第4話 なんとかしないと
……元魔王だなんてことを明かすつもりはないのだが、以前の記憶がある手前、やはりヒトとして生きるのは勝手が異なるし何かと不便も多い。
生活の世話をする侍女たちの他に、誰か魔王としての自分を理解している知己がそばにいてくれたら。
魔王領にいた頃との違いを指摘したり、ヒトとして生きる上での助言をくれるような相手。そんな者がいたらヒトの暮らしが不慣れな自分でも、うまくやっていけるのではないか。
だが治めていたキヴィランタと連絡を取る手段はなく、手を借りられそうな臣下をこちらへ呼び寄せることは現状難しい。
そう考えたリリアーナが思いついたのは、「誰か」ではなく、「何か」なら呼び寄せることができるのではないか、ということだった。
かつて所有していた
あれならば死の直前に
まぁ自分のモノだし、多少姿形が変わったところで所有権までは変わらないだろう。……と、自信満々に異空間からの引き出しを試みたリリアーナであったが、事はそう簡単にはいかなかった。
以前はそうと意識するだけで手中へ取り出せたものが、まず『そこにある』と知覚するまでに脂汗が浮かぶほどの集中を要した。
無限に近い構成力を擁する魔王デスタリオラからすれば、ちょっとそこに物を置いている程度の認識であるが、収蔵空間へのアクセスは時空魔法に分類される高等技術である。
それを訓練もしていない四歳児がいきなり実行しているのだから、専門家が見れば泡を吹いて卒倒しかねない光景であったが、当のリリアーナはなぜ上手くいかないのかとひとり首をかしげた。
軋みの緩い部分を選び、針の穴のような合間を縫ってどうにか杖への繋がりを掴むことはできたが、妙な重みを感じて引き寄せることができない。
掴んでいた感覚をいったん手放し、考える。
いくら記憶があるからとはいえ、今の自分はヒトの幼児であり、
杖は幼子が扱うには大きく、移動のための穴も相応の大きさを要する。
ならば取れる手段としては、
一、成長して力がつくのを待つ。
ニ、小さい穴でも通れるようにする。
三、杖のほうを小さくする。
とりあえず浮かんだ案、その全部を選ぶことにしたリリアーナは、杖の一部――今最も必要とする部位のパージを命令。次いでクローゼットを漁り、昨年の誕生日に次兄からもらった小物入れの箱を用意した。
内側に質の良い布が張ってあり、これなら宝玉を転がしても余計な音は立たないしサイズ的にもちょうど良い。
あとは誰もさわらない場所に長期間置いておく必要がある。室内を見回し、今の段階ではそれを侍女たちへ命じるだけの権限がないことを思案する。引き出しが終了するまでの間、さわられない、見られないように。
それなら見つからない場所にしよう、と目をつけたのは寝室の天井裏。
小箱を頭に乗せて器用にベッドの支柱を登り、天蓋部分に上がって天井の板を押し上げ、そこに箱を安置。
宝玉の大きさからして、計算ではあと十五ヶ月も待てば転移が終わるはず。そう期待してベッドの支柱をにじり降りる。
異層への穴は小さくとも、ちょっとずつ時間をかければ何とかなるだろう。安易にそんなことを考えての解決策だったため、物理的に無理があることは完全にリリアーナの想定外だった。
慎重派でありながらわりと雑な性格をしている、とはかつての腹心の言である。
その後、アルトバンデゥスの宝玉部分が分子単位にまで自己分解して時空の穴を通り抜ける羽目になったとは、リリアーナは想像もしていなかったし、本人を前に語っている今も知る由もない。
そこまでを要約しながら語って、一息つく。
いくら言葉が達者でも、声帯や舌は幼児のもの。長く話せばすぐに疲れるし、喉もかわく。
リリアーナはひとまず宝玉を手近なクッションの上に乗せ、背の低いテーブルに用意された水差しを手に取った。彫刻の美しいグラスに半分ほど注いで、それを両手で持ってちびちびと飲み干す。
細いリボンで飾られた紫銀の髪に、フリルをふんだんにあしらった可憐なワンピース。
まるでよく出来た人形のような外見は愛らしい幼女そのものだが、「こちら側のガラス技術は大したものだな、グラスも窓も透明度が極めて高い。珪砂、硝石の採掘場や工房はどの領にあるんだろうか」なんていう呟きがその見目を完全に裏切っている。
リリアーナのそんな様子をぼんやりと眺めていたアルトバンデゥスは、空気中へ蒸発しかけた自我を何とかたぐり寄せて「これは現実だ」と心の中で三回唱えた。
杖から宝玉だけが切り離され、自身を細分化してまで辛く苦しい移動を強いられた件の原因についてはひとまず置いておくとして。
備えた視覚が眼前の小さな少女を観察する。
敬愛してやまない主が、かつて勇者に打倒され命を落とした『魔王』が、不毛の大地キヴィランタを切り拓いた改革の覇王が、今は目の前で背伸びをして拙い手つきで水のおかわりを注いでいる、幼女。
……幼女だ。
漆黒の外套を翻していた痩躯の名残りはどこにもない、その赤い双眸だけが面影を残すのみ。
だが間違いなく、この幼児の中身はかつて死した『魔王』デスタリオラなのだ。外見がどう変わろうと、何に生まれ直そうとその一点だけは疑いようもない。
自身の所有者であり絶対の主。
『魔王』デスタリオラ改め、リリアーナ=イバニェス。
それさえ飲み込むことができれば迷いはない。
それまでどこか虚ろに、半ば現実逃避をしかけていたのだが、再起動を果たしたかのように青い宝玉は輝きを取り戻した。
<新しき生、おめでとうございます。リリアーナ様とお呼びすればよろしいですか?>
「やはりお前は話が早いな、以降はその名で呼んでくれ。音の響きは案外気に入っている」
喉を潤し、久方ぶりに知己と話せたリリアーナはご満悦であった。
グラスをテーブルへ戻し、クッションに置いていた宝玉を再び手に取る。
子どもの体温が高いためだろうか、かつて触れたときよりも冷たいように感じる表面をそっと撫でた。傷一つない球面が明かりを反射してきらりと瞬く。
その玉が、杖に嵌っていた頃よりも少しばかり軽くなっているなんてことには、無論気づかない。
<リリアーナ様が今後、ヒトとしてつつがなく暮らしていけるよう、このアルトバンデゥスが全力でお手伝いいたします!>
「うん、心強いな」
<何かお困りのことがございましたら、何なりとご相談ください>
「……いくつか相談したい事柄はあるのだが、まずは、そうだな」
思案するように唇へ触れたリリアーナは言い淀む。
考え事をするとき、人差し指の爪で下唇を撫でるのはデスタリオラであった頃の癖と同じだ。
領内の地図を前にして灌漑の道筋を考えるとき、場内の揉め事に対して適した対処に思いを巡らせるとき、彼は私室でいつもこの仕草を見せていた。
赤い瞳を半ばまで伏せ、人差し指だけを軽く動かしながら静かに思案に暮れるその様は、彫像にもなり得ない静寂の美を醸す。
臣下らの前ではいつも毅然とした態度を崩さなかったため、彼の思索中の癖を知るものは少ないだろう。
アルトバンデゥスは懐かしさとともに、かつての主の面影を透かし見る思いであった。
「厨房長におやつを増やしてほしいと伝えたいのだが、厨房の場所がわからない。道案内を頼みたいからまずは屋敷の中を覚えてくれ」
<お任せください!>
……あぁ、この主は自分がそばにいて、何とかしてあげないと。
使命感にも似た決意も新たに、アルトバンデゥスは威勢のよい返事を返した。
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