第66話 赤い悪魔
「もうキリがないよ~」
シーリアが泣き言を漏らす。ギガントの装甲版にはいくつもの汚れが付いていた。機動力を重視した編成のためか重装甲を完全に破壊されることはないが、機体にはいくつもの凹みができている。
そしてコーラルⅢの2倍以上のペイロードを有するはずのギガントの残弾も尽きようとしていた。各隊に被撃墜こそないものの、いずれの魔女たちも疲労し、機体は多かれ少なかれ傷ついている。ギガントがけん制している間に補給を受けて戻ってきていたサンダーボルトも残弾を気にして派手に攻撃することはない。
じりじりと後退しながら危険度の高い標的を狙って攻撃することしかできなくなっていた。
「第1と第2の攻撃機は一旦帰投しろ。その間は我々で持ちこたえる。戻ったら第3から第5だ」
もう数機が補給して戻ってきても戦況を覆せることはないのは誰の目にも明らかだった。それでもあきらめが悪く、破滅の時まで少しでも引き延ばそうと悪あがきを続けている。ハンナが東の空を見やるとようやく地平線にロムルスの緑色の輝きが現れ始めたところだった。
ロムルスが中天に近づくまではヘリオーンは飛び立つことができない。その準備が整うまでの間、ここに敵を釘付けにするために必死の抵抗を続けているが、幾筋かの侵攻部隊が膠着状態から突破を図りつつあった。ハンナは唇を噛みしめながらロムルスに目をやる。
あともう少しであそこまで行けたのに。敵の上空を旋回しながらハンナは身を乗り出すと手にした拳銃を打ち放つ。後方に向かって何かを叫んでいた装甲獣の上の士官の背中に穴を穿った。絶叫をあげながらその士官は転げ落ちると地上で数回跳ねた後に動かなくなる。
地上からの応射を避けて機体を捻りながらハンナは次の目標を探す。どれだけ空に上がったのかとロムルスに目を向けるが、先ほどとほどんど変わっていない。ただ、先ほどには無かった赤い点がロムルスの表面にできていた。ほんの小さな点だったものはぐんぐんと大きくなっていく。
ハンナはその赤い点に意識を向けると顔を綻ばせた。今では指先ほどの大きさになったそれは翼を持ち、大きく羽ばたきながらどんどんと大きさを変えていく。もう見間違えようは無かった。ハンナは大きな声を出すとともに親愛の念を飛ばす。
「カンティ!」
ハンナの思いに応えるようにカンタリオンは咆哮をあげた。低く周囲を圧するその声は戦場の喧騒を切り裂いて響き渡る。
「嘘でしょ? さらにドラゴンなんて……」
事情をよく知らない他の隊の魔女が迎撃姿勢を取ろうとするのをハンナが飛び出して制止する。
「ちょっとハンナ危ないでしょ。射線をふさがないで」
「あの子を撃ったら承知しないわよ」
「ちょっと何言ってるか分からないわ」
「カンティは私の子なのっ!」
ハンナは他の魔女たちとカンタリオンの間に入るようにして空中で静止する。そこへカンタリオンが突っ込んできて急停止すると大きな翼をゆっくりと羽ばたかせながら顔をハンナの方に伸ばした。
「ママ。ボクのこと呼んだ? 急いで来たんだよ」
ハンナは目元に手を伸ばす。ぐふん。とカンタリオンは喉の奥を鳴らした。
「後でゆっくりとね。今は1か所に留まらない方がいいわ」
「どうして?」
「下に一杯見えるでしょ。私たちを傷つけようとしているの」
「あんなのボクがやっつけるよ」
「待って。カンティ。気をつけないと怪我をするわ」
カンタリオンはコーラルⅢのそこここについた傷を眺めやる。
「あいつらがママを傷つけたんだね。大丈夫。見ててね」
カンタリオンはハンナから離れると翼を大きく動かしてスピードを上げた。急降下をすると大きく口を開ける。喉の奥の方から灼熱の塊が見えたかと思うと前方に向かって一直線に炎の柱を吐き出した。首を振って広い範囲に炎が当たるようにしながら高速で飛行を続ける。
カンタリオンが通り過ぎた後には黒く縮れたものがぶすぶすと白煙を上げている。元は何だったか分からなかった。カンタリオンは低空を飛びながら地上に向かって炎の洗礼を何度も浴びせた。必死に反撃を試みる地上部隊だったが、全く効果を上げていない。
兵士の持つ小銃ではカンタリオンの鱗に傷をつけることはできず、より大型の兵器であってもせいぜいがかすり傷を負わせる程度だ。そもそも、魔女たちほどではないにせよ空中を自由に飛び回る赤竜に筒先を向けることすら満足にできない。図体こそ巨大だったがその速度をとらえることは難しかった。
最初は戦いの光と音に誘われて、食餌を取りに来たとばかり思っていた赤竜が魔女を相手にせず自分たちばかりを狙っているという事実にドミニータの兵士たちは気づいてしまう。あの赤い機体を操る魔女が赤竜と一緒に仲睦まじそうに飛んでいる姿を見て恐怖にかられた。
「あの魔女はドラゴンを従えているぞ!」
誰かが叫んだ言葉が伝播していくとともに兵士たちは浮足立つ。顔を引きつらせながら兵士たちは西に向かって逃げ出し始めた。士官が声を嗄らしても効果はなく、赤毛の魔女と赤竜に追い立てられて総崩れとなる。いつの間にか冷たい暴風雨が吹き荒れ敗軍の足取りを一層惨めなものにした。
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