第79話 問題と解法
就寝の手前の自由時間。柔らかな夜着に着替えさせてもらい、侍女たちを下がらせて読みさしの本を片手にベッドへ腰掛ける。
ひとりになったリリアーナは、そこで昼間からため込んでいた苛立ちを深い嘆息にして吐き出した。
肺がしぼむのと同時に肩から力が抜けて、脱力感にそのままベッドへ仰向けに倒れ込む。
持ってきた本は痛めないように、腕を伸ばしてへッドボードの上に乗せておく。こんな気持ちのまま開くのは本に対しても失礼だ、せっかく持ってきたが今晩は読むのをやめておこう。
天蓋の内側、華やかなレース飾りを見上げながらもうひとつ空虚な息を吐き、瞼を閉じた。
――やっと魔法の授業が始まると聞いて、期待をしていたのだ。
これまでは本で読んだり話を聞くばかりで、ヒトの魔法師と直に接する機会がなかった。こちら側では精霊眼を持つ者が減っていると耳にしたこともある、今は街などでも見かけないほど稀少な存在になっているらしい。
そんな魔法師の教師が、ようやく屋敷へやってくることになった。
訊いてみたいことは山ほどあったし、魔法に関して議論を交わせる相手も欲しかった、自分の未だ知らぬ構成を見せてもらえるのだろうかと胸を踊らせもした。
ヒトの扱う魔法――以前対峙した勇者は例外だとしても、その技量や独自の発達を遂げたであろう技術面には大いに興味があった。
……それなのに。
「期待、していたのに……。こんなに失望を抱いたのは、リリアーナとして生まれてから初めてかもしれない……」
<所詮はヒトの魔法師、程度も知れるというもの。魔法や構成に関して、今さらリリアーナ様が学ばれるようなものなどこちら側にはありませんよ>
「だが、先日目にした栞の例もある。わたしの知らない構成を扱う者がいることは確かだ」
リリアーナは、決してヒトの魔法師という存在を侮ってはいない。
栞に刻まれていた精神操作の構成だけではなく、領道のそばの山を大きく切り崩すような技量の持ち主も現に存在するのだから。
中央の魔法師会という団体のひとつに打診し、そこから派遣してもらったというカステルヘルミ。
手の空いている女性魔法師がなかなか見つからず、時間がかかってしまったのだと聞いた。そこまでして招いた魔法師なのだから、程度が低い者を紹介されるとは考えにくい。
だが実際に屋敷へ来たのはあのポンコツだ。妙な詠唱を抜きにしても、あんな構成の描き方で魔法師を名乗るとは気がしれない。
……となると、魔法師会とカステルヘルミに謀られたという可能性もある。優れた使い手だと偽って、給金と信用を騙し取るようなことが行われているのだとしたら許し難い。
本人から悪意のようなものは感じ取れなかったが、もしそれが真実だとしたら、まんまと二心を抱く外部の人間がこのイバニェス邸へ入り込んだことになる。
未だ領道での暗殺未遂事件も解決していないというのに、自分の教師という枠を利用して迂闊にも不審な者を呼び寄せたことに――
「……いや。あのカミロと父上が直に会って認めたのだ。彼らの目を信じる以上は、はかりごとの線を疑うのはやめておこう。だとすると、問題点は本人の資質と、中央で蔓延しているらしい妙な教えか」
<また聖堂の連中が関与しているようですが……。妙に手広いというか、宗教施設として以上の影響力を持っている様子ですね>
「うん、それはわたしも気になっていた。キヴィランタにいた頃は聖堂の情報なんて入ってこなかったし、武装商人らもそんな話をしなかった。おそらく、ここ数十年で急激に勢力を拡大したのではないだろうか」
たまに魔王城を訪れた武装商団の魔法師も、かつてそこで戦った勇者も、あんなおかしな魔法の使い方はしていなかった。ということは、その頃にはまだ定着していなかったと思われる。
精霊教も聖堂もそれ自体はずいぶん古くから存在しているはずだが、ここ最近で教義や内部の方向性に変化が生まれたのかもしれない。
『魔王』デスタリオラが滅んだ後の、この三十八年余りの短い期間に、聖王国で一体何があったのだろう。
中央に関する疑問点に関しては、あのカステルヘルミが貴重な情報源となるはずだ。魔法の腕はともかく、そのうち授業以外に話をする機会は設けよう。
話の途中で気絶させてしまったのは悪いことをしたが、魔法師であれば精霊くらい視たことがあると思っていた。これから魔法の授業をするなら、パストディーアーがちょっかいをかけてくることもあるだろうし、ならば先に見せておいても問題ないだろうと思ったのだ。
それが、まさかあんなに驚くとは予想していなかった。束ねた髪や飾り布にボリュームがあったお陰で、強打したはずの後頭部はさしたるダメージもなく何よりだ。
旅の疲れが出たのだろうということで、倒れた魔法師は与えた客室まで運ばせておいた。明日の午後には、さっそく彼女の授業の予定が入っている。
「聖堂や魔法師会とやらの差し金ではなく、さらにはこの家を狙う謀略に何ら関与していなかったとしても。……資質に難のある教師という時点で大問題だ」
<あの程度の魔法師では、魔法に関して何も教えを受けることがありませんからね>
「それに加え、期待と信頼の問題もある。父上とカミロはわたしのために、わざわざ中央に掛け合って身元の確かな教師を用意してくれたのだ。それがダメ教師では、彼らの差配の何もかもが台無しになってしまう」
リリアーナが失望し、がっかりし、楽しみを失うくらいであればまだ良い。だが家庭教師の件はファラムンドとカミロ、その他の従者たちも関与し、給金や斡旋のための経費なども発生している。リリアーナひとりが落胆して済む問題ではない。
何より、学習欲旺盛なリリアーナのためにせっかく『優秀な女魔法師の教師』を用意してくれた、優しい父親たちの心遣いを無碍にはしたくなかった。
問題が起きたなら解決すれば良い。
元々不都合をそのまま見過ごすようなたちではない。与えられるばかりではなく、自分で行動して何とかするべきだ。
リリアーナは頭の中で問題点とその解法をショートカットで結びつけた。
「……ダメ教師ではいけないなら、ダメ教師でなくすれば良い」
<え?>
「うん、そうだな、逆に考えよう。わたしの教師にふさわしい魔法師として教育し直せば良いと」
<教師に教えを受けるのではなく、教師を教えるのです?>
「そうだ。わたしが優秀な魔法師にしてやれば、わたしの教師としても問題ないだろう。それで全て解決だ、さっそく明日からあの魔法師を鍛え直してやるぞ!」
<…………。>
それは本末転倒というのではないかとか、自分が教えた相手から一体何を教わるんだろうとか、給金を支払う必要はないのではとか、アルトの胸中には様々なものが去来したが、リリアーナが元気になったならそれで良い。
日中の、あの女魔法師とのやりとりからしょんぼりとしていたリリアーナが、その深紅の瞳に輝きを取り戻した。アルトにとってそれ以上のことはない。
無粋な突っ込みはそっとデリートし、忠義心に溢れるぬいぐるみは角をぶんぶん振って主人の思いつきを賞賛した。
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