第15話 金色の粛清①


 午前中の授業を終え、昼食に出されたホットサンドを静かにもりもり食べていると、しばし部屋を出ていたフェリバが戻ってきた。


「リリアーナ様、五歳記のドレスが仕立て上がったそうですよー」


「まず入室のご挨拶をなさい、フェリバ」


「失礼いたします。それで、午後のお茶のときにでも試着なさいませんか?」


「フェリバ……」


 指先を合わせ直立した控えの姿勢のまま、トマサの眉間と額にぐぐっとシワが寄る。

 それを「まぁまぁ」となだめて、口の中のものを飲み込んでからリリアーナは小さくうなずいた。


「夕方に予定はないから構わない。一ヶ月程で仕上がるものなのだな」


「もっと手の込んだお衣装は数ヶ月かかったりもしますけど。リリアーナ様は成長期ですから、採寸が早すぎると、着るときになって合わないなんてことになりかねませんし」


「なるほど」


 他にも刺繍が多かったり、縫い留めるビーズやレースが多いほど日数がかかるらしい。全て針子の手作業で作られるのだから無理もない。

 普段着はここまで手の込んだことはしないが、祝い事ともなれば衣装も特別なのだろう。

 五歳児の衣装ならば使う布地も飾りも少なく済むため、図案の指定が細やかだった割に早く仕上がったと語るフェリバは、自分が着る訳でもないのにずっと浮かれた様子でいる。


「だって、リリアーナ様の五歳記のお祝いですよ! 髪もキレイに結って、うんと張り切ってお祝いしますからねー!」


 と言って両手を握ったまま上げ下ろしの動作を繰り返す隣で、トマサとカリナもうなずいている。

 やはり五歳の誕生祝いは何か別の意味もあるようだ。 

 聞き慣れない『五歳記』とやらについて問おうとしたところで、部屋の扉が叩かれた。


「聖堂から官吏様がお越しです」


「まだリリアーナお嬢様はお食事中です、時間になるまで客間でお待ち願いなさい」


「それが、後の予定があるため今日は早めに講義を済まされたいと」


「なんと身勝手な……っ!」


 叩扉した侍女とトマサの言い合いがこちらまで聞こえてくる。

 悪いのは時間を守らない官吏であり、侍女たちのどちらにも非はない。最後の一口と飾りの青菜を食べ終えて、カップの香茶も飲み干した。


「トマサ。昼食はもう終えたから、官吏を呼んで構わない」


「リリアーナ様、勝手なこと言う人なんて待たせておけばいいんですよー」


「あちらは仕事で来ているのだ、教えを請う立場のこちらが譲歩しよう」


「リリアーナ様の方がよっぽど大人ですよね……」


 はーっと大きくため息をつきながらも、フェリバは手際よく食器を片付け始める。

 譲歩とは言っても、本心では早く始めてさっさと終えたいだけなのだ。この後に用事があると言うのなら居座ることもないだろう。

 そもそも、寄付金だか給金だかを支払っているのはリリアーナの父、ファラムンドである。聖堂との関係はまだよく知らないが、雇い主である以上、領主という地位を抜いても立場的には明らかにこちらの方が上だ。

 そんな相手に身勝手な要望を通そうとする辺り、教え子であるリリアーナがまだ幼いため舐められているのだろう。

 五歳に満たない自分を侮るのは仕方ないとしても、父であるファラムンドを軽視し、侍女へ無理な注文をつける態度には腹立たしさを覚える。


「この件は後できちんとカミロへ報告しておく。お前たちが怒るのももっともだが、今は抑えて官吏を呼んでくれ」


「かしこまりました」


 扉前のトマサと、食器をまとめたフェリバが深々と礼をして部屋を出ていく。

 リリアーナとして受ける授業はどれも興味深く真面目に習ってきたが、この精霊教の講義だけはもう今日限りで構わないだろう。

 これから聞く内容や官吏の態度に関わらず、カミロへ報告する際にはその申し出をしようと心に決め、授業用に使っている隣室へと向かった。




「予定がずれて申し訳ないね、とても大事な用があってね、早くお会いしたかったのですよリリアーナ嬢」


 入室するなり、官吏の男は開口一番にそんなことを言った。平坦な声音からは申し訳なさの欠片も伝わってこないが、この男はいつもこんな話し方をする。

 抑揚のない語り口は講釈に向いていないようにも取れるが、声を張り上げる代わりにトーンダウンを繰り返して聴衆の興味を引くのを得意としているらしい。

 語りの合間に思考を挟まないことからも、レオカディオの言う通り領内のあちこちで語り聞かせをしていて、人前での講釈に慣れているのだろう。

 平坦な声に、特徴のない顔立ち。どこかですれ違っても間違いなく気づけない。ただその目だけが粘着質なものを漂わせており、この男を好けない一因でもあった。


「こちらも限りある時間だ、手早く終えるに越したことはない」


「いえ、手早くなんで仰らずに。今日は大事なお話です、聖堂からリリアーナ嬢にだけお伝えすべき事柄なのでね、ぜひ侍女を下がらせて聞いて頂きたい」


「聖堂から?」


 普段の講義とは異なる様子に疑問を浮かべる。

 いつもであれば教本を開き、ひたすら精霊教の教義について語るか、聖句を唱えるリリアーナの周囲をぐるぐる歩き回るか、それくらいしかしてこなかった官吏である。

 ここへ来て今までとは異なる何かを教える気になったのだろうか。

 扉の横で控えるトマサの方を見ると、首をぶんぶんと横に振られた。


「……侍女は授業の邪魔などしないから、構わず話してくれ」


「いえ、こればかりは秘密厳守で願いたい。講義をお受けになるリリアーナ嬢以外にはお聞かせできかねる」


 官吏は頑として譲るつもりはないようだ。

 何を話すつもりなのか興味はあるし、見たところ中肉中背の官吏は丸腰で、戦闘慣れしている風でもない。

 外から来る教師たちは例外なく、屋敷へ入る際に身体検査を受け刃物や危険物の持ち込みなどを厳しく禁じられている。

 領主の娘を受け持つ以上は身元も確かであり、特に危険はないだろうと判断する。


「わかった。トマサ、授業が終わるまで廊下で控えていてくれ」


「……かしこまりました」


 何か言いたげな視線を寄越すも、トマサはそれ以上の反応を見せることなく、一礼をして部屋の外へ出て行った。

 フェリバだったらまだごねたかもしれないな、と思いながら官吏へと向き直る。


「それで、話とは?」


「……お父上に何か掛け合われましたかな?」


「?」


 訳のわからないことを問われ、目を瞬く。

 精霊教の講義を退屈に思ってはいたが、それを早めに切り上げたいということはまだ誰にも告げていない。


「辺境伯様にも未だお分かり頂けていないようですが精霊様のお力は偉大なるものです、領主だとか平民だとかそんなちっぽけなものに囚われることなく日々平等に我々をその眩い光で照らし大いなる博愛のもと日々の生活をつぶさに見守っていて下さる」


「……」


「祈りを捧げ敬う心さえ忘れなければいつだって精霊女王パストディーアー様は私たちをその豊満なる慈愛でもって包み込み煌めき温かな光は不浄を洗い流して艱難辛苦から解放された真に幸福なる未来へと導いて下さるのです」


 官吏の長講釈が始まってしまった。

 もう何度同じ話を聞かされただろうか。授業のたびに平坦な語り口調でこれを繰り返されれば、どれだけリリアーナが勤勉だろうとあくびのひとつも出る。

 また授業時間の半分はこれで終わるのか、と退屈を覚悟したそのとき、これまで語りの最中は身振り手振りのみだった官吏が初めて席を立った。


「その慈愛を、権能を、素晴らしき光を伝導することこそ我々聖堂の尊いお役目であるというのに、なぜそれが理解できないのか! あの麗しい面差しこそ精霊様のご加護の現れ、紫陽花のごとき髪は恩寵の結晶だというのに!」


「紫陽花の髪……、レオカディオか?」


 その花から連想する髪色に相当する者は、自分以外では次兄のレオカディオしかこの屋敷にはいない。

 不穏さを孕む内容に、これまでのように聞き流すわけにはいかなくなった。顔を上げ、まなじりを厳しくして立ち上がった官吏を見据える。

 それをリリアーナの興味と取ったのか、男は目と口に弧を描いて軟性な笑みを浮かべた。


「レオカディオ坊っちゃまは真面目で飲み込みが早く優秀なお子様でございました。あの可憐な容姿も精霊様のご加護が強く現れている証、リリアーナ様もきっと精霊様に愛されていることでしょう」


 立ち上がったまま眼前のリリアーナを睥睨する。それは見つめるだとか観察するだとかいうよりも、もっと質の悪い視線だった。

 笑うと途端に本性が表に出る顔だ、と相貌を崩した男を見上げながらリリアーナは目を細める。


「実に勤勉に私の話を聞いて下さっていたのに独善で判断を下す領主様にはご理解を頂けなかったようで講義を途中で切り上げるなど……いえ、それでも精霊様は慈悲深いお方です妹君であるリリアーナ嬢がお兄様の分まできちんと言うことを聞いて下されば加護の光は兄君ともにちゃんと照らされますとも何のご心配もいりません」


 机を迂回し、官吏はわざとらしいゆったりとした足取りでリリアーナの机まで歩み寄る。


 聖句の講義中、次兄は大人しく話を聞いていたにも関わらず講義は中断になった。それを父親の判断によるものと男は思っているらしいが、中庭で聞いた話の通りならば中断を申し出たのはレオカディオの方だろう。

 書斎にもっと詳しい本があるから、授業が嫌ならカミロか父に言ってそちらを読めばいいと勧めてくれた。

 真面目に講義を聞いていたというのに、レオカディオ本人は聖堂から講義に訪れる官吏を嫌っている様子だった。すでに聖句の授業は修了しているようだから、教師となった官吏が気に食わなかったという思い出話の範疇だろうと受け取っていたのだが。


『……本当に何もされてない?』


 ――あの兄は、聖句の授業を憂鬱に思うリリアーナの身をまず案じた。



「お前は、レオカディオに何かしたのか?」


「厶……、ぐっ……?」


 リリアーナの虹彩が照明を反射して虹色に淡く輝く。

 赤い瞳は描かれた紋様を介して異層へと視覚情報を送り続ける果てのない穴。未だ構成をまとうことのない未成熟なヒトの身でも、魔王時より引き継いだ精霊眼には僅かの差異もない。

 得体のしれない圧力が全身に重くのしかかり、真正面からその視線を受けた官吏が顔を歪めてたじろぐ。


 リリアーナは椅子に深く腰掛けたまま、重ねて問う。


「答えろ。お前は、レオカディオに何かしたのか?」


「何かも何も、レオカディオ坊っちゃまへもこうして日々精霊様のお力や祈りの大切さを説いてその偉大さと降り注ぐ慈愛の光に込められた深い愛をお伝えしただけですとも」


 両手を広げ、変わらず平坦な語りを述べる官吏は額に汗を浮かべながらも、手を伸ばせばすぐ細い肩へと届く距離まで歩み寄った。

 にやりと口角だけを持ち上げた笑顔のまま語り続ける。


「精霊様は、精霊女王たるパストディーアー様はいつ何時でも我々をその温かな心根と愛情でもって見守っていて下さいますのにそれが分からないとは何と寂しくも悲しいことですがご安心ください心根を改めれば必ずやそのご威光を感じ取れることでしょう」


「ほう、いつでも見てると……?」


 ――そこで、つい焦点を合わせてしまった。


「そう、その通りであります、こうして毎日を息災に生きる我々が平穏で在れるのはいついかなる時でもパストディーアー様が見ていて下さるお陰その恩恵によるものだというのに残念ながらレオカディオ坊っちゃまには最後まで手解きが叶わず私の熱心な指導が実を結ばないとは誠に残念極まりない」


 ――視界の真ん中を、波打つ金色が横切る。



<ソイツ、坊ちゃんの体をあちこちベタベタ触りまくってたわョ>



 羽根がふれる程のささやかな声音よりも、その内容にリリアーナは目を見開く。


「レオカディオに無体を働いたのか」


「いえいえそんな無体などと人聞きの悪いことは決して、ただ精霊様へのご理解を求めて手厚く指導を試みただけで私は何も危害など加えてはおりませんともええですからそう怖がることは」


 リリアーナに向けて伸ばされる手。

 そこへ一瞥もくれず男の濁った目を見返しながら一言、忠告をする。


「こちらへふれるのは推奨しない」


「いえ何も怖いことはありませんよご安心を大丈夫です精霊様がちゃぁんと見守っていて下さいますからじっとして私に全て任せて、」


 ぱんっ



 軽薄な音をたて、伸ばされていた男の両腕が肘から弾け飛んだ。


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