第28話 青葉揺れる中庭①


 花の頃を過ぎ、陽の季節が訪れた中庭はいっそう緑の濃さを増していた。

 咲く花は暖色系のものが多くなり、高い位置から差す陽光をいっぱいに開いた葉と花弁で受け止めている。

 ファラムンドの指示により、最近整備された噴水からは汲み上げられた地下水が噴き出し、日の角度によっては小さな虹を見ることもできる。地下水は循環せず、そのまま細い水路を通って植木や芝生の糧となっていた。そういった細工にも父の工夫と思いが見て取れ、屋敷前の広大な庭や裏庭へ出ることが許された現在でも、リリアーナが散歩に利用するのは専ら中庭の方だった。

 日当たりのよい中央から離れた南側の花壇、その脇へしゃがみ込む後ろ姿へ近づき、声をかける。


「アーロン爺、精が出るな」


「おお、リリアーナお嬢様、これはこれは。お散歩ですかな?」


「そんなところだな。ナスタチウムはどんな様子だ?」


「芽が双葉になったところです。可愛いもんでしょう、ここからどんどん葉が増えていきますよ」


 雑草取りをしていたらしい庭師に促され、煉瓦造りの花壇に寄って屈み込む。先日は土から顔を出したばかりの小さな芽だったものが、それと分かるくらい見事な双葉に育っている。厚みのある葉は小さいながらも深い緑色をしており、確かな生命力を感じた。

 花には詳しくないため、ナスタチウムという植物がどんな花を咲かせるのかはまだ知らない。色はやはり明るい暖色なのか、それとも清楚な白色か、いずれ咲いた時に判明するのが楽しみだ。花壇の縁に生えた小さな雑草をつまんで引き抜き、同じように抜いたものを乗せている庭師の左手へ託した。


「咲くまでは、あとふた月もかからないのだったな」


「ええ、陽の季の暑いうちに咲きますよ。あいにくと、レオカディオ坊ちゃんのお誕生日には間に合わないでしょうなぁ」


「あぁ、もう来月だったか」


 そこでリリアーナとアーロンのふたりが同時に振り返ると、少し離れた場所で話題の当人、レオカディオが両手にこぶしを作った格好でぴたりと動きを止めた。


「……えー……なんで振り向くの。驚かそうとしたのに、いつから気づいてた?」


「ふむ、アーロン爺は勘が良いな」


「いえいえ、リリアーナお嬢様こそ、ふぉっふぉっ」


 リリアーナはアルトからの念話で接近を知らされていたのだが、老人の方は自身の勘だけで気づいたようだ。おそらく、自分がここにおらずアーロンだけでいたら、わざと気づかない振りをしてレオカディオに驚かされていたのだろうとも思う。


「なんか、僕の誕生日のこと話してたみたいだけど。リリアーナは今年もお花をくれるの?」


「いや、続けて同じものは。……何にするかは、考え中だ」


「へへぇ、そうなの。楽しみにしてるよ!」


 レオカディオは快活に笑うと頭の後ろで両手を組む。その顔を見上げる角度が、以前よりも少しだけ上向いたような気がする。成長期というものなのだろう、目に見えるほどすくすくと育っているようで羨ましい限りだ。


 歌の授業以上に現在リリアーナの頭を悩ませているのが、兄たちへ贈る誕生日プレゼントだった。アダルベルトは氷の季の生まれだからまだ先でも、レオカディオの誕生日は来月、日数でいえばもう残り半月ほどしかない。

 自分の五歳の誕生日には、それが区切りの年だから特別だったとはいえ、長兄からは欲しかったものを、次兄からは似合うものをもらった。それぞれきちんとリリアーナのことを考えて選ばれた品だ。であれば、自分からもきちんと相手の喜ぶものを考えて贈るべきだろう。

 昨年は自由が少なかったこともあり、アーロン爺へお願いをしてふたりの兄へそれぞれ花を一輪ずつ贈った。上の兄へは勉強の邪魔にならないよう香りが軽く清廉な花、水仙を。下の兄へは、華やかで一輪挿しにしても存在感のあるシンビジウムを。相談に乗り、花を見立ててくれた庭師の老爺には頭が上がらない。


「全く話は変わるのだが。レオ兄はどんなものが好きだ?」


「……リリアーナってさぁ、可愛いよね」


「ええ、可愛らしいですねぇ」


 可愛いかどうかなど関係ないのに、ふたり揃ってそんなことを言う。きっと素直に好みを答えるつもりはないのだろう。ならば今年もこちらで何か考えて用意するしかない。

 ただでさえ悩ましい問題だというのに、レオカディオは今年で十歳になる。リリアーナと同じ、五年毎の特別な誕生日なのだ。プレゼントだってそれに見合った、きちんとしたものを用意しなくては。兄に喜ばれるもの、欲しいもの、似合うもの。……いずれも全く想像つかない。


「そういえば、レオ兄はあの小物入れの箱や髪飾りをどこで入手したんだ?」


「えー、プレゼントの入手経路なんて訊いちゃう? だめだめ、秘密でーす」


 参考になればと訊いてみても、やはり答える気はないようだ。箱も装飾品も土に生えているものではない。誰かから購入したはずだが、レオカディオが懇意にしている商人とやらは一体どこで知り合ったのか。箱の修繕を頼んだくらいだから、おそらく行商人の類ではなく街に店を構えているのだろう。そこで買ったのかもしれない。


「……ん? そもそも、レオ兄は金銭を持っているのか?」


「お小遣いくらいもらってるけど。あぁ、プレゼントを買うお金のことか。アダル兄なんかは、将来の働きで返すからって交渉してお小遣いとは別に受け取ったらしいよ、さすがだよねー」


「レオ兄は?」


「僕は正直に言ったよ。リリアーナのお誕生日プレゼント用意したいからお小遣いちょうだーいって。そしてら父上が大奮発してくれて、髪飾り買った後もまだ余ってる」


 子どものうちに金銭を手にする手段にも、それぞれ性格が出ているようだ。

 リリアーナはなるほど、とうなずいてプレゼントの入手経路を購入の方向へ切り替えることにした。その上で、兄たちに合ったものを自分で探し、見繕わなければならない。


「参考になった、感謝する」


「リリアーナお嬢様は真面目な方でいらっしゃる。何ぞ困ったことがあったら、いつでもこのじじいに相談に来なされ」


「僕もー。僕だって相談に乗ってあげるよ!」


 プレゼントを贈る相手に相談をしてどうするというのか。欲しいものがあるならそれを贈るのも手だが、素直に教えてくれる気がないのなら相談するようなことは何もない。


「ふーむ……、バケツを持ってくるのを忘れてしまったようだ。レオカディオ坊ちゃん、リリアーナお嬢様、少々失礼します」


「ああ。雑草、もうちょっと抜いていてもいいか?」


「お手が汚れてしまいますよ?」


「戻る時に洗うから問題ない」


 忘れ物を取りに納屋へ向かうアーロンを見送り、再び花壇のそばへ屈み込んだ。ナスタチウムの葉は厚みのある双葉だ、素人目にも雑草との区別がつきやすい。

 昔、魔王領で耕作の支援をしていた時に雑草を根こそぎ燃やしてやろうとしたら、そっちは苗だとひどく怒られたことを思い出す。植物の世話は熟知した者へ任せるのが一番だとその頃に学んだものだが、やはりこうしてつましく生育している様を見ると、何かしら手助けをしてやりたくなる。

 それでも何か間違いがあってはいけないので、なるべく芽から離れた端の方へ狙いを定めて小さな雑草をつまみ取る。みっつばかり引き抜き煉瓦の上に並べていると、レオカディオが数歩こちらへ近づいてきた。てっきり雑草抜きを手伝いたいのかと思い振り返ってみれば、いつも浮かべている笑みを引っ込め、珍しく殊勝な顔をしている。


「……リリアーナが、侍従長に言ってあの官吏を辞めさせたんだろ?」


「あの官吏? あぁ、聖句の授業に来ていた者のことか。辞めさせたわけではないぞ、辞めると伝えはしたが」


 一体何かと思えば、しばらく前の出来事を持ち出してくる。もう聖句の授業を終えているレオカディオは、官吏が教師をやめた経緯について知らされていないのだろう。

 以前忠告をしてくれた恩もあるので、花壇に腰掛けて事情をかいつまんで話してやると、次兄は呆れを含んだ妙なしかめ面になった。


「いや、授業中に悔い改めて去っていったとか、だいぶ無理あるからね、それ侍従長も信じたわけ、まじで、えー……」


「色々と改悛の情もあったのだろう。今ではレオ兄の助言通り、書斎での自習になって助かっている」


「それはまぁ、良かったけど……」


 事由を話してやったというのに、どうにも歯切れが悪い。普段から上手な笑顔を見慣れている分、消沈したような顔を前にしていると何だか落ち着かない気分になってくる。前に中庭で話した際は官吏を嫌っている様子だったのだから、その相手が屋敷を去ったのは喜ばしいことではないのか。


「レオ兄は、あの官吏に何か嫌なことをされたのだろう。その時には何も言わなかったのか?」


「……別に、嫌なことなんてされてないよ。気に食わなかっただけ、その程度で告げ口なんてカッコ悪いだろ?」


 ふいと顔を背けてそんなことを言う。授業中にパストディーアーが告げた、あちこちさわっていたという言葉は多少の誇張がされていたのかもしれない。


〘リリィちゃん今、ワタシが言ったこと疑ってるでしょ~? ホントなんだからねっ、あのオッサン話しかけるふりしてベタベタと肩とか腰とか足とかおさわりしてたもん!〙


 自分は間違っていないと主張してくる大精霊だが、そんな様を目の当たりにしても傍観していただけなのだから、どれだけ聖句を唱えて祈ろうが加護もへったくれもありはしない。むしろ敬虔であった官吏の方にこそ加護が向いていたのではないだろうか。


〘更なる濡れ衣の気配を察知……! ワタシ基本的にはヒトの暮らしや個人にはノータッチ主義だもーん。ずぅっと中立なのは知っているでしょう?〙


 うつ伏せの姿勢で組んだ腕に頭を乗せ、すぐそばに浮いているパストディーアーを横目で見る。そんなことは無論承知の上だ。それはそれとして兄への無礼を見過ごしたこと、後からその様子をつまびらかに聞かされることは個人的に腹立たしい。

 そんな道理の通らないことを考えていると、レオカディオが変な表情のまま顔をのぞき込んできた。


「リリアーナこそ、本当に何もなかったんだよね?」


「特に何も。危険物の類は所持していない様だったし、別に触られるくらいどうということもないが」


「いやいや、どうということあるでしょ、男の僕よりよっぽどまずいでしょ! 何言ってんの!」


 しおらしい態度から一転、急に声量を上げて肩を掴まれる。だがこちらが驚いたことが伝わったのか、怯んだ様子ですぐに肩から手を離し、一歩距離を取る。次兄は感情表現も動作も忙しい。


「……リリアーナは女の子なんだから、もっとこう、身の危険について考えないと」


「そうだな。幼い体では攻撃への防御も、病魔や呪いへの抵抗力も少ないし、身の守りについては思案のし所だと常々思っている」


「そーじゃなくて……えー……いや、でもまだ五歳だし、ソッチの教育とかこれからなのかな……でも五歳記も過ぎてるし、この見た目なんだよ……大人たち何してんの……ほんと何してんの」


 レオカディオはぶつぶつと呟きながら苦痛をこらえるようにきつく目を閉じ、額に手を当てる。こちらの回答が不適切だったらしく、何やら悩ませてしまっているようだ。


「身の守りへの意識が足りないと?」


「そう、うん、そうだね……。特に異性はもっと気をつけないとダメだよ。たとえ教師でも客でも男は警戒しないと。何て言うか、あー、僕だってまだ九歳なんだけどなー、何で妹にこんなこと説いてるのかなぁ」


「そうだな。家族以外の大人の男には気をつけるとしよう」


「大人だけじゃなくてさぁ。はぁ……もういいや。リリアーナ、十歳記を過ぎてもうちの大人たちが話さないようなら、僕が言える範囲で教えてあげるから。それまでは本を読むとかして、もうちょっと知識をつけときなよ」


 まさか次兄から知識不足を指摘されるとは思いもしなかった。ショックのような、それでもどこか嬉しいような、形の掴めない感情を抱きながら小さくうなずき返す。

 書斎の本から足りない知識を補うことは望むところだ。レオカディオから見ても足りていないというならなおさら、今後も力を入れて読書に励まなくてはならない。ひとまず読みさしの本は置いておいて、明日からは護身についての方策を調べてみよう。

 リリアーナは書斎に並んだ背表紙のうち、役立ちそうなものが収められた本棚の位置を思い描き、それを眺めるレオカディオは、どうせ見当違いのことを考えているんだろうなと諦めにも似た短い嘆息を落とした。


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