第7話 玉の慢心


 アルトバンデゥスは鼻歌でも口ずさみかねない勢いでご機嫌であった。

 本体の杖から切り離され、細分化して苦しくも長い旅を強いられ、狭い箱の中に放置され、果てはぬいぐるみの中に押し込まれるという不遇の連続にも思えたが、それもこれも全てが現在の幸福へと繋がる布石だったのだ。

 心の中で喝采を叫び、天に向かって心の中で両手を掲げた。


<フンフッフフ~~ン♪>


 無駄に思念波で鼻歌もどきを振りまきながら、自身を包み込む繊維質の掌握に励む。

 表面の布と縫い糸は木綿、ふかふかの中綿は綿花に生物の体毛が含まれているようだ。

 目を模るくるみボタンは木と植物性のインクで染めた木綿の布。鼻のような口のような部分の刺繍と、尻尾の紐も同様に木綿である。

 概ね既存の知識にある原材料で構成されていることが判明し、機嫌は更に斜め上方へと向かっていく。

 これならば、近いうちに自身が扱える構成でぬいぐるみを操作することも可能になるだろう。

 脚部を備えていないため移動方法に関しては一考の余地有りだが、大幅なサイズダウンにより杖でいたときよりも小回りが利く。


 ……そして何より。何より、だ。


 アルトバンデゥスは有りもしない鼻息をフンフンと吐きながら、見上げる先にいる小さな主を想う。

 今は手元を離れテーブルの端に置かれてはいるが、それも今だけのこと。


 朝は枕元でそっと主の目覚めを見守り、着替えの最中は紳士らしくチェストの上で後ろを向き、食事中はワンピースのポケットの中へ大人しく収まり、礼儀作法や書き取りの授業中は机の隅から静かに応援を送る。

 ほぼ一日中、つきっきり。

 主と、どこでもいっしょ。

 リリアーナが侍女へぬいぐるみの中に縫い込めるよう依頼をしたとき、持ち歩くためと言っていたのは方便などではなかったのだ。宝玉部分だけとなってしまった自分を肌身離さずいるために、わざわざ外装を用意してくれた。

 その心遣いのお陰で、かつてと同じように、いやそれ以上にそばにいられる。いつでも言葉を交わすことができる。


<フンフフ~フン、ムッハハハハッハ――!>


 鼻歌に高笑いが交じる。

 ダンテマルドゥクの奴に言ったらどれだけ悔しがるだろう。キーキーと喚き声を上げながら空中できりもみ回転を始めるかもしれない。

 憎き好敵手の反応を想像するだけで心躍り、今にも転げ回りそうだった。


 ぬいぐるみの中に入れられると最初に聞いたときには、コンパクトかつ、落とせばすぐ転がってしまう形状の我が身を呪ったが、結果的にこうして慕う主のそばにつき従えるのだ。

 ポケットに忍ばせたりとか手の平の上にちょんと乗ったりとか、とても大事にされている感マシマシである。ことは大振りな杖であった時には叶わない。なんという僥倖だろう。

 もしかしたら、最初に杖との分離を指示された時からこうするつもりだったのかもしれない。主の深慮も知らずに扱いを嘆くなど、なんて身の程知らずだったことか。


 ぬいぐるみのまま踊りだしかねない心の昂ぶりを抑え、アルトバンデゥスは主であるリリアーナを見上げた。

 今日の分の習い事は終わり、しばし休息のティータイムだ。宝玉をぬいぐるみへ縫い込めた侍女、フェリバという名の若い女性を呼んで何かを話している。

 また新たな頼みごとをしているのだろうかとその動きを視覚で追えば、クローゼットから木製の箱を両手に抱え運んできた。

 表面は良く磨かれて艶があり、細やかなレリーフが刻まれている小物入れらしき木箱。幼子にとっては両手に携えるほどのサイズでも、フェリバの手に渡れば片手の平に乗ってしまう程度の大きさだ。

 見覚えのあるその小ぶりな箱が、中は薄い布張りになっていることをアルトバンデゥスは知っている。


<あっ>


 と思ったときには、聴覚が侍女の言葉を拾っていた。


「たしかに中は布ですけど、ぬいぐるみを縫うのとは訳が違いますからねー。ここまで擦れて破けていたら同じ布地を用意しないと直せないですよ。一体何したら箱の中がこんなボロボロになるんです?」


<……アーッ!>


 テーブルの上で、青灰色のぬいぐるみがびくりと硬直した。


「そうか……。不慮の事故で破けてしまったが、下の兄上からもらった誕生日のプレゼントだから、できれば元通りに直したいのだ。同じ布地とやらを入手するのは難しいか?」


<アッッッ――……!!!>


 急転直下、斜め上方へと際限なく上がったテンションの分だけ高低差の増した墜落だった。


 収蔵空間からの転移を終えリリアーナに回収されるまでの九日間、アルトバンデゥスはただ暇だからという理由で絶えず箱の中を転がり続けていた。

 円を描くようにぐるぐる回ったり、対角線を狙ってバツの字を描いたりと、縦横無尽に。それこそ憂さ晴らしのごとく。

 薄く艶のある布はそんな宝玉の動きと木面の摩擦に耐えきれず、あちこちが擦れて破れ箱の中はボロボロになっていた。

 その状態を見ても自身の稀少さを鼻にかけるアルトバンデゥスは一切気にかけず、自らを収めていた箱が一体何なのか、リリアーナとの再会を果たしてからも顧みることはなかった。

 まさか主が大切にしていた物だとも知らず、狭いとか安っぽいとか陳腐だとかいう感想を抱いたことも、アルトバンデゥスはしっかり記憶している。


 宝玉の転移を受け止める場所として、クッション性を考え大切にしている布張りの箱をわざわざ用意してくれたリリアーナの配慮に対し、自分は一体何てことをしたのか。

 感謝こそすれ、悪態をつきながら遊び半分で内装を台無しにするなど。とんでもない。

 後悔と自省と慚愧の念で、玉を包むまわりの綿ごとぺしゃんこに潰れてしまいそうだった。


「こんな模様を染められたキレイな布、たぶん領内の物ではないですよ。レオカディオ様がどこの商人から買い付けた箱なのか分かれば、探す手がかりになると思うんですけど……」


「そうか。せっかくの贈り物を壊してしまったと伝えるのは心苦しいが、黙っているよりは良いだろう。分かった、兄上に直接訊いてみよう」


 ……潰れてしまいたい。

 ふたりから少し離れたテーブルの上で、四角いぬいぐるみはパタリと倒れた。




「あら、ウサちゃんが倒れてますよリリアーナ様」


「起き上がり人形になったのではなかったか?」


「おかしいなぁ、いつもはちゃんと起きるじゃないですか?」


 リリアーナが倒れたぬいぐるみを手に取ると、中の宝玉がビクンビクンと痙攣しているのが伝わってきた。少し気持ちが悪いが、何かの状態異常にでも罹っているのだろうか。

 青と紫と灰色の中間を取ったような色のぬいぐるみから顔色をうかがうのは難しい。そもそもアルトバンデゥスの状態がぬいぐるみのほうに表れるなんて、あるわけもない。

 心の中で耳をそばだてても、宝玉からの思念は何も飛んで来なかった。


「まぁ、腹の具合でも悪かったのだろう」


「ふふふふ、丸くて重いの入ってますからねー」


 指先で押せばもにもにとした柔い感触が心地よい。手に収まる程よいサイズと柔らかさ、ずっと揉んでいたくなる。

 大きな杖の形をしていた頃も、あれはあれで使いでがあったけれど、そばに置く分にはこのほうが適しているだろう。ちょっとした思いつきの成果としては会心の出来栄えだ。

 父が置いていったぬいぐるみを初めて見たときは、なぜボアーグルを模したものなど与えるのかと疑問にも思ったが、こうして見ているとどことなく顔つきに愛嬌も感じる。虚ろなボタン製の目が、無駄な感情を映さないのも良い。


「ウサちゃんには、もう名前は付けたんですか?」


「名前? こやつの名は、ええと……アルト……そう、アルトという」


「アルちゃんですか、可愛い名前ですね!」

 

 不意にフェリバから訊ねられ適当な略称を伝えたものの、この形状をしている間はアルトという呼称でも問題ないだろうとリリアーナは思い直す。

 本来であれば生得の名称を下位の者から略して呼ばれるのは有り得ないことだが、今は『アルトバンデゥスの杖』ではなくその一部でしかないのだから、フェリバが呼ぶ分にも構わないはずだ。

 生まれて四年経ち、スムーズに会話ができる程度には成長はしたが、長い単語などは未だに少し舌がもつれることもある。

 呼称の文字数が半分以下になることは、今のリリアーナにとっても有り難い。


「アルト」


 口へ馴染ませるようにもう一度呼んでみると、ぬいぐるみは了承を返すためか、再度ビクンビクンと小刻みに震える。何だか死にかけの小魚のようだ。

 やはりちょっと気持ちが悪いので、意思の疎通にはできるだけ念話を使ってほしいと思うリリアーナだった。


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