第22話 五歳記の祝い③ 聖堂
イバニェス邸からの馬車は聖堂の裏側につけられた。侍女を置き、侍従長だけが伴い馬車から降りる。人目につく表門ではなく、裏門から中に入るらしい。
何も後ろ暗いことなどないのに、なぜ裏から入るのだろうと思ったのが顔に出ていたのか、隣に立つカミロが小声で「五年後は表から入って頂けますよ」と告げた。
それはそれで、どうして五年後なら表から入れるのかという疑問が湧くのだが、雑談に興じる雰囲気ではないため黙ってうなずくに留める。
門扉まで進むと白いローブを纏った長身の女が出迎えた。左右に立つ女官よりも装いに布地と装飾が多い分、位が高いのだろう。
三人とも目から下を薄布で覆っており、露わになっている目元だけでは年齢も見当がつかない。これが聖堂の女官服なのだろうか。
「本日はようこそおいで下さりました。歓迎いたします、リリアーナ様。五歳記の祈念を心よりお慶び申し上げます」
布から覗いた目は全く笑っていないまま、長身の女は朗らかに挨拶を述べた。そして何かを検分するように、リリアーナの頭の先から足元までをじっとりと見つめる。
余計なことを言うのもまずいだろうと、挨拶には首肯ひとつで返す。面倒なやり取りは立場上仕方のないことかもしれないが、できることなら簡潔に済ませてさっさと帰りたい。
幼子のそんな様子を人見知りとでも取ったらしく、女官は満足そうに一礼すると門の先へと促した。
「祭祀長様がお待ちです、こちらへどうぞ」
案内され、足を踏み入れた聖堂の中は、概ねリリアーナが想像した通りの造りをしていた。
石造りの内装は簡素でありながら、そこかしこに細かなレリーフが透かし彫られて外光を取り入れている。照明が少なくても日中であれば薄暗さを感じないだろう。
廊下を歩いて扉をふたつばかり越えた先は、天井の高い空間が広がっていた。幾何学模様の窓枠から陽光が差し込み、床に幻想的な影絵を描いている。日の高さによって様相を大きく変えるのだろう。
そして正面の入口から入った際の突き当りに、白い女体像が立っていた。
宙をたゆたう波のような髪、布を巻き付けた豊満な肢体。肌も露わだが全て白色のためか、いやらしさは感じない。腕のある職人が精魂込めて掘り上げたのだろう、波打つ布も髪も本物を石膏で固めたかのようななめらかさ。
愁いを帯びた伏し目がちの瞳が見下ろす先で、今、リリアーナは像を見上げている。
――もしかしなくても、おそらくこれが『精霊女王』の像なのだろう。
似ていると言えばまぁ似ていなくもないが、とんだ詐欺である。
リリアーナが横目で本人を見てみると、何を張り合っているのか、胸元をせり上げるように腕を組んだ格好で彫像を眺めていた。
〘ふふん、ワタシのほうが胸囲あるわね!〙
<胸囲どころか体重以外の全てが大きく上回っているのでは>
〘いやーん、キミは羽根のように軽いってやつよね儚げ美人だなんてストレートすぎるわありがとう!〙
<……どういたしまして?>
半透明の精霊と、カミロの上着のポケットに収められたアルトが他愛のない会話をする横で、リリアーナは改めて白い彫像を見上げた。
精妙に造られた美しい像ではあるが、現物を知っていると性別の違いを置いても面差しの淡白さが物足りない。
旧き大精霊であるパストディーアーの姿を見たことのあるヒトなど稀だろうから、それも仕方のないことか。
何だか癪だから決して口にはしないが、実物は像なんかと比較にならないほど完璧な造形をしている。石を彫った程度で表すのは土台無理な話だろう。
「パストディーアー様の像がお気に召しましたか?」
「やはりこれがそうなのか」
「ええ、我らが崇め奉る精霊女王様でございます」
ぼんやりと像を見上げるリリアーナを、精霊像に魅入られているとでも思ったのだろう。女官は気を良くした様子で銀の盆を差し出した。
「こちらの清水を一口含み、枝を手に取ってお祈りを捧げて頂きます。……色々ございましたから、今回に限り、清水は器を持ち上げて頂くのみで結構です」
淀みなく説明をしながら、ちらりと後ろに控えるカミロへ視線を向ける女官。
色々とは何かと考えて、先日の官吏に関するものだろうと当たりをつける。それくらいしか聖堂と関わった記憶もない。
言われた通りに小さな器をわずかに持ち上げて、また元に戻した。水面に波紋が浮かぶ。清水と呼ばれているが、一見ただの水のように見える。
次いで、同じ盆に載せられている木の枝を手に取った。葉がいくらか残っているが、手元にアルトバンデゥスもなく植物には詳しくないため、何という木なのかも、枝を手に持つ謂れも分からない。
「では、聖句の詠唱を。共に精霊様へお祈りをいたします、よろしいかな?」
いつからそこにいたのか、四角い帽子を被った老人が彫像の隣に立ち、木製の杖を掲げていた。
……もしかすると最初からいたのかもしれない、像に気を取られて全く気がつかなかったが。
官吏や女官と同じような白いローブを纏い、首飾りを下げるなどして長身の女官よりもさらに装飾が増している。おそらくこの老人が祭祀長なのだろう。
とりあえず覚えさせられた聖句をここで諳んじれば良いらしい。
細い枝を両手で持ち、祭祀長の老爺と同じように像へ向けて掲げた。枯れかけの葉が揺れてしゃらりと鳴る。
唇を開き、唱うはヒトの組み立てた構成未満の詞。
意味を持たない音の羅列。
『
――ヒトの間で聖句と呼び習わされているのは、遥か昔に大陸北部で使用されていたという
言語を解さない汎精霊たちへも音階を通して意図を伝えるそれは、古くには
『
リリアーナが口ずさむたび、空気中に潜んでいた精霊たちが活性化して淡い光を放つ。
知覚できないほどに小さく、それ単体では大した力を持たない汎精霊たちは、心地よい音につられて現出しくるくると回り始める。
パストディーアーが顕現した際に現れる燐光と同じものだ。名もない力の破片たちの煌めき、自分たちへかけられた音階に喜び、舞い、踊る。
『
だからこそ、よく知っている旧友への中身のない美辞麗句を延々と聞かされ、貴重な時間を浪費してまで意味のない
期待したのはもっと実りのある授業、精霊信仰の歴史だとか経緯だとか、崇敬によるヒトの精神への働きかけなど、そういうものを知りたかったのに。書斎に収められているという関連書籍に期待するより他ない。
そんな脇道に思考が逸れながらも、教えられた聖句を一通り最後まで唱え終えた。
リリアーナの眼には、手にした枝は花束と見紛うほどに光が集まり、周囲の空間や彫像は汎精霊の燐光に覆われ、眩く輝いているように視える。光の粒が舞い踊りながらキラキラと瞬く様は中々に美しい。
それらは全て精霊眼を持つ者のみの視界だ。
意味を与えていない精霊の集い程度では、紋様の描かれた眼を持たないヒトには知覚することができない。「発光しながら飛散しろ」など、唱える聖句へ意味を込めて、わずかにでも命じていれば別だろうが。
……と、一息ついたリリアーナは枝を下げて、背後に控えるカミロや女官たちを振り返った。
「なんと、いうことでしょう……」
大きく目を見開いた長身の女官が戦慄きながら呟く。赤く塗られた唇が震え、それ以上の言葉は出てこないといった様子だ。
少し離れた位置で見守っていたカミロは、片手で眼鏡を押さえているため表情がうかがえない。
何か失敗でもしただろうか。やや不安になりながら再び像の方を振り返ると、祭祀長が口を大きく開け、声にもならない声で喘いでいた。
「お……お、おぉ……あぁ、……精霊様の恩寵じゃ……、パストディーアー様のご加護ぞ、なんと、なんと眩い輝きか……」
輝き、と言った。汎精霊の光が視認できたということは、祭祀長を務めるこの老人はその立場ゆえ、それなりに強い精霊眼を持っているのだろうか。
リリアーナがそう思いかけたところで、すぐ横に浮かんでいるパストディーアーが悪戯な笑みを浮かべていることに気づいてしまった。悪戯どころではない、唇で大きく弧を描くその様は「してやったり」という顔だ。
それを見てようやく、女官やカミロまで様子がおかしい理由を察する。
「領主様のお嬢様……、お、お名前は何と申されましたかの」
「リリアーナだ」
「お、おぉぉ……、長らく祭祀を務めて参りましたが、五歳記の祈祷でこれほどまでの加護の輝きを目の当たりにしたのは、初めてのことでございます」
今にも感涙にむせび泣きそうな雰囲気で迫る老人を見上げながら、何とかごまかせないかと言い逃れの弁を探す。これは決して自分が引き起こしたことではない、冤罪だ。濡れ衣も甚だしい。
どうやらパストディーアーが悪戯をして、汎精霊たちの輝きを視認化したようだ。この場にいた者たち全てに今の光が見えていたのだろう。
「いや……たまたま、ではないかと思うな?」
「たまたま?」
「そう、精霊女王の機嫌が良かったとか、そういう……ほら、像を見よ、気まぐれそうな顔をしているだろう?」
我ながら苦しい言い訳だとは思うが仕方ない。彫りの浅い淡白な石像の顔を枝で指し示しながら、視線を上げた。
「――――」
――……白。
一瞬のまたたきすら挟まぬ間に、辺りが一面、真っ白に染まる。明るいも暗いもない、ただ白色だけが埋め尽くす空間。
つい今しがたまで自分は立っていた。聖堂の中で像と祭祀長を前に両の脚で立っていたはずだ。なのに、そこに『居る』という感覚が全くない。
足元を見下ろしてみるが、自分の両足どころか体が見えない。意識してみれば触覚や嗅覚が何も働いておらず、感じ取れるのは今こうして眼前に広がる白、視覚のみだ。
(……?)
明らかな異常事態にさすがのリリアーナも少しばかり戸惑った。こんなおかしな状態は今までに起きたことがない。生前は全ての状態異常に完全耐性があり、今生でもひとまず健やかに生きてきた。
自身に原因があるとすれば何らかの体調不良に見舞われているか、そうでないなら外部から精神または肉体へ不測の干渉を受けている。
自身を護る盾が何もないこと、脆弱なヒトの幼子であることは重々理解して生活してきたつもりなのに、屋敷の外へ出た途端こんな目に遭うとは。もう少し自分の身を守る手立てを考えなければ、寿命を全うするのも難しそうだ。
嘆息しようにも呼吸器や口がない。視覚しか働いていないのであれば、何か手がかりになるものを見つけなければと視線を巡らせる。
すると、眼前の白色がまるで霧のように細かな粒子となって晴れていく。ぼやけた視界の先に、白以外の色がついたもの……何かが視える。
(……誰だ?)
霧の晴れた先の景色も、ほとんどが白っぽい。レリーフのようなものが見えるから白塗りの壁なのだろう。
そこに、ひとりの少年がいた。
不明瞭な後ろ姿からは性別まで判るはずもないのに、不思議とそれは少年なのだと思った。今の自分よりも歳はいくつか上だろうか。
金で縁取られた白いローブを纏っているようだが、着丈が合わないのか絨毯の敷かれた床に引きずっている。その細やかな刺繍の施された衣装に、ふと既視感を覚える。
(……あぁ、聖堂の者たちが着ているローブに似ているな。やはりここは聖堂の中か?)
羽織った衣などよりも余程白い髪は無垢な輝きを放つ。指先や耳など、わずかにのぞく肌も透けるように白い。生まれつき色素を持たないのかもしれない。
こちらへ背を向けたまま、じっと佇み窓の外を見ているようだ。何が見えるのか、何を見ているのか、ここからは窓と真紅のカーテンまでしか見て取ることができない。細い蔦を模した窓枠には澄んだガラスが嵌っているのに、絡みつく模様のせいか牢の格子を思わせる。
白い壁に囲まれた清潔な部屋のようだが、どこか息の詰まるような閉塞感が拭えない。こんな場所で彼は一体何をしているのだろう。
こちらに気づいてほしい、訊きたいことがある、話がしたい。だが何か声をかけようにも、今の自分は見ていることしかできない。
次第にその後ろ姿が不明瞭になっていく。晴れていた不可視の白い霧が濃くなり、見えている範囲が全て白に包まれる。
少年に呼びかけたい、消えてしまう前に誰なのかを知りたい。声を出すすべもないまま、名も知らぬ少年を見つめた。
風が吹いたのか、無機質めいた髪が揺れる。その拍子に何かを察したように、ゆっくりと、白い少年がこちらを振り向く――――
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