第21話 五歳記の祝い② 出立


 リリアーナの身支度が済んでしばらくすると、名前を知らない侍女ふたりが部屋を訪れた。

 恭しい礼と共に誕生日の祝いを口にしてから、「お支度はお済みでしょうか、もうすぐ出立のお時間です」と声をかけてくる。

 今日の予定を詳しく聞いていなかったリリアーナは心当たりがなく、お付きの侍女たちを振り返った。


「どこかへ向かうのか?」


「え? あ、言ってませんでしたっけ?」


 やばい、という顔をするフェリバへ急勾配に眉を吊り上げたトマサが首を向けた。


「フェリバ、あなたリリアーナお嬢様へのご説明は済んでいると言いましたよね?」


「あ、えぇと、どこまでご説明したかな……、あー、聖堂のことは話しづらくて後回しにしちゃってたかも?」


 ……ほとんど何も聞いていないとは言い出しにくい雰囲気だ。

 ここ最近は屋敷の中も使用人たちもどこか忙しない様子でいたから、フェリバも仕事やその他のことに追われてすっかり忘れてしまったのだろう。今日の詳細はずっと気になっていたのだから、一度こちらから水を向けてやればよかったかもしれない。

 助け舟を出してやるべく、リリアーナは「こほん」とわざとらしい咳払いをして、手でトマサを制した。


「問題ない。簡潔で構わないから今日の予定を教えてくれ」


 限界ギリまでまなじりを吊り上げたトマサが「聖堂どころか予定自体をご説明してなかったんじゃないですか!」と言いたげな顔をしているが、場の空気と残り時間を察したフェリバがいそいそと説明を始める。


「本日はこれから、聖堂へ五歳記の祈祷に参ります。えーと、馬車ですね、馬車に乗って街へ下りるんですよ。今日は女官だけが対応してくれるそうなのでご安心ください!」


 何が安心なのかは分からなかったが、時間が押しているため、とりあえずうなずいて先をうながす。


「戻っていらっしゃる頃には、お部屋で昼食を召し上がって頂けるよう準備をしておきます。お食事が済んだら旦那様とお話しですね、後で旦那様のお部屋までご案内いたします」


 ファラムンドの私室も執務室もまだ訪れたことがない。五歳になって、初めてまともに父親と会話を交わせるらしい。それがヒトの文化圏での慣例なのかもしれないが、何とも迂遠なことだ。

 衣装の礼以外にまずは何を話そうか、積もる話はいくらでもある。父との初対話に思いを馳せながら、続くフェリバの説明に耳を傾けた。


「お話にどのくらいかかるかは、まだ分かりませんね。とりあえずその後はお夕食ですよ、食堂で皆さんお揃いになって召し上がって頂きます。すっごいご馳走らしいですから期待してて下さいね!」


 すっごい期待している。リリアーナは大きくうなずいた。




 名乗らないため名前が分からないままの侍女ふたりに連れられ、一階のエントランスホールまで下りる。

 もう他の者の準備は済んで主役待ちの状態だったらしく、従者他、初対面の混じる顔ぶれが一斉に階段を降りるリリアーナへ向けられた。

 その中から見知った灰色髪の男が歩み出る。


「リリアーナお嬢様、お誕生日おめでとうございます。無事にこの日を迎えられたこと、お慶び申し上げます」


「うん、カミロにはいつも世話になっている、これからもよろしく頼む」


「はい、喜んで」


 カミロは口の端を持ち上げ、恭しい仕草で白手袋に包まれた手を差し出した。

 上に向けられた手のひらはエスコートの意味だと学んでいる。小さな手をそこへちょんと載せ、歩調を合わせて進む男について外へ出た。


 屋敷の玄関から外へ出たのはこれが初めてのことだ。いつも窓から見下ろしていた正面の庭は、地に足をつけた状態で目に映るとより広大なものに見える。

 門扉はおそらく植木の更に先、遥か向こうにあるのだろう。

 玄関ポーチからの短い階段をカミロのエスコートで降りると、そばには四頭立ての瀟洒な馬車が停留していた。

 目線が低いと、ただの馬でも巨大に見える。リリアーナに興味を持ったのか、白い馬たちはつぶらな瞳を向けて鼻を鳴らし、尻尾をぱたぱたと上下に揺らしていた。


「本日は私がご案内を務めさせて頂き、これから街の聖堂へと向かいます。馬車に乗られるのは初めてですね。多少揺れますので、もしご気分が優れないなどありましたら仰って下さい」


「あぁ、分かった」


「聖堂へ行くのは気が進まれないかと思いますが、現地での対応は祭祀長以外、全て女官が担当いたします。祈祷などすぐに済みますからどうぞご辛抱下さい」


 女官が、とフェリバと同じようなことを言うのも気になったが、すぐに済むことなら大人しく従っていればいいだろう。

 カミロに促され、玄関前に並んだ者たちを振り返る。


「こちらが本日お供いたします侍従と、護衛の者になります。何かありましたらお申し付け下さい」


 顔を見知っているだけの従者と侍女、それから髭面の男や揃いの服を着た若者が、各々胸に手を当て頭を下げる。

 フェリバたちお付きの侍女はついてこないようだ。部屋に控えて昼食の準備などをしてくれているのだろう。


「よろしく頼む」


「はい。……では、参りましょうか」



 かつて、キヴィランタ領内での移動にも似たような乗り物を使っていた時期がある。

 それと大差ないだろうと余裕の構えだったリリアーナだが、か弱い幼児の体には思いのほか馬車の振動が堪えた。車輪そのものと、あとは車体との接続箇所に改良の余地があるだろう。

 幸い乗り物酔いに見舞われることはなかったが、後日どうにかしようと馬車の改善点を頭の中へ並べる。領主が使っている馬車でこれなのだから、市井のものはもっと乗り心地が悪いに違いない。

 生活の中の細々としたものはキヴィランタよりよほど発達しているのに、ヒトの暮らしは所々にこうした粗悪な点が目立つ。



 ようやく屋敷の外門を過ぎた辺りで、正面に座るカミロが小さな金属を手のひらへ載せて差し出してきた。


「リリアーナお嬢様、こちらをお渡ししておきます」


「何だこれは、……中に何か入っているな?」


 その手からつまみ上げると、細い鎖が繋がっていた。長さから見てペンダントなのだろう、親指の先ほどの丸いトップには精緻な彫刻が施されている。

 鎖と揃いの白銀色は極めて上品なもので、そのシンプルさがリリアーナから見ても好ましい品だ。


「中に精白石を込めた護符になっております。この先……いつでも構いません、万が一、身の危険を感じることがありましたらこれを握って強く念じて下さい」


「身の危険を感じたら、か。分かった、有り難く受け取ろう」


 ペンダントトップの彫刻は、よく見ると百合の花に囲まれた竜が描かれていた。小さいためシルエットでしか彫られていないが、翼の形が飛竜のものではない。

 細い鎖も均一で上等な品なのだろう、なくさないようにしまっておこうとして、この衣装にはポケットがないことを思い出した。持ち込んだアルトも自分と侍女の間に鎮座している。

 小振りな装飾品だから今の自分がつけてもおかしくはない、そう考えて留金を外し、首にかけることにした。

 少しだけ鎖が長いようだが、成長すればそのうちちょうどよくなるだろう。


「よくお似合いです」


「身を案じてくれるのは嬉しいが、これから精霊教の本拠のような場所へ赴くのだろう。あまりこういったものを持ち込むのは感心されないんじゃないか?」


 小粒だからそう支障はないのかもしれない。それでも念のため訊ねてみると、カミロは不思議そうにわずかばかり首をかしげた。


「たしかに聖堂は質素倹約を掲げてはいますが、装飾品の持ち込み程度ならば何も問題はないかと」


「いや、違う、精白石の方だ。……特に禁止などされていないのか?」


「そうですね、あまり市井に普及している物でもありませんし、持ち込みも制限などはされていませんが。……何か気がかりでも?」


 ……少々、迂闊だったかもしれない。

 まさか精霊信仰の場が、精白石について何も対策をしていないとは思わなかった。

 そういうことをするからヒトは精霊たちに嫌われるのではないだろうか。そもそも、精白石がどういうモノなのか知らずに使用している可能性も濃厚だ。

 だが、領主の側近が知らないような事柄を、屋敷から出たこともない幼子が識っていてはあまりに不自然だろう。

 唇の下に指の背をあてて、リリアーナは思案する。

 自分とカミロの隣には、部屋まで迎えに来た侍女ふたりがそれそれ座っている。乗車からずっと目を閉じ、置物に徹しているようだ。

 御者は車体の外、前方へ設えられた御者台にいるのが窓越しに見える。従者は同じく車体の外、後部の両脇に捕まりステップに立っている。

 護衛たちはそれぞれ馬に跨り、馬車の前後に別れて駆けているようだ。左右の窓はカーテンが覆っていてその様子は見えない。

 ……まぁ、いいか。

 さほど深刻な内容でもないし、この場でカミロへ告げて、隣の侍女たちに聞かれるくらいは問題ないだろうと判断する。


「カミロは、精白石がどのように作られるかを知っているか?」


「あまり詳しくはないのですが。精白石は精霊の力を凝固させ、物体と化したもの……精霊らを操ることのできる人間にしか作れませんから、中央聖堂の秘された部署で極僅かに製造されているそうです」


 精霊の力を物質化させたもの、という点は正解だ。無形の力を固定することで、精霊眼を持たない者でも簡易なエネルギー源として利用することができる。

 火を熾したり、光を灯したりと生活のあらゆる場で有用だろう。実際、イバニェス家でも執務室や書斎など火気厳禁の部屋は、照明に精白石を使っている。

 だが、その力の固定化はヒトが操作可能なものではない。精霊を操るなんてことも以ての外だ。


「……もし仮に、精霊たちが精白石を嫌っているとしたらどうする?」


「どう、……と仰られても、難しいですね。精白石を作るだけではなく、聖堂内にも至る所で使われているでしょうし。本当に嫌っているとしたら、とっくに精霊の加護など失われているのでは?」


「まぁ、そういうことだな」


「……」


 眼鏡の奥の目が何かを言いたげにしながら、カミロは唇を開いて閉じるだけの動作に留めた。

 そうして思考が一巡りしたのか、しばらく目を閉じる長い瞬きをしてから正面の少女を見つめる。畏怖でも、猜疑でもなく。向けられる目に余分な感情の色が乗らないことを、どこか嬉しく思う。

 やや高い位置にある木製の手摺へ肘をつきながら、リリアーナはその視線を受け止めた。


「仮に、の話だ。雑談と思って聞き流してよい」


「かしこましました。……じきに聖堂が見えてくる頃です、街で一番高い建物ですから」


 話題の切り替えに乗ったカミロはそう言うと、リリアーナ側のカーテンを中程まで引いた。


「あの青い屋根の建物ですね」


「たしかに、あれだけ高くて目立つな」


 遠目に見えてきたのは、空よりも濃い青色の屋根を持つ、白亜で塗られた建築物だった。

 一番高い部分は塔のようで、その下は二階ほどの高さに見える。窓も縦長になっているため、もしかしたら一階部分の天井が高く造られているのかもしれない。


「聖堂の祈祷の間で精霊女王へ祈り、成長への祝福を五年毎に三回行うのです」


 聖堂での祈祷と聞いた時からそんなことだろうとは思っていた。

 ヒトの間で敬われているらしい『精霊女王』に祈ることなど何もないが、大地にあまねく精霊たちへは真摯なる祈りと、今後の成長を見守ってほしい旨を伝えてもいいかもしれない。

 今生では精霊眼を扱うつもりがないため祝福は受けられなくても構わないが、新しいヒトの生を数十年ばかり、共に楽しめるなら幸いだ。


 自分とカミロの間でくねくねしている金髪の主へ視線を向けないよう、リリアーナは窓の外の景色へと目をやった。


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