第23話 五歳記の祝い④ 休息


 ーー唐突に、色彩が戻る。

 まず目に入ったのは、濃灰色の背がすぐ目の前に割り入るところだった。鼻先が掠めそうな距離にある背中を見上げると、それは背後で控えていたはずの侍従長だ。


「それ以上はお控えください。汚名を重ねる愚は犯さないほうが賢明かと」


「む……いや、違う、ただ儂はその……」


「お下がりを。当家の令嬢へは指一本たりと触れることは許されません」


 リリアーナの立ち位置からふたりの顔を見ることはできないが、普段にも増して硬質な声音が祭祀長の老人を打ち据える。容赦のないその声に、一歩、また一歩と引きずるような足音が像の側へと下がっていった。

 視界が白く塗りつぶされる寸前、そういえばあの祭祀長が両手を広げて近づいてくるのを見た気がする。それをカミロが遮ったということなら、突如起きた白い幻覚は、ほんの束の間の出来事だったのだろう。

 すぐ横でぷかぷかと浮かんでいる大精霊をにらみつけると、何やら慌てたように両手を振って弁明を始める。


〘ち、違うわよー、せっかくのお祝いだからちょっと演出しようと思っただけで、余所と繋いだのはワタシがやったんじゃないんだから!〙


<繋いだ?>


〘えぇ、この辺の子たちが何かを見せたかったみたい? 素敵な唄を聞かせてあげたから気に入られたのかもねぇ〙


<リリアーナ様の素ッン晴らしい歌声に聞き入るのは結構ですが、現在は目立つ行動を控えておられるのです。大精霊様もどうぞお気をつけを>


 どうやらパストディーアーだけではなく、大気中に飛散する汎精霊たちまでもが何かをやらかしたらしい。アルトが先に釘を刺してくれたが、命じてもいないのに勝手なことをするのはやめてもらいたいものだ。もっとも、それを未然に防げないくらい今の体が脆弱ということでもある。


〘ちょっと視覚を繋いだだけみたいだし、害はないと思うケド。リリィちゃん、そんな強い眼を持ってるのにそのままだと危ないわよぉ、リオラちゃんの時と違って精神干渉の耐性ゼロじゃない〙


 まさに今思っていたことを言い当てられて、思わず苦い顔になる。

 ヒトの身は中も殻もあまりに弱すぎる。分かっていたことではあるが、生前に直に接したことのあるヒトといえば、身の守りを万全に備えた行商人たちと勇者だけなのだ。ヒト経験値とその体への知識が圧倒的に足りない。身を守るすべもだ。


〘精神汚染だけじゃなく、病気とか毒とかケガとかにも気をつけてね~。せっかくまた生まれたのに、すぐに死なれちゃったらワタシも困るわ、寂しいもの〙


 もちろん、簡単に夭逝するつもりなどない。まだまだまだ見たことも食べたこともないおいしいものはたくさんあるはず。それに生まれてきた役割を何も果たさないまま、幼くして命を落とすわけにはいかない。

 ひとまず、もっと成長して体を丈夫にしなくては。こんなに小さくては何もできない。身の守りについては追々、行動の自由が増えてから手段を考えるとしよう。


 リリアーナがそんな思考に沈んでいると、不意に背中へ大きな手があてられた。


「失礼いたします、リリアーナ様」


「む?」


 頭のすぐ上から囁くような声が降ってきたと思えば、背と膝の裏に回された手で軽々と持ち上げられる。

 急に視界が高くなり、無意識に掴んだのはカミロの肩だった。細身に見えていたが筋肉に包まれた首周りは意外と硬い。

 大人の半分ほどしかない背丈にすっかり慣れていたため、以前と同じくらいの目線になると床が遠くに感じる。地につかずぷらぷらと揺れる足も心許ないけれど、あまり動くと邪魔だろうから大人しくしていよう。そう思い、リリアーナはカミロの肩を掴む手に力を込めた。


「講釈や見送りの類は結構です。祈祷も済んだようですので、我々はこれで失礼いたします」


「いや、ですが……」


「今後とも、良い関係を築いていたいものですね。互いのためにも」


「……」


 何かを言い募ろうとした祭祀長を言葉で切り捨て、リリアーナを抱き上げたカミロは踵を返した。

 手に持ったままでいた枝が邪魔なので、途中にいた女官へそれを差し出し、空いた手はとりあえず反対の肩へ回しておく。

 そうして高い視点を保持したまま、大人の歩幅でずんずんと進んでいくのをぼんやりと見ていた。誰かに抱き上げられたまま歩くなんて生前と合わせても初めてのことだが、今は体が小さいためとても楽に感じる。一歩ごとに進む速度も段違いだ。


「……リリアーナ様、ご気分が優れませんか?」


「え、いや、……ちょっと考え事をしていただけだ。祈祷はあれで良かったのか?」


「聖句も祈りもお見事でした。お疲れでしょうから、馬車ではしばしお休みになって下さって結構ですよ」


「うん、だが、あれ揺れるしなぁ」


 顔が近いため囁くような声でも会話ができる。これもまた利点だろう。

 磨き抜かれたカミロの眼鏡は、そばで見ると蝶番の部分がとても精緻な造りをしているようだ。やはりヒトの職人は手先が器用だなんて思いながら彫像のあるホールを出る時、女官と祭祀長がこちらを見送りつつ何かを話しているのが見えた。


〘……やはり母親にそっくりだ、娘もロクなことにはならない、とか言ってるわ。あの女なーんかイヤな感じよね、祟っとく?〙


「母親?」


 ここでその存在が話に出るとは思っていなかったため、つい呟きに出てしまう。普段であれば誰に聞かれるほどでもない声量だが、今だけは都合が悪かった。

 耳元で漏れた声を拾ったのだろう、顔は前を向けたまま疑問を乗せたカミロの視線がリリアーナを見る。


「あ、すまない。あの女官たちが、母親にそっくりだと話しているのが、少し聞こえただけだ」


 本来は聞こえないような距離の会話を盗み聞きしているようで気が引けるが、自分から依頼した訳でもなく、パストディーアーが勝手に伝えてきたことだ。話題もこちらのことだし、別に構わないだろう。

 リリアーナの説明を受けてもカミロは眉ひとつ動かすことなく、歩みを進めて外光の漏れる廊下を抜けた。早足の割に振動が少ない。抱き上げている相手に伝わらないよう、気を遣ってくれているのだろう。

 そのまま聞こえた話の内容について特に返されることもなく、待機していた馬車に乗り込み帰路へつく。侍従長のそうした態度から、もういない母親について、屋敷の大人たちは自分へ何かを説明する気はないだろうことを察した。




 出立の際にフェリバが言っていた通り、屋敷の自室へ帰りつくと空腹を刺激するいい匂いが鼻先を掠めた。もう昼食の支度はあらかた済んでいるようだ。

 エントランスまで出迎えに降りていたトマサと共に室内へ足を踏み入れれば、「あ、お帰りなさいませリリアーナ様!」と満面の笑顔で迎えられる。フェリバの顔を見てその明るい声を聞くだけで、こわばっていた全身の筋肉から力が抜け、気持ちごと弛緩するような思いだ。


「だいぶお疲れのようですね、大丈夫ですか、先に少し休みます?」


「いや、問題ない。休みはするが食事が先だ」


「ふふふー、今日はお昼も特別ですからね。いっぱい食べて後でゆっくり休憩してください」


 そう言って運び込まれたワゴンとテーブルを往復しながらくるくると働くフェリバの姿を眺めていると、トマサに椅子を引かれた。

 座面に薄いクッションのついた椅子へ腰掛けて、やっと一息つく。


「馬車もお祈りも、慣れないことばかりお疲れ様でした。果実水をどうぞ、よく冷えております。あれは揺れますから……ご気分は悪くないですか?」


「うむ、行きは揺れにやられて多少参ったが、もう大丈夫だ」


 トマサからカップを受け取り、中の薄く色づいた果実水を半分ほどまで呷った。

 ほどよく冷えた水が喉を通っていく感覚が快い。柑橘の果汁を絞っているのだろう、爽やかな香りが鼻腔をするりと通り抜けて疲れを和らげてくれる。

 馬車は肉体的に、聖堂では精神的にやや疲れはしたものの、帰りは揺れによるダメージが軽減されたため少しだけ眠ることができた。そのお陰で祈祷を終えた直後よりは元気を取り戻している。

 ……なるべく顔に出さないようにはしていたが、往路で馬車の振動が辛かったのは侍従長に筒抜けだったのだろう。聖堂から出る際に抱き上げられた格好のまま馬車へ運び込まれ、帰りはずっとカミロの膝の上で過ごした。行きには見ることができなかった街の暮らしぶりを窓から観察しようと思っていたのに、とんだ失態だ。

 だが、包み込む自分より低めの体温と、ほどよい揺れと疲れの三拍子が揃えば、幼い体が眠りへと落ちるのは誰にも責められないだろう。そうだろう。そうに違いない。


 手元に戻ったアルトを揉みながら自分を納得させた頃には、テーブルに昼食の準備が済んでいた。もうすっかり元の日常だ。まだ五年しか過ごしていないが、お付きの侍女たちに囲まれた自分の部屋は実に落ち着く。




 食事を終えてしばらくソファでくつろぎながら、書き取りの教本を眺める。

 リリアーナに与えられている書籍は子ども向けの童話の類ばかりなため、手持ち無沙汰に開くのは専ら勉強用の本だった。

 例文は全て頭に入っているし、季節の言葉選びなども概ね習得している。五歳を過ぎれば授業の内容も変わるのだろう、次はどんなことを教えてもらえるのか楽しみだ。

 それに、ようやく書斎への扉も開かれる。領主邸の書架ともなれば、きっと見たことのない本が整然と並び、デスタリオラすらも知らない知識が詰め込まれているに違いない。未知の蔵書たちを思うと今から胸が弾む。


「リリアーナ様、旦那様の手が空いたそうですからお部屋までご案内しますよー。あ、またそんなの読んで、本当にお勉強が大好きですねぇ」


 ソファの横からフェリバが手元をのぞき込んでくる。好きか嫌いかで言えばもちろん好きだが、これは勉強というほどのことでもない。休憩がてら文字を眺めていたかっただけなのだから。


「私も仕立屋さんちの奥さんのとこへ手習いに通ってる時に、書き取りも教えてもらったんですけどね。もう全然ダメでしたね、でもこちらのお屋敷の採用試験には筆記も出たので、習っておいて良かったなーって」


「侍女を雇うのにそんな試験があるのか」


 それは初耳だった。さすがに領主の屋敷ともなれば、面接で測れる対応力や性格の他にも、知性など様々なものが要求されるようだ。


「裁縫の技術テストがなくて良かったな」


「そうですねぇ、お茶を淹れるとかお出迎えの挨拶をするとかの抜き打ち実技はあったんですが……。何とかクリアできて良かったです!」


 当時のことでも思い出したのだろう、目を閉じながら胸の前でぐっと両手を握りしめる。その背後に、眉間へしわを刻み込んだトマサがいるとも知らずに。


「お忙しい旦那様を待たせるつもりですか、フェリバ」


「あ! そうでした、リリアーナ様ご案内いたします!」


 慌てて背筋を伸ばし、早足で扉へ向かうフェリバについていくため、書き取りの教本を閉じてトマサへと預けた。


「父上が忙しいなら、話は早めに切り上げた方がいいか?」


「いいえ。リリアーナお嬢様はそのようなことなどお気になさらず、どうか存分に……ゆっくりとお話をお楽しみくださいませ。せっかくの機会でございますから」


 つり上げていたまなじりを和らげ、本を受け取ったトマサはぎこちないながらも柔らかな笑みを浮かべた。

 そういうことならば、この機に色々と話してみよう。領の統治についてや貴公位という身分制度についても話題に出して平気だろうか。この先の教育方針についても訊いてみたい。その前に今日の衣装や、いつも持ち込んでくる土産物の人形たちの礼もしなくては。アルトの殻もそのうちの一体なのだから。

 五年も娘をしていて初めて交わす会話ともなれば、話してみたいことはたくさんある。


 辺境伯と呼ばれ、この辺り一帯を治める若き領主、今生の父親であるファラムンド=イバニェス。一体どんな人物なのだろう。


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