第77話 兄妹談義④


 十二歳となり、屋敷の外へ出る機会も増えたらしい次兄は、そのお茶会とやらへ呼ばれることも多いのだろう。机に肘をついて片頬を支えた格好で、へらりと相好を崩す。


「リリアーナのお付きはどっちも見た目に華があるから、連れ歩く分にも不足はないだろうし。リリアーナもその点では十分すぎるから、あとは作法さえ覚えればどこへ出ても大丈夫だよ、僕が保証してあげる」


「見目に、花……?」


 その言葉にふたりの侍女を思い浮かべてみても、あまり花とは結びつかない。

 だがフェリバの溢れんばかりの笑顔は、花と言われればたしかに花弁の大きな花が咲くような印象も受ける。トマサも緊張を緩めた際の表情は、蕾の綻びのような愛嬌を持っている。

 なるほど、とリリアーナが曖昧にうなずく対面では、しかめっ面が疲れたのかアダルベルトが眉間を指で揉みほぐしていた。


「背の高いほうは美人だし、胸が大きい子も可愛いもんね。前はそこまでじゃなかった気もするけど。そういえばあの丸いおばさんは辞めちゃったんでしょ、結構好きだったから残念だなぁ。最近新しくお付きになったって侍女はどうなの、仲良くしてる?」


「……レオ兄は相変わらずよくしゃべるな。ええと、新しい侍女はエーヴィのことか。まだあまり話したことはないから、どうと訊かれても良くわからない」


「地味〜な感じだけど仕事はできるらしいよね。まぁ、誰をどう配置して何を任せるかは、リリアーナが使用人の差配を覚える足しにもなるんじゃない?」


「そういうものか」


 幼い頃から何かと身の回りの世話を焼いてくれた侍女たちだが、これからは自分で指示を出して動かすことも覚えなければならないらしい。

 こうして貴公位の家に生まれた子女は、他人を使うということを身につけていくのだろう。

 血族による代替わりを繰り返すのは、こういった仕組みの受け継ぎをもスムーズにしていると、その内側に組み込まれてみて実感する。地位と賃金で仕える者を集め、時間をかけてその使い方と忠誠心を浸透させていく。際立った能力や役割がなくとも、血でヒトを束ねる。

 ……否、それに相応しい能力を育てていかねば、いずれ仕組み自体が破綻する。

 長子だからとアダルベルトに領主を継がせるのではなく、次男と能力を競わせて優れたほうを後継とする慣例もその一例だろう。


「……何、どうしたの、アダル兄もリリアーナも難しい顔して。別になんにも深刻な話とかしてないよね僕?」


「いや、色々と参考になった。たまにはこうして兄と語らうのも、得るものが多くて良い……、ああ、そうだ」


 毎日食事の席で顔を合わせてはいても、父の前でその話を持ち出すのはやめておこうと思って伝えそびれていた件がある。礼だけは告げてあるのだが、まだはっきりとしたことが判明していない以上、あまり心配性なファラムンドを刺激したくはない。

 侍女たちもいない場所で次兄と話せるのは、いつぞやの中庭以来だ。アダルベルトになら聞かれても問題はないだろうから、今その話をしてしまおう。


「この前、わたしが体調を崩している時に本をくれただろう。あれを読み終わったから、レオ兄にも感想を伝えようと思っていたんだ」


「『露台に咲く白百合の君』ね。あの本、対象年齢はもうちょっと上だろうけど、リリアーナなら問題なく読めるかなと思って。中央でもずいぶん流行ったらしいよ」


「そうらしいな。侍女のトマサも読んだことがあると言うので、感想を話し合ったりもした。お陰で、読了時は不明瞭だった部分もおおむね理解できたつもりだ」


「……そんなに難しい内容かな、いや、リリアーナだからなぁ。……ちなみに、読んでみてどうだった?」


 どう、と改めて訊かれると一言で表すのは難しいが、トマサが言っていた通り物語としては起伏が良くまとまって面白い一冊ではあった。


 内容は、靴屋のせがれと恋仲になったどこぞの令嬢が、父親や周囲の反対に遭いながらも交流を深め、やがて婚姻に至る……といったものだ。身分違いの恋というものを主題に扱った物語らしい。

 病に倒れた令嬢の父親へ、靴屋が丹念にこしらえた靴をプレゼントして和解に至る場面の流れがよくわからなかったが、トマサが言うには、身分よりも心の優しさを見てふたりの仲を認めたのだとか。

 登場人物の心の機微までは詳細に描かれておらず、そういったところを読み解けないのは、自身の経験と読解力の不足によるものだろう。


「感想としては、各々がもう少し理性的に行動していれば早期解決に至れたのではないかと思うな。話し合いの機会も設けず、相互不理解のまま娘が勝手に靴屋と添い遂げようなんてするから、関係も話もこじれるのだろう?」


「え、あぁ、うん……?」


「なぜ相手が靴屋ではいけないのか、どうしたら認められるのか、互いに妥協点と解決策を話し合い、父と娘と男がそれぞれに解り合う努力をするべきだった。父親は頭ごなしに否定するのではなく反対の理由と娘への想いをはっきり口にしていれば良かったのだし、娘と男のほうも周囲に認めて貰うための努力が何も語られていない。慣例や家長の命令を破ろうと言うなら相応の手順を踏み、己の責務にけりをつけてからきちんと理解を得られるよう、」


「いや、わかった。わかったよリリアーナ、うん、楽しんでもらえて何よりだ巷で流行りの恋愛物語を贈った兄として僕は嬉しいよハハハ……」


「そうか? うん、色々と新鮮ではあったし、身分違いの恋と不理解はこういった物語のお約束なのだとトマサも解説をしてくれた。たまには毛色の違った本を読んでみるのも面白いものだな、レオ兄には感謝している」


 リリアーナが朗らかにそう告げると、ふたりの兄は揃ってなぜか天井を見上げた。何かあるのかと同じように見上げてみても、梁の交差する天井には特におかしな点はない。

 長兄の真似をするように眉間のあたりを指先で揉んでから、レオカディオは妙に長い息を吐いた。


「リリアーナを娶ろうって男は、大変だな……」


「なぜだ? 私はあの娘のように婚姻に対し無理を言うつもりはないぞ、父上の決めた相手なら否やはない」


「えー、ほんとに? ちなみにリリアーナ個人の好みってどうなの、背が高いとか金髪がいいとか、何かないの?」


「外見などどうでもいい。選り好みする気はない」


 その答えに、レオカディオとアダルベルトはちらりと視線を交わし合う。「ちょうど同じような話を、さっきしていたばかりだ」と長兄が小声で漏らすと、次兄は苦いものでも食べたように端麗な顔を歪めた。

 額のあたりを押さえて黙り込む兄たちを前に、さすがに自分の受け答えが何かまずかったのだと察したリリアーナはフォローの言葉を探す。


「ええと、そうだな、気が合うとか、尊敬できる相手だと喜ばしいかな?」


「…………あの父上が認めて、リリアーナの尊敬を得られるような人物が、この世にいるのか?」


「…………行き遅れにならないように頑張りなよ、リリアーナ。僕たちもできる限りの応援はするからさ」


 言葉を重ねてみても、兄たちの沈痛な表情は晴れない。

 何やら自分の伴侶が見つかるか心配をしてくれているらしい。その気遣いを有り難く受け取りながらも、確かに兄たちの言う通り、元『魔王』である娘を娶る相手はさぞ大変だろうなと、他人事のように思った。


「他領のお茶会とか誕生会に招かれれば、まぁそこそこ出会いもあるだろうし。十歳記には誕生会も開くだろうから、そういうとこで気の合いそうな相手を見つけるといいよ」


「誕生会?」


「うん。僕の時はごたごたしてて流れちゃったけど、十歳記のお祝いはお客さん招待して盛大にやるんだよ。僕とアダル兄もちょいちょい余所の誕生会に出かけたりしてるし」


 五歳記では街の聖堂へ赴き、十歳記では客を招待してパーティを開き、十五歳記には中央へ出かけて祈祷や夜会をする、というのがこちらの習わしのようだ。

 三年前のレオカディオの十歳記の折は、ちょうど領道の事件があり、警備の見直しなどで大人たちが慌ただしかった。屋敷でパーティが開かれなかったのはその影響だと思われる。

 その前のアダルベルトの十歳記については、豪華な晩餐しか記憶がない。おそらく五歳に満たないリリアーナは部屋から出されることなく、階下の広間だけでパーティが執り行われたのだろう。子どもは五歳になって初めて家族として認められるという話だから、その点は仕方ない。



「……父上の許可さえ下りればの話だが。今度の冬、俺の十五歳記のときに、リリアーナも一緒に中央へ行くことができるんじゃないか?」


「えっ?」


 不意にこぼされた長兄の言葉に目を見開く。

 てっきり自分が中央へ赴けるのは、七年後の十五歳記までお預けだとばかり思っていた。もし同行が叶うのであれば、是が非でも連れて行ってもらいたい。


「警備の大半を連れての長旅になるから、手薄になる屋敷へリリアーナを残して行くより、そのほうが父上も安心できるんじゃないかと思うんだが」


「そうだね、リリアーナは目立つから中央へ連れて行ったら他の心配ができるけど、ここに籠もったままでいるより出会いのチャンスもあるだろうし。僕も賛成かなー?」


「目立つ……?」


 連れて行ってもらえるなら有り難いが、レオカディオの言う「目立つ」という言葉が気にかかる。

 自分ひとり悪目立ちして、父や兄たちの迷惑になるようなことがあってはいけない。

 対面のアダルベルトと、右側の角に座るレオカディオを見比べる。髪の色も容貌も全く似ていない兄弟だが、彼らにはひとつだけ共通している部分がある。――そしてそれは、家族の中で自分だけが持たない色彩だ。


「……この眼の色が、悪目立ちするのだろうか」


 父と兄たちは、いずれも藍色の瞳をしている。

 深い知性を感じさせるその色合いがリリアーナには好ましかった。自分が持たない色でも、彼らから向けられるその藍色はいつだって優しい。

 『魔王』であった頃より引き継いでしまった精霊眼の赤色。これを引け目に感じたことなどないし、改めて差異だと指摘されればその通りと首肯するのみ。この眼はデスタリオラの精神と同じく、自分が自分である証だ。


 もし、中央へ赴く際にどうしても不都合があるなら、光の屈折を利用するか幻惑系の構成を纏わせれば、一時的に虹彩の色を変えて見せることも不可能ではない。

 それを家族に対してどう説明するかは考えなくてはいけないが、もし瞳の色だけが問題ならば、ベールのついた帽子を着用するという手もある。

 以前街へ下りた際にも、髪を隠すために大判のスカーフを頭に巻かれた。あれと同じように、何かを身につけて隠せば事足りるのではないだろうか。


 リリアーナがそんなことを思案していると、不意に温かな手に頭を撫でられた。

 うつむけていた顔を上げれば、アダルベルトが机に身を乗り出す格好で手を差し伸ばしている。その憂慮をたたえた藍の瞳は、澄んだ湖面にリリアーナだけを映す。


「悪いところなんて何もないさ、リリアーナの紅玉の瞳はこうしているだけで吸い込まれそうなほど美しい。……確かに珍しい色だが、他者と異なることを卑下する必要なんてない。その唯一性は誇って良いものだ。もし何かけちをつける者がいたらこの俺が反論してやろう、これほど麗しいものに一体何の瑕疵があるのだと」


「アダルベルト兄上……」


「お前はその見目も心根も美しい。賢く、貞淑でやさしい子だ。どれだけ隠そうとその類稀な輝きは人目を惹きつけてやまないだろう。父上が衆目に晒したがらない気持ちも理解はできる。……だが、いつまでも閉じこめておいて良いものではない。お前は望むがままその目で外の世界を見て、知識を蓄え、見識を広げるべきだ」


 頭を撫で、髪を掬った手がそっと下ろされる。その指をつかまえて、いつも険しい兄の顔を見上げた。

 眉間にしわが寄るのは、きっと表情を抑制しようと心がけるあまり、余分な力が入りすぎているのだろう。立場上、思っていることを簡単に表へ出すことがないよう訓練しているのかもしれない。

 日頃からそんな努力が必要なほど、その内側は情緒に溢れた多感な人物なのだ。


「兄上と同じ瞳であったらと、思う気持ちがないわけでもない。……だが、こんなに優れた父や兄たちの末妹として生まれたのだ、この身のどこに卑下する部分があろうか。わたしは、わたしであることも、思慮深く勤勉な兄上のことも誇りに思っている。だからこそより一層の知見を深め、妹として恥じない大人になりたい」


 ふれているアダルベルトの手は熱くも冷たくもない。自分と同じ温度の手指を握り、体温を分け合ってその思いの丈を伝える。

 普段は口数の多くない長兄からの言葉が有り難い。一言一句、忘れずにこの胸へ留めておこうと思う。





「…………。……兄も妹も曇りのない天然素材すぎて、僕は立場がないよ。どっから突っ込めばいいのかもわからないし、この僕が言うのも何だけど、中央行ったらまず間違いなくアダル兄もモテるからね……?」


 手を取り見つめ合う麗しい兄妹を前に、レオカディオは頭の後ろで手を組んであきれ混じりのため息を落とした。

 周囲が目に入っていないどころか自分の存在をも忘れていそうなふたりの代わりに、扉をノックする音に応えて席を立つ。

 おそらくリリアーナの侍女が迎えに来たのだろう。初の兄妹会合はここまでだ。「はーい」と間延びした返事をしながら、くすんだドアノブに手をかけた。


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