第29話 青葉揺れる中庭②


 本を読めという言葉に対し、素直な首肯を返すリリアーナにひとまず安堵したのか、レオカディオは腕を組んで妙に重い息を吐き出す。そしてやや間を置いて、眉根を下げながら歪な笑いを見せた。


「……あの官吏さ。精霊様の罰が下ったんだって。知ってる?」


「罰?」


 最後の授業の際にリリアーナの部屋で起きたことは、自分と当人以外の誰も知らないはずだ。あれこそ正に大精霊の罰と言えるが、まさか口外するとも思えないし、心当たりがなく首をかしげる。


「三ヶ月くらい前に、聖堂前で突然あいつが自分の悪事を叫びだすってことがあったんだけど。自警団が取り押さえようとしたら、晴れているのに急に雷が落ちたって」


「か、雷? それは……領民たちは無事だったのか?」


「うん、そうらしいよ。官吏だけに直撃して、それでも髪がちりちりになる程度でヤケドも軽かったそうだけど。それが、精霊女王様の下した罰だとか街で話題になったんだって」


 そんな話は初耳だ。思わず顔ごと横にいるパストディーアーへ向けてしまう。否定もせず「そんなこともあったわね」と言わんばかりの余裕の表情で漂っている様子を見る限り、本当にやらかしたらしい。しかも、よりによって雷を落とすとは。


「何、リリアーナ、もしかして雷が嫌い?」


「……好きではないな、あぁ、むしろ嫌いだ」


 自然現象として起きる雷雲の稲光であれば、何も問題はないのだが。

 雷というと、かつて自身の居城で行われた勇者との戦いの際、自慢のステンドグラスを木っ端微塵にされた恨みをいやでも思い出してしまう。職工たちが苦心の末仕上げてくれた、壁のレリーフも磨り硝子の出窓も吹き抜けの精緻な手摺も、どれもこれも勇者の放った雷撃で跡形もなく吹き飛んだ。

 炎の権化然とした見目をしているくせに、扱う魔法は派手な雷撃ばかりという詐欺のような男だった。応戦した自分でも城の一部を破壊したものの、酷い損壊のほとんどはあの眩い雷によるものだ。


 ……とうに過ぎたことなのに気落ちする。本当にいやなことを思い出してしまった。


「ふぅん。リリアーナにも嫌いなものなんてあったんだね。じゃあ苦手なものってある?」


「苦手くらい誰にでもあるだろう」


「だって、リリアーナは何でもできそうだからさ。僕と似て、突出したものはない代わりに、一通りのことは何でもこなせちゃうタイプっていうか」


 すぐに否定はしづらい。デスタリオラであった頃は失礼な部下に器用貧乏と評されたこともあるくらいだから、リリアーナとして生まれた現在もそういった面があることは多少自覚している。

 自己申告ではあるがレオカディオも同種らしい、親近感が湧く。

 今現在リリアーナが苦手としているといえば、フェリバと話題にしたばかりの歌の授業だが、ここで素直に吐露するのはどうにも気が進まない。見栄を張るというほどのことではなく、何となく弱みを晒すようでためらわれる。これは気恥ずかしいという感情だろうか。

 レオカディオ自身は一通り何でもこなせると言っている以上、きっと歌も上手いに違いない。そう思うとますます言いづらい。


 そうこうしているうちに、片手にバケツと反対の手に長鋏を携えた庭師の老爺が戻ってきた。


「おかえり。捜し物でもしていたのか、遅かったな」


「いやはや、バケツを使うついでにそこの枝を切ってしまおうと思ったんですが、長鋏が見当たらなくて参りました。そうしたらなんと、バケツの中に入っておりまして。いや、年を取るとこれだからいけませんな」


「何を言う、アーロン爺はまだまだ元気ではないか。心持ちから先に老いるのは感心せんぞ」


「ふぉふぉふぉ、おっしゃる通りで」


 バケツを下ろし、快活に笑う老人を見上げてリリアーナの口元にも笑みが浮かぶ。日に焼けたしわだらけの顔は、長く土をいじり草木の世話をしてきた者の顔だが、細められたその瞳には深い知性の輝きがある。自分がふれたことのない知識と経験を積み上げてきた老人との会話は得るものも多く、接しているととても気が安らぐ。

 こういうものを年の功と言うのだろうか。今の自分はちゃんと年齢を重ねることができるから、役割を終えていつか年老いたら、こんな溌剌たる老人になりたいものだ。



 そろそろフェリバが迎えに来る頃だろう、と中座を申し出ようとした時、レオカディオが何かに気づいたように顔の向きを変えた。

 その視線を追ってみると、東側の窓の向こうに廊下を進む人影が見える。先導する侍女の後ろを歩いている長身の男は見たことのない顔だ。

 跳ねた黒髪に丸い眼鏡、仕立ての良さそうな衣服を着込んでいるからファラムンドの客人だろうか。

 遠目ではあるか、その視線がちらりとこちらに向けられたような気がした。


「あっ、あ、えー。リリアーナ、アーロン爺、僕もうそろそろ次の授業だから行くね!」


「そうですか、お忙しいようで。レオカディオ坊ちゃんも頑張ってくだされ」


「うん、レオ兄またな」


 大きく手を振りながら駆けていく次兄を見送っていると、入れ違いにフェリバが中庭へやってきた。手を掲げて見せて、今行くと合図を送る。


「アーロン爺、仕事の邪魔をしたな」


「いえいえ、お話しできて嬉しゅうございましたよ」


「こちらこそだ、おかげで良い気分転換になった」


「ふぉふぉ、こんな年寄りとのおしゃべりでも役に立つようでしたら、いつでも声をかけて下され」


 アーロンはそう言うと被っていた帽子を取り、胸に当てて綺麗な礼をする。腰も伸びており矍鑠とした老人だ。

 リリアーナは鷹揚にうなずきを返し、やや早足にフェリバの元へと向かった。





「お話をされていたんでしたら、もうちょっとくらいは遅れても平気ですよ?」


「いや、大丈夫だ。腹も空いたしな」


「ふふふ、そうですか。今日もいっぱい食べてください。伸び盛りだから、最近ちょっとワンピースの丈も物足りなくなってきましたね」


「な、に?」


 言われて衣服の裾を見下ろしてみるも、自分ではよく分からない。膝の下あたりまで隠れているスカート丈は前からこのくらいだった気もするし、少し上がった気もする。だが、フェリバが言うからには本当に背が伸びているのだろう。


「そうか、そうか。着実に成長しているようで何よりだ」


「もうちょっと大きくなられたらドレスの種類も幅が広がりますし、お化粧とかもしちゃったり、楽しみがいっぱいですね!」


「いや、面倒なのはいい。全然楽しみではない」


「まーた、リリアーナ様はそういうことを言うー」


 唇をとがらせて「ぶーぶー」とうなるフェリバはさておき、日々の食事と運動はきちんと実を結んでいるらしい。子どもの気楽さは少々手放しがたいものの、やはり早く大人になって行動や勤労の自由が欲しい。金銭もそのうちのひとつだ。必要なもの、欲しいもの、それから食べたいものを好きに購入するためには、対価として金が要る。

 そういえば、レオカディオは『お小遣い』とやらをもらっていると言っていたが、自分もそういった子ども用の金銭を用立ててもらえるのだろうか。


「なぁフェリバ、お小遣いというのは、どうしたらもらえるんだ?」


「どうしたら? えっと、普通のおうちでしたら親のお手伝いをしたり、知り合いのお店を手伝ったりすると思うんですけど……。リリアーナ様の場合は、侍従長かお父様へ言ってみれば良いんじゃないですか?」


 領民の子どもは手伝いの対価として『お小遣い』を得ているというのに、何もせずそれを享受するのはいかがなものか。もっとも、日々の食事や衣服など、十分以上に上等なものを与えられているのだから、今さら生活水準の差を考えても仕方ないのだけれど。

 だが、それが気になるからこそ、「将来の働きで返す」という担保を以て金を得たのが長兄のアダルベルトなのだろう。思考の方向性がよく理解できる。もしかしたら内面では似通っている部分があるのかもしれない。


「もし言いにくいようでしたら、私から侍従長へお伝えしておきましょうか?」


「いや、こういったことは、きちんと自分の口で伝えるべきだろう」


「リリアーナ様、律儀~」


 そもそも、『お小遣い』という正当な報酬ではない金銭を得るために手伝いを申し出るというのも、何だか違うような気がする。ここは正直に、兄への誕生日プレゼントを購入したい旨を伝えるとしよう。あの切れ者の侍従長であれば、もしかしたら何か適切なアドバイスがもらえるかもしれない、という打算もある。

 金銭の必要性を考えたことなどあまりなかったが、ヒトの領では労働の対価として金を得て、それで日々の糧を得たり、身の回りを整えたりして暮らしているのだ。裕福な家に生まれたとはいえ、それに関して無知なままではいられない。これを機に少し金銭について学んでみようか。


「……そういえば、生まれてこの方、まだ金の実物を見たことがないな」


「えっ、そうなんですか? って、そうですよね、お屋敷で暮らしていたらお金なんて必要ないですし。うーん、物価のこととかリリアーナ様ならご興味あるでしょうから、やっぱり私も直接侍従長へ訊いてみるのが良いと思います」


 何かと忙しい男に手間をかけさせてしまうけれど、やはりそれが一番確実だろう。話しかけられるほど手の空いている時間なんてあるのかは分からないが、立て込んでいる最中であればきちんと断ってくれるはず。また折を見て侍従長に会いに行ってみよう。


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