第78話 魔法師カステルヘルミ
子どもの頃から、野心は人一倍あった。
とはいえ他人の二倍と言えるほどのものではなく、ずっと口にもせず温め続けていたので数字にすれば一と半分くらいである。
長らく保温されていた野心の正体とは、俗に言う……玉の輿。
小さな街を治める町長の四女という生まれは決して貧しいものではないが、それでも幼い頃から夢を見続けてきた。いつか立派なお金持ちの奥さんになって、こんな辺鄙な町からは抜け出し、大きなお屋敷で左団扇の優雅な生活を送るのだと。
そんな夢抱く女、カステルヘルミにとって、魔法師会の先輩から斡旋された新しい仕事は輝かんばかりに魅力的なものだった。
聞けば地方領主が娘に魔法を教えるため、住み込みで働ける身元の確かな女性魔法師を探しているのだとか。
上手く話がまとまれば貴公位の序列上位と繋がりが持てるという、会としても大変おいしい話である。そこで確実な身元を保証できる上に、淑女としての礼儀作法を身につけており、長期間の滞在も問題のないカステルヘルミに白羽の矢が立ったらしい。
魔法師会『郭公の巣』には、他にも作法に秀でた女性は所属しているが、いずれもすでに役職についており、今すぐ長期の仕事につける無職の暇人はカステルヘルミだけだった。
会長から話をうけた先輩魔法師としても、もっと能力の優れた女性を選びたかったが他にいないのであれば仕方ない。話を聞かせた本人も乗り気であることだし、くれぐれも失礼のないようにと重々言い聞かせて送り出した次第である。
給金は目が飛び出るほどというわけでもないが、住み込みの間の家賃と食費は完全にあちら持ち。目下、無職期間更新中であったカステルヘルミにとってあまりにおいしすぎる話だ。
道中も浮足立って化粧品を買い込み、有り金はすでにスッカラカンだが到着さえすればどうとでもなるだろう。
辺境の田舎領主とはいえ、その屋敷へ招かれるならばそれなりの扱いは約束されているはず。上手く溶け込んで夜会にでも出られる機会があれば、それこそ夢を叶えてくれるような出会いも期待できる。
長旅の末に中心街へ宿を(経費で)取り、屋敷の者と待遇面でのすり合わせを行っている間に、部屋は使用人棟ではなく客室を用意するよう要求も出した。
何事も最初が肝心だ、ここでなめられてはいけない。自分はわざわざ中央から招かれた『優秀な女魔法師』なのだから。
部屋の準備が整ったとのことで、いよいよ領主邸へ入る日がやってきた。
馬車に乗せられて丘をいくつか越えた先、迎えの従者の手を取って玄関先へ降り立ったカステルヘルミは、その屋敷の大きさを前にぽかんと口を開けて放心しかけた。
こんなに立派な屋敷など今まで見たことがない、これより大きいとなると王都の奥にそびえる王城くらいなものだ。
領の中心街は栄えているし、通ってきた道もしっかり整備されていた。田舎領主と侮っていたけれど、もしかしたら自分が思うよりずっと裕福なのかもしれない。
そうして面会に通された領主の執務室で、カステルヘルミはさらに内心の手の平をくるくると翻す。
「長旅で苦労をかけたな。私はこのイバニェスの領主を務めているファラムンドだ。滞在中に不足があれば、何でも言ってくれて構わない」
「は、は、はい。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします……っ!」
「この後は部屋に案内させるから、荷解きなどして落ち着いたら娘と会ってもらおう。あの子には母親がいない分、何かと寂しい思いをさせてしまっている。教師として招いたが、仲良くしてもらえると私としても安心できる」
「お任せください! わたくし子どもは大好きですの、きっとお嬢様とも仲良くできますわっ!」
対面した領主は、背が高く鼻筋の通った精悍な面持ちをしており、その低い声音もがっしりとした体格の良さも、何もかもがカステルヘルミの好みド真ん中であった。
領主という地位にしては年若く、聞けば独り身だと言うではないか。これはもしかしたら、もしかしてしまうかも。
家庭教師の期間はいつまでとは定められていない。滞在中にしっかりとした働きとたおやかな淑女らしさを見せつけて、いずれ領主の後添えに収まれば幼い頃から抱いていた夢がついに叶う。鼻持ちならない姉たちや兄嫁を見返してやることもできるだろう。
客間を要求したのは大正解だった。ひょっとすると、この屋敷へ永住する可能性だってあるかもしれないのだから。
その後、滞在用に案内された部屋は内装のセンスが素晴らしく、広さも調度品も文句のつけようがなかった。客室と言って要求したつもりの部屋とはグレードがかけ離れているが、全身の汗腺と表情筋を叱咤して何とか平静を保つ。
そこでお茶を飲んだりして落ち着いた後、杖をついた顔の怖い従者に促されて令嬢の部屋へと向かう。
これから教師として魔法を教えることになるのは、わずか八歳の女の子。物を知らない箱入り娘なんて、ちょっと優しくしてやれば手懐けるのは容易いだろう。
そんなことを思いながら紹介された令嬢を前に、カステルヘルミはまたも口を丸く開けて絶句することになる。
親子でありながら先に会った領主とは似ても似付かないその姿、だが決して容姿で劣るということはない。
年齢の割にすらりと伸びた四肢。暮れの色を内包する銀糸の髪は、窓から差す陽光を透かしてきらきらと煌めく。その髪に包まれた顔は白く小さく、ふっくらとした頬がわずかに色づいている。幼い造りの中で血色のよい唇だけがやけに艶めかしい。
何よりも視線を引きつけるのは、その目だった。あまり見たことのない赤い瞳は内側から光を放つようで、鮮やかな虹彩が虹色に輝いている気すらしてくる。水面に反射した日の光が壁に映し出す、あの七色だ。
長い睫毛に縁取られた大きな目がカステルヘルミを見上げ、その中へ姿を映し出す。それだけで総毛立つような思いがした。
普段はあまりものを深く考えないカステルヘルミですら、「こいつはやべぇ」と本能が警鐘を鳴らす。
「はじめまして、リリアーナ=イバニェスです。これからよろしくお願いします、カステルヘルミ先生」
「はぇ、……あ、ええ、こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ、お嬢様」
白い布地の中にグレーを上手く使ったワンピースは品が良く、その裾を摘んで綺麗な形で礼をして見せる。一通りの礼儀作法を習ったカステルヘルミから見ても、その所作には文句のつけようがない。
母親がいないということで、我が侭に育ったなら面倒そうだとも思ったが、決してそんな素振りはなく礼儀正しい娘のようだ。作り物めいた容姿に圧倒されはしたが、そのことにほっと胸をなで下ろす。
これならば義理の娘になっても手を焼くことはないだろう。よく懐いて、自分のことを「おかあさま」なんて呼んでくれる未来を夢想してしまう。
眼鏡の従者が紹介の仲立ちを終えて去った後、令嬢の先導により授業に使っているという隣室へ案内された。
向き合う形で置かれた書き物机と、壁際の書架。チェストの上には青いグラスのような植木鉢が置かれている。あまり飾り気のないシンプルな部屋だ。
「普段はここで授業を受けています。先生も座学であればこちらに、もし実技の必要があれば裏庭を使うことになると思います」
「ええ、わかりました。わたくし中央から教本を持って参りましたので、しばらくはそちらを使って授業をいたしましょう。実技はまず基本が身についてから、ということになりますわ」
そう答えると、令嬢は「なるほど」と小さな頭をこくりとうなずける。
よくできた精巧な人形のようでもあったが、こうして動いてしゃべっている所を見れば普通の子どもと変わりない。幼いそんな動作がとても愛らしく、つい口元が綻ぶ。
「ふふ、そんなに堅くなる必要はなくてよ。わたくしのことは、お母さんとでも思って家族のように気安く接してくれて構いませんわ」
「お母さん?」
「ええ……。もしかしたら、いずれ本当にそうなるかもしれませんし。うふふふ」
つい気が逸ってそんなことを口にしてしまう。頬に手をあてて微笑んでいると、令嬢は不思議そうに顔をかたむけた。
「カステルヘルミ先生は、父上の後妻になりたいのですか?」
「そ、そうなったらいいなと、思っておりますわ」
「ふぅん……」
つい口が滑ってしまった。
さすがにまずかっただろうかと口元を押さえて様子をうかがうが、令嬢は特に気を悪くした様子もなく、机から引いた椅子へと優雅に腰掛ける。
「そうか。それを決めるのは父上次第だから、わたしは気にしない。だがもし本当にそうなる日が来たら歓迎するぞ、生まれるのが妹でも弟でもきっと可愛がるし」
「え? あ、ありがとうございます?」
物分かりが良いのは結構だが、一足跳びに生まれる子どもの話になってこちらが赤面してしまう。
だが領主の娘を味方につけられたのは今後のためにも大きいだろう。溺愛している娘が懐いているとあれば、きっとファラムンドの心証も良くなるに違いない。夢想した未来が一歩、こちらへ近づいてきた。
今日は顔合わせのみかと思っていたが、挨拶の後は令嬢の強い要望により、簡単な授業も行うことになった。
手ぶらでは先生っぽくないだろうからと、念のため教本を持ってきた自分の機転を褒め称えたい。
経費で買ってきた子ども向けの教科書をリリアーナへ手渡すと、物珍しげに中をぱらぱらめくっている。こんなにしっかりとした教本を手にするのは初めてなのかもしれない。
その素直な可愛らしさに目を細めがなら、カステルヘルミは対面の机に着席した。
「お嬢様は魔法がどんなものか、知っているかしら?」
「……どんなもの、とは。起きる現象を指しているのではなく、定義としての話か?」
何やら難しい返しをしながら目を瞬かせる幼女に、若干の気後れを覚えながらもカステルヘルミは優しげに見える微笑をキープした。ただし、何と返答すれば良いのかわからない。
「中央ではどう教えているのか気になるな、ぜひわたしにも教えてもらいたい」
「え、ええ……」
何だか話の主導がリリアーナ側に傾いているようでもあるが、気を取り直してあらかじめ用意してきた言葉を並べる。
「人が魔法という不思議な力を使うことができるのは、精霊様のお陰なのです。精霊様は目に見えませんが、わたくしたちをいつもお守りくださっていますの。毎日心を込めてきちんとお祈りをして、その綺麗な心を認めてもられえばいずれ加護を得ることが……、って、どうかされまして?」
「いや……急な頭痛が……。構わないから続けてほしい」
「そ、そうですか? ええと、それで、ありがたい加護を得られたごく一部の人だけが、魔法という形で精霊様からお借りした力を扱うことができるのです。だからまずはお祈りの仕方から練習を……、あの、本当に大丈夫かしら?」
顔をうつむけて指先でこめかみを押さえる令嬢は、たしかにひどい頭痛をこらえているようである。
先日まで体調を崩して寝込んでいたという話は、街への滞在中にカステルヘルミも聞いていた。まだ完全に回復はしていないのだろうか。
小さな体に無理をさせてもいけないし、今日はやはりこの辺で切り上げて休ませたほうが良いだろう。
いつか義理の娘になるかもしれない、という一方的な想いに加え、この短い時間でそれなりの愛着も持った令嬢へ、カステルヘルミは言葉をかけるべくその細い肩に手を伸ばした。
「……では、魔法師である先生は精霊に選ばれた人間で、そのお陰で魔法を使えるんだな?」
「え? そうね、その通りよ?」
「では今ここで使って見せてほしい、小さなもので構わないから」
頭痛をこらえていたはずの令嬢はすでに具合が悪い様子もなく、開いた目を真っ直ぐにカステルヘルミへ向けている。
その瞳に気圧され、飲まれて、断るという選択肢はなかった。
ひとまず何か目の前で見せてやれば少女も気が済むのだろう、手持ちの中から簡単で見栄えもするような魔法を選ぶ。
火は危ないし水はこぼれて濡らしてしまう、やはりここは定番の明かりの魔法にしよう。……と、その詠唱を口ずさむ。
「――聖なるもの、あまねく在りし精霊たちよ、我が呼び声に耳を傾け、」
「いや待て、何だそれは。詩か何かか?」
「何って、魔法の詠唱ですわ。少しだけ待ってくださいましね、すぐに素敵な魔法を見せて差し上げますから。……聖なるもの、あまねく在りし精霊たちよ、我が呼び声に耳を傾け、ここに光明の奇蹟をもたらさん。――光よ!」
精神の集中を注ぎ、傾け、決められた詠唱を終えると、かざした手の間に小さな光が灯った。
昼間でもしっかりと光っているのが見て取れるほどの光量だ、これなら令嬢も満足してくれるだろう。
そう思い、得意げな笑みを浮かべたカステルヘルミが顔を上げると、対面には表情を無にしたリリアーナがこちらを視ていた。先ほどまでの愛らしさがすっぽりと抜け落ちたその様子に怯み、せっかく灯した光も霧散してしまう。
「え、あの……、お嬢様、どうかされまして?」
「……両手の間に構成を描いているのはわかるが、あの無駄な文言は何だ。人々にこんなことを流布しているのはお前の差し金か、パストディーアー?」
『まっさかぁ~! 濡れ衣も良いとこだわリリィちゃん、ワタシがこんな適当なコトっていうか、そもそも魔法の扱いなんて教えるわけないじゃなーい!』
――突然。
それは本当に突然の出来事だった。
目の前に座っているリリアーナの横に、音も前触れもなく突如、全身が金色に光る美女が出現した。
波打つ黄金の髪に翡翠をはめ込んだような両の瞳。人間とは思えないほどの美貌を前に硬直しながらも、纏った布地の隙間から立派な胸筋が見えたことで、「美女ではなく美丈夫かぁ」と心のどこかが妙な納得をする。
そして、不幸にも聞き逃すことができなかった、リリアーナの口にした
目の当たりにしている現実を処理しきれない、受け入れも理解も拒否した脳はとっくに仕事を放棄していた。
そんなカステルヘルミの様子に構うことなく、空中に横たわる金色の大精霊は頬に手を添えながら物憂げなため息をつく。
『魔法の使い方にも、その時代のトレンドみたいのがあるようだけど。今は特に面倒な感じのが流行ってるわねぇ。……どこが流行らせたのかは、ワタシが言うまでもないでしょう?』
「一応確認をしてみたかっただけだ。まったく、本当にろくなことをしないな、あそこは」
『こーいう儀式っぽいっていうか、何か特別っぽいコトが好きなヒトはいつの時代もいるものよぉ。もっと大がかりな魔法なんて、すっごい長いの唱えながらワキワキもさもさ動くんだから~』
「絶対に見たくない……」
『今のヒトの魔法師はどれもそんなモンよ。リリィちゃんがこないだやらされてた、枝を振りながら聖句を唱えるのだってそれと似たようなものだし、……ん? ちょっとそこのお姉さん、大丈夫?』
パストディーアーからかけられた声に答えることなく、口を大きく開けて白目を剥いたカステルヘルミは、そのまま座っていた椅子ごと背後へひっくり返った。
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