第30話 丘を望む馬上にて


 道端の木立や丘陵の多い風景が左右をゆるやかに流れていく。なだらかな丘は短い草に覆われており、向こうの方では白い家畜が何頭かそれを食んでいる。丸みを帯びた体はおそらく羊の類だろう。イバニェス領の産業についての授業はまだこれからと言われているが、この辺は畜産も行われているようだ。

 一昨日の晩に出された羊肉のローストは絶品だったな、と思い出したら少し腹が空いてきた。先ほど昼食を済ませたばかりなのだから気のせいだ、気のせい。そう念じて切ない空腹感をやり過ごす。

 内臓ごと揺らすような継続的な振動にも慣れてきたけれど、この揺れが胃を無駄に刺激しているのかもしれない。もう少し速度を出した方が爽快感もありそうなのに、安全第一として馬は二頭ともゆったりと歩みを進めている。

 晴れてはいるが雲も多く、日差しがそう強くないのは幸いだ。頭に被せられたスカーフをつまんで位置を直してから、リリアーナは視線を前方へ向けた。



 レオカディオの誕生日プレゼントを買うためのお小遣い調達については、あっさりと話が通ってしまった。むしろ予想した通り、多忙な侍従長を捕まえる方が苦労をした。

 執務室は相変わらず従者の出入りが多く、そばで見張っているだけでも邪魔になりそうだからあまり長居はできない。そもそもリリアーナの方も日々の授業や習い事など予定が組み込まれており、自由に動ける時間は限られている。

 やっと廊下を歩く侍従長を見かけて話しかけることができたのは、お小遣い獲得計画の始動から五日も経った、朝の散歩帰りのことだった。


「レオカディオ様のお誕生日プレゼントを? それは結構なことです。すぐにご用意いたしましょう」


 移動の途中で呼び止めることになったが、侍従長のカミロはそれに嫌な顔ひとつせず、むしろいつも通りの無表情でリリアーナの目線に合わせ腰を落とした。

 思っていることや感情が表に出にくい性質は個人的によく理解できるし、対外的な顔を作られるよりは余程いい。それを思えば、最初の頃は幼いリリアーナに対応するための笑顔を作っていたのだろう。


「どんなものを選べば良いか、何か心当たりはあるか?」


「いえ、そういった品はリリアーナ様ご自身の心で選ばれるのが一番でしょう」


 期待したような助言は得られないようだ。仕方ない、元々自分で考えるつもりでいたのだから、品物を見て選ぶことにしよう。


「ついでと言っては何なのだが、これを機に少し金銭について学びたいと思う。基本的な物価や、領民たちの買い物の様子などを、この目で直に見てみたい」


「……とおっしゃいますと、商人を呼ぶのではなく、リリアーナ様ご自身が街に下りて買い物をされたいと?」


「うん。難しいだろうか?」


 カミロはしばし目を伏して考える素振りを見せると、正面からリリアーナと視線を合わせた。


「護衛と、共の者をつけさせて頂きます。それから外出時間とその範囲も限定させて頂くことになりますが、それでもよろしいですか?」


「無論だ。金銭を用立ててもらって、あとは街へ下りることさえ叶えば他は全て任せる。面倒事を増やしてしまってすまないが、手配を頼む」


「面倒などとは思いませんよ、なさりたいことがありましたら何でもおっしゃって下さい。全てを叶えられるとも断言できませんが、可能な限り手は尽くしましょう」


 そこで、薄い唇の端をわかりにくく持ち上げる。おそらく自分も似たような顔をしていることだろう。

 金額や経路、日時などの細かい取り決めも全てカミロへ任せることにして、あとは侍女伝いに報せてもらえるという話を簡潔にまとめたところから、更に五日。ようやく今日この日、ほんの二時間ばかりだが街へ下りられることになった。

 着用している衣服は普段のワンピースと同じものでも、髪は後ろでひとつに編まれ、頭には大きなスカーフが被せられている。どうやらこの辺では珍しい髪色らしいから、目立たないようにという配慮なのだろう。

 馬車での移動であれば現地へ着くまで外していられるが、今回は馬車ではなく、馬に直接騎乗している。これもおそらくカミロの指示によるものだと思われる。

 実際、馬の背に乗って風を浴びながら揺られているのはとても気分が良い。腰と頭蓋への振動がきつい馬車の中とは大違いだ。


「リリアーナ様、揺れはおつらくありませんか?」


「うむ、問題ない。馬車とは違い馬の上は気持ちがよいと思っていたところだ。トマサの方こそ大丈夫か?」


「ええ。私は普段からこうして、馬をお借りして街へ下りることもございますから」


 頭のすぐ上から、普段よりも幾分和らいだ声が返ってくる。

 お付きの侍女の中で一番馬の扱いに長けている、もとい唯一馬に乗ることができるということで今回の同行者となったトマサだが、本人の言う通り危うげない手綱捌きには慣れが見て取れた。二人乗りをしていても安定感があるお陰で、安心して周囲の様子を眺めることができる。


「そんな余裕があんなら、もうちょい速度を出してもいいんじゃねぇか。こんなノロノロ常歩じゃ、着いたとたんに制限時間で引き返すことになるぜ?」


 すぐ横を歩く馬の上から、そんな声がかけられる。行き帰りの道中はタイムリミットから除外されているとはいえ、馬足が緩やかすぎることには同意だ。馬上の髭面、キンケードと名乗った自警団の大男は、こちらを指して呆れたように精悍な顔を歪めた。


「ほれ見ろ、嬢ちゃんだって退屈そうじゃねぇか」


「リリアーナ様は馬への騎乗が初めてなのですよ。万が一のことがあったらどうするおつもりですか」


「どーするもこーするもねぇよ。その万が一がないように、オレんとこじゃなくお前さんの馬に同乗してんだろ」


 男が顔の片側を歪めて指摘しているのは、屋敷を出る際の一悶着だろう。

 護衛の任ということで最初はキンケードの騎乗する馬へ促されたのだが、先日レオカディオとあんな話をしたばかりだ。護衛とはいえ、大人の男と至近距離で接するのは避けた方が良いと判断した。それに馬にとっても、自分と侍女の二人乗りの方が負担は少ないだろう。

 トマサはそれが当然とばかりに自身の馬へリリアーナを乗せ、安易に誘ったキンケードを厳しく叱りつけた。馬上で『安全かつ適切』に過ごしてもらうには、自分との同乗が適していると。

 乗り心地の面で言っても、無骨な大男に背を預けるよりは、トマサに寄りかかっていた方が柔らかくて心地よい。背が高くしなやかな雰囲気のトマサは、女児となったリリアーナから見ても「将来はこんな風になりたい」と思える動きやすそうな体型だった。

 お付きの侍女は三人とも、リリアーナの助言により食事と運動を気をつけるようになった成果が出ており、最近フェリバとカリナは以前よりも引き締まり、痩せすぎだったトマサは幾分肉付きが良くなってきている。健康に過ごせているようで何よりだ。

 そういった事情から侍女との同乗を選んだわけなのだが、職務による誘いを振られた男の方は心情として面白くないだろう。「どーせオレは粗野で乱暴でヒゲが小汚ねぇよ」と、トマサから言われた台詞にまだ拗ねている。


「リリアーナ様の前でそのような乱雑な言葉遣いは控えなさい。今は任務中でしょう」


「へいへーい」


 護衛役としてつけられた男だが、トマサとはどうも反りが合わないらしく、馬の一件以外でもずっとこの調子で言い合ってばかりいる。だが厳しい叱咤の声からはフェリバを叱る時のような雰囲気を感じるため、怒っているというよりは、相手のためを思っての指摘なのだろう。真面目なトマサらしいけれど、街へ着く前に疲れてしまわないか心配でもある。

 一方の、黒い髭面の長身は五歳記の日にも見たことがあった。馬車で聖堂へ向かう際、護衛として紹介された中にいた男だ。屋敷に務める者かと思っていたが、どうやら街の自警団に所属しているらしい。

 その辺の勤務、指揮系統にも興味がある。街に下りた後、もし話す余裕があれば色々と訊いてみよう。


 まずはレオカディオへのプレゼント選びと、それから街の中の見学だ。誕生日は目前だというのに、こうして出かけるだけで諸々十日もかかってしまった。次の機会はないと思った方が良さそうだ。


 リリアーナの肩には今、小さな肩掛け鞄が斜めに下げられている。白い革製のそれはポシェットという名の装備品らしい。

 自身が発注した娘の衣装にポケットがなく、アルトを持ち歩けなかったことを気にしたファラムンドが、黒と白の色違いで同じものをふたつ誂えてくれた。しっかりとした作りのわりに軽量で、アルトが全長の七割ほど入る大きさになっている。中へしまうと鞄から目だけ出しているように見えるのは、そう狙って設計されたものだろう。

 内側と裏面にポケットがついているため、小さな物なら一緒に入れられる優れものだ。今日はそこに、カミロから受け取った『お小遣い』の小袋も収められている。

 隣領、サーレンバー領へ出かける用事があるとかで準備に忙しそうにしている中、昨日の夕食後に直接手渡しに来てくれた。相変わらず休む暇もなさそうな父と侍従長は、リリアーナよりも先、今朝早くに遠距離用の馬車で屋敷を発ったらしい。


 初めて手にした金銭を、ポシェットの上からそっと押さえる。大事な『お小遣い』、リリアーナの手のひらにも乗るような小振りな巾着袋の中に、金色のコインが五枚入っている。物価に対しそれがどれくらいの価値を持っているのか、実地で学ぶのも今日の勉学のうちだ。

 子どもの買い物に持たされた額とはいえ、よほど高価な物を選ばない限りは不足することもないだろう。侍従長が用意したからにはその辺の案配に対する不安もない。

 余った分はリリアーナ自身のものを買うなり、先々のために手元に置くなり好きにして良いということになっている。何か気になるものが見つかったら、ついでにそれを買ってみるのも面白そうだ。


「リリアーナ様、もうじき街の門に到着いたします」


「うむ。聖堂へ向かった時は窓の外が見えなかったんだが、屋敷から少々離れているんだな。不便ではないのか?」


「物資の搬入や人の往き来に手間がかかる分、安全面ではそれが利点ともなるのです。不便があることは否めませんが」


「なるほど、距離を置くこと自体が防衛にもなっているのか」


 領主邸を狙うような不届き者がいるかどうかはともかく、これだけ離れていれば出入りに近づく人間も限られる。予定にない馬車、見慣れない者が接近するだけで不審と取られるだろう。もっとも、今日はゆったりとした足並みで移動をしているから距離があるように感じるだけで、普段の通行であればもっと早く着くのかもしれない。

 ……防衛のため街から距離を置いているという話にはそれなりの説得力がある。だが、その地を治める者が利便性を排してまでわざわざ離れた場所へ居を構えるかというと、疑問も残る。トマサ自身が本当のことを知っているかは分からないが、おそらくそこには何か別の理由もあるのだろう。



「嬢ちゃん、ちっせぇのに小難しい話をするもんだなぁ。まだ五歳記を終えたばっかだろ?」


「あぁ。聖堂への往復の際は、護衛で世話になったなキンケード」


「お、何だ、オレのこと覚えてたのか。ハハッ、こりゃ光栄だ」


「いい加減に口調を改めなさい!」


 もう何度目になるかも分からない言い合いをする大人を乗せながら、二頭の馬はイバニェス領の中央街、コンティエラの街門を通り抜けた。

 たった二時間しかない中で、はたして無事にプレゼントを見繕って街を見学することができるのか。不安とそれを上回る期待を胸に、リリアーナは人々が行き交い、活気づく街の入口を眺めた。


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