第5話 侍女と幼女


 侍女のフェリバが叩扉しリリアーナの私室へ足を踏み入れたとき、幼い令嬢はベッドへちょこんと腰掛けて両足をぷらぷら揺らしていた。

 人形のようなその愛らしい様子に思わず頬が緩む。

 子どもにしては表情の変化に乏しく、泣いたり笑ったりということがない点も人形のようだと言えるが、食事中だけは年相応の顔を見せることもある。

 言葉少なく物静かなのは個性のうちと言えるだろう、大人の言うことをよく聞く賢い子だ。手がかからなすぎて少しばかり寂しく思う気持ちもあるが、その逆よりは余程いい。

 

 もうじき五歳の誕生日を迎えるリリアーナはお付きの侍女である贔屓目を抜きにしても、見目に優れた少女だとフェリバは思っている。

 どんな絹よりも滑らかな触り心地の髪は艷やかで、髪飾りを留めることも困難なほど指通りがよい。朝日に透ける薄紫の髪をゆったりと梳くのは至福の時間だ。

 幼さゆえの肌理の細かな肌は触れるともちもちしていて、透き通るように白いその肌を化粧で彩る日が待ち遠しくて仕方ない。化粧をすることで、むしろ生来持つ瑞々しい美しさを覆い隠すことにすらなりかねないが。

 茶色の癖毛と鼻の頭のそばかすに悩むフェリバからしたら、まるでおとぎ話の中から飛び出て来たような娘だ。

 世話を受け持って二年以上経つが、造形に現実味がなさすぎてもはや羨む気持ちも湧いてこない。


 全身のどこもかしこも作り物には有り得ない美を備えた少女だが、特筆すべきはその両の瞳だった。

 初めて彼女を目の当たりにしたものは、例外なくその目に惹き寄せられる。

 真紅の宝石よりもなお赤い、知り得る限りのどんな宝物よりも高貴な輝きを宿した赤い瞳。

 父親であるファラムンド伯とも、ふたりの兄とも全く違う瞳を持って生まれてきた少女。

 まだ屋敷に仕えて年数の浅いフェリバは深い事情までは知らないが、この瞳のせいで奥方様は長く不在だと聞く。

 生後間もない娘を置いて出奔したのか、それとも本当は亡くなってしまったのか。それを訊ねることは憚られて未だ知らないままでいるが、生まれてから一度も母親に抱かれたことのない、その顔を見たことすらない少女が憐れでならない。

 実の母親の分まで愛情を持って、誠心誠意お仕えしよう。辺境伯の末娘のお付きとなった侍女三人でそう誓いあったのは、任命された翌晩のことだった。


「リリアーナ様、もうじき仕立て屋さんが到着されますよ。採寸にはちょっと時間かかりますけど、ご準備は大丈夫ですか?」


「問題ない」


 可愛らしい声で素っ気ない答えが返ってくる。いつものことではあるが、その不似合いな口調すら微笑ましい。

 周囲の大人たちの言葉をそのまま覚えてしまったのだろう。もうしばらくしたら礼儀作法の一環として令嬢らしい言葉遣いに正されるのだろうが、フェリバはリリアーナの尊大とも取れるこの口調が気に入っていた。

 見目に反してどこか威厳すら漂う高貴な少女には、妙に似合っているように思うのだ。


 仕立ての採寸は体のあちこちを測るだけでなく、布のサンプルをあてて色味を確認したり何だりと、とかく時間のかかるもの。

 そのため先に手洗いなど済ませておかないと面倒もあるのだが、リリアーナはその辺もきちんと把握して先に必要な準備を終えている。

 手がかからないことに甘えてはならないと念じながらも、素直にありがたいとも思うのだ。同年代の他の子どもであれば、きっとこんな楽は望めないだろう。


「ベッドて何をされていたのですか? 眠たいようでしたら、到着までもう少し休んでいてもいいですよ?」


「眠たくはない。フェリバ、採寸のあとで構わないから、ひとつ頼みごとがある」


 その珍しい言葉にフェリバは丸い目をさらに丸くした。リリアーナからお願いをされるなんて初めてのことではないだろうか。

 普段からワガママひとつ言わない子だ。聞き分けの良さに感謝しながらも、もっと奔放に振る舞ってよいのにと思わずにいられなかった。

 生まれながらに高貴な生き方を決定づけられてはいても、今だけは自由に望みを口にすることが許される短い時間。いずれ失わなくてはならない子どもだけの特権なのだから。


「何でしょう、何でもおっしゃってください!」


「うむ……。そこの棚に、父上がくれた土産物の人形やぬいぐるみがあるだろう」


 リリアーナが小さな手で指し示す先には、備え付けられた木製の白いチェストがあった。下半分が小物類を収めた引き出し、上半分が両開きのガラス戸になっている瀟洒な造りのもの。

 その中にはファラムンド伯が他領や中央へ出かけた際に土産として持ち帰り、リリアーナにプレゼントした数々の人形が収められていた。

 中には人形と称するには多少疑問もある不可思議な民芸品もいくつか混ざっている。


「どれも可愛いらしいですよね。でもこのペースで増えていったら、あと数年もしないうちに入り切らなくなっちゃいますね」


「まあ、その点はあとで父上に進言しておこう。それで、どれでもよいからその中のひとつに、この玉をつけて欲しいのだ」


 玉とは? とフェリバが振り返ると、リリアーナは胡桃ほどの大きさのガラス玉をその手に乗せていた。

 青く透き通る球体は、真夏の快晴をそのまま封じ込めたような見事な色をしている。子供の遊具としては中々洒落ているが、これもファラムンド伯の土産物だろうか。


「いつでも持ち歩けるようにしたいのだが、このままだと落としてしまいそうでな」


「そうですね、キレイだけどアクセサリーにするには微妙な大きさですし」


「人形の中に縫い込めてしまって構わない」


 なぜかそこで、「えぇー!」という叫びのようなものが聞こえた気がしたが、何かの聞き間違えか、庭で誰かがドジを踏んだ声だろう。

 キレイな玉だから縫い込めてしまうのはもったいないけれど、持ち歩くにはやはり袋に入れるなり何なりしないと身に着けるには適さない。

 いつかリリアーナがもう少し成長したとき、半分に割って髪飾りかブローチにでも加工すればいいだろう、とフェリバは思案した。

 あまり顔を合わせることのない父親からもらった物を、お守りのように思っているのだ、そんな可愛らしいお願いを叶えない訳にはいかない。


「かしこまりました。縫って中に入れるなら人形よりもぬいぐるみがいいですね、どれにしましょう?」


「やりやすそうなもので構わない、任せる」


「じゃあ……えーと、コレにしましょうか! 可愛いうさちゃん!」


 花咲くような笑顔でフェリバが手にしたのは、ファラムンド伯が西方の自治領へ赴いた際の土産として持ち帰った、ボアーグルを模したぬいぐるみだった。

 頭部に巨大な角を有する獰猛な魔獣だが、妙にのっぺりとしたシンプルな造形からその脅威は欠片も伝わってこない。

 上部を二ヶ所、糸で縛ってある部分が角を表現しているのだろう。フェリバはそれを兎の耳と勘違いしたらしい。

 極限まで簡略化されたデザインはたしかに子ども向けと言えなくもないが、何とも得体のしれない意匠だ。

 数ある内からそれを選び取ったフェリバのセンスは計り知れないが、大きさも手頃であるため、リリアーナは承諾にうなずいて見せる。


 傍らからは今一度、「えぇぇー……」という声なき声が上がったが、残念ながらそれを気に留める者はいなかった。



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