさを備える魔法師は足取りも軽く、謎のステップ混じりで階段を下りていく。


 それを先導する侍女のエーヴィは、ほんのわずかにげんなりとした表情を浮かべながらも、職務を遂行するべく粛々と魔法師を案内する。

 中庭へ令嬢を迎えに行って、部屋まで送り届ければひとまずの任務は完了だ。この後は夕餉の支度まで手が空くから、何かトマサの手伝いでもしていれば良いだろう。


 浮かべる表情を明暗に分けながら、一階へたどり着いたふたりは中庭へと下りる扉まで廊下を進む。

 その最中、曇った窓ガラスの向こう、生い茂った葉の隙間に仕える相手の姿を見つけた。


「あれは……、お嬢様と従者のかたですわね。ご一緒に何か見ているのかしら?」


 噴水の縁に腰掛ける令嬢と、少し離れた位置に立っている眼鏡の従者。ふたりの斜め後ろという位置からは、何を見ているのかまでは判然としない。

 ちょうど葉の多い木が並ぶあたりで、その隙間から覗くだけではリリアーナたちが噴水のそばにいる、ということがかろうじて視認できる程度だ。


「あら? 何だか……、こう、雰囲気が……」


 はじめは令嬢が従者の顔を仰ぐだけだった。しばらくすると男もそれを振り返り、じっと見つめ合っているように見える。

 額の中の絵画を切り取ったような固着した雰囲気。何者も入り込めない空気が遠目にも漂う。微妙に空けられたふたりの距離がかえって意味深だ。

 一体そこでどんな会話が交わされているのか、カステルヘルミの胸の内へ興味と好奇心が頭をもたげる。


「あらあらあら、何でしょうあの雰囲気、ちょっとドキドキいたしますわね。でもいくらお綺麗と言っても、お嬢様はまだ八歳ですし、……さすがにないかしら?」


「……」


「さてと、ちょっとお待たせしてしまったけれど、ああしてお話していらっしゃるなら怒ってはいませんわね。お嬢様を迎えに参りましょうか~」


 すぐそばまで来ていた中庭へ続く両開きの扉。曇っているから外は寒いだろうかと考えながら、カステルヘルミは真鍮製のノブへ手を伸ばした。

 と、そこで反対の手を引かれて動きが止まる。進もうとしても踏み出した足が接地したまま、それ以上びくともしない。


「……? 何かしら、エーヴィさん?」


「お取り込み中のご様子、お邪魔をするのは如何かと」


「従者とおしゃべりしているだけでしょう、わたくしたちが行っても何も問題はないのではなくて?」


 首だけで振り返りそう訊ねても、捕まれた腕は解放されない。

 痛いというほど強く掴まれているわけでもないのに、それを引いてもまるで鉄の彫像のようにエーヴィは微動だにしなかった。

 細身の侍女は、体重だって自分とそう大差ないように見えるのにどうしたことか。捕まえて動かないように足を踏ん張っているのだろうか。

 そこまでして引き留められる理由がわからず、こてんと首をかしげる。

 そんなカステルヘルミの様子を前に、エーヴィは無個性な面持ちを固定したまま呆れの眼差しを向けた。


「……魔法師様、空気が読めないと言われることはございませんか?」


「ッグ!」


 その言葉は過去にも度々言われてきたが、侍女からそんな指摘を受けるとは思ってもいなかったため濁音で喉を鳴らす。

 カステルヘルミは衝撃で怯みそうになったのを何とかこらえ、虚勢に胸を張った。横暴な姉たちの理不尽に耐えて育った四女は打たれ強いのだ。


「し、知りませんわ、そんなこと。空気は読むものではなく吸うものでしてよ!」


「どれだけ吸っても結構ですから、お二方の邪魔をするのはお控えください」


「邪魔、邪魔って仰いますけれど、あの従者との話ならお部屋へ移動して、お茶でも飲みながらゆっくり話せばよろしいじゃありませんの。お嬢様だってあんな場所にかけていては腰が冷えてしまいますわ」


 女の子は腰を冷やしてはいけないのに、こんな天候の下で噴水の縁に座っているだなんて。話の邪魔をしようが何だろうが、さっさとふたりを部屋へ放り込んで温かいものでも飲ませるべきだろう。

 カステルヘルミは掴まれたままの腕をめいっぱい引いて中庭への扉へ指先を伸ばすが、やはりびくともしない。

 ふんぬっ、と鼻息を荒くして踏ん張ってみても、侍女を振り払うどころか、引きずることも動かすこともできなかった。

 そうしている中に窓の向こう、噴水のほうへ視線を向けると、離れて立っていた従者の男が体ごと令嬢へ向き直っていた。

 姿勢を正し、片手に杖を携えたまま何かを話している。


 この距離では表情をうかがうことはできないが、とても朗らかな対話といった様子には見えない。

 麗しい令嬢を見下ろす色彩のない男と、艶やかな紫銀の髪を煌めかせる幼い美少女。――異様に絵になりすぎて、呼吸も忘れて見入ってしまう。

 たしかに、あんな不思議な空気を漂わせながら話し込んでいるふたりの邪魔をするのは良くないかもしれない。だが、やはり込み入った話があるならなおのこと、あんな所ではなく部屋で話すべきだろう。


「邪魔だろうと何だろうと、お部屋で話したらどうですって、声をおかけするべきではありませんの? 別にお嬢様が年上趣味だとか、実はあの従者と怪しい関係で密会をしているとかいうわけでもな、 くぇ」


 迫ってきた腕に何をされたのか、一瞬理解ができなかった。

 気管からおかしな音を鳴らせたカステルヘルミは、痛みと呼吸のしづらさに呻く。

 振り返ったままの姿勢、目の前にいる侍女が腕を掴むのとは反対の手を伸ばしている。その肩口から手首までを目で辿り、エーヴィが自分の喉笛を摘んでいるのだとようやく理解した。


「???」


「不謹慎な言葉は慎まれますよう」


 首は動かず声も出せないため、ひとまず目で恭順を示すしかない。

 ぱちぱちと長い睫毛を瞬かせ、「わかりました、わたくしが悪うございました、ごめんなさい、もう言いません、許して、放して、めっちゃんこ痛いですわ!」と念を込めた視線で訴えると、ようやく喉と腕を解放された。

 鈍く痛む箇所をさすりながらじっとりとした目を向ければ、侍女は何食わぬ顔で居住まいを正す。


「お迎えを命じられたのは私ですので、魔法師様はどうぞお部屋へ戻られますよう」


「え、いや」


「お付きの侍女としての仕事ですからお構いなく。別に、魔法師様からしつこくしつこくねちっこく解説をねだられたのでお迎えが遅れました、なんてことを申し上げたりはいたしませんのでご安心を」


「そ、そ、そうですの? ではお言葉に甘えて、一足先にお部屋へ戻らせていただきますわ、おほほほ……」


 頬に手を添えて優雅に笑いながら裾を翻すカステルヘルミ。それを正しい礼の形で見送ってから、エーヴィは小さく息をついた。

 これまでと比べれば極めて安全な職場ではあるけれど、侍女働きもなかなか楽ではない。肩は凝るし苛つくし余計な気苦労も多い。

 半眼になり、とんだ隙を見せた上司をガラス越しに睨みつけた。





         ◇◆◇





 リリアーナが今後、足の修復について気にしないでいられるかはともかくとして、杖はないものとして扱うという提案には首肯して見せた。

 それでひとまず伝えたいことは伝わったと認識したのだろう、示すように持っていた杖をカミロは後ろ手に持ち替える。

 黒く艶のある杖はよく磨かれた木製のものだと思っていたが、こうして間近で見るとかえって材質がよくわからない。表面に何か艶の出る塗料でも塗っているのかもしれない。


「……リリアーナ様は、そのお心が優しいため、何か事あらば痛みを受けた相手のことばかりお考えになられるでしょう。常に自分のことよりも、他人のことばかり気にかけておいでだ」


「いや、別に、そんなことはないと思うんだが……」


 ポケットの中で再びアルトが身じろぎしたのを、上から手で押さえる。

 普段から周囲を気にしているのは、大切な者たちに何かあれば自分が嫌な思いをするからだ。全ては自分のためであって、決して優しいからとか他人ばかり気にしているとか、そういうわけではない。

 何せ元々『魔王』なのだ、カミロが言うほどの善性を備えているわけがない。

 自己満足、さらに言えば保身のため。自分の精神を乱されたくないからこそ、目の届く範囲にいるものくらいは守りたいと思っている。

 もしかしたら、未だにキヴィランタにいた頃の『自分の領域』という意識が抜けきっていないのかもしれない。

 自分に仕える者たちは自分のもの、目の届く範囲すべてが自分の所有物。勝手に害そうとすれば許さない、それは即ち自分の敵であり、排除するべき障害。……それだけの話だ。


「カミロだって、いつもわたしのことを過分に気遣うではないか」


「職務ですからね」


「む」


 そんな即答が小憎たらしくて睨んでしまう。

 今の姿では迫力など全くないのだろう、カミロは眉根の力を緩めてどこか諦念の混じる息を吐いた。


「身近に仕える者やご家族だけでなく、遠く離れた領の人間や自警団員、街の住人のことまで気にされている。彼らに何かあったと知るだけで、リリアーナ様はひどく心を痛めてしまわれる」


「それは……」


 つまり、情報を伏せがちなのは、何でも気にしすぎる娘の精神を守るためだと言いたいのだろうか。

 細かいことが一々気にかかる自分の性質が悪いと言われれば、たしかにその通りなので何とも言い返せない。

 現に、侍女たちやアルトが失われる夢を見ただけであれだけ取り乱したのだ。今の自分は脆弱なヒトの安全を気にするだけでなく、失った時に得るダメージも以前とは比べものにならない。

 同じ目に遭うことがなければとサーレンバーの令嬢を心配もするし、領道で失われた侍女と自警団員たちのことを思い返すだけで今も胸が痛む。

 明らかに弱くなっているのだ、ヒトの身となった肉体だけでなく精神までも。


「……常々、皆に守られていることはわかっている。心穏やかに過ごせるようにしてくれているのだと、感謝もしているさ。だがな、あまりそう手厚くされ過ぎるのもな……。お前たちから見たら、まだまだ子どもだろうから仕方ないとはいえ」


「ええ、子どもですよ。見た目だけではなく、リリアーナ様はまだ子どもなのです」


 今度は顔だけではなく、体ごと噴水のほうへ向き直ってカミロは続けた。


「他者に目をかけるゆとりや気配りは、いずれ大人になったとき自ずと必要になってくるものです。けれど、今はもっと自由にのびのびと過ごされても良いはず、そうも思うのです」


「……」


「十歳にも満たない今だけは、期限つきでそれが許されている時期なのです。子どもでいられる時間はとても短いのですから、そんなに急いで大人になる必要はありませんよ」


「……ふふ。カミロも父上と全く同じことを言うんだな。これでもずいぶんと好き勝手にやらせてもらっているつもりだが」


 苦笑を漏らしながらそう答えると、カミロはぴんと伸ばした指先で示すようにしながら「ほら」なんて言う。


「好き勝手と仰りながら、やらせてもらっていると。自分の境遇や享受している富、それらを当然として受け止めず、責務を伴うものだと普段から理解しておいでだ。……もう今さら私などが申し上げても詮無いことなのでしょうけれど」


「そ、れは……、うん、そうだな。そういうものだと理解してしまっている以上、仕方ないな。良い暮らしをさせてもらっている分、果たすべき責務があることをわたしは知っている。それを苦とは思わないし、この気持ちを取り上げようと言うならお前の傲慢だぞ、カミロ」


「ええ、左様ですね。申し訳ありません、それこそ余計な気配りというもの。そこまでの失礼は申し上げませんとも」


 この硬質な男に眉を下げた顔はあまり似合わない。気にするなと言う代わりに、なるべく傲岸に見えるよう笑って見せた。

 自分が子どもらしくないことも、大人としての自由を欲するあまり周囲へ多少の迷惑をかけていることも自覚はしていた。だが、傍目にそんな姿は子どもの背伸びのように見えていたのかもしれない。

 中身がなのだから仕方ないし、もう今から幼く振る舞うわけにもいかないのだから、せいぜい子どもらしい我侭や望みを我慢せず口にしていくとしよう。


 ――ただ、ファラムンドもカミロも、この話になると瞳に寂しさのようなものを湛えるのが気掛かりだ。こちらにばかり、子どもでいろと言う大人たち。

 幼い姿が想像できないカミロのほうこそ、子どもの頃は一体どんな風に過ごしていたのか。

 疑問には思っても、今その問いを口にすることはできなかった。


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