第51話 手向けの花

 ハンナは日常生活に戻っていた。まるで撃墜されたことなどなかったかのように空を飛び、牛乳を飲んでいる。一度だけ、中部方面軍への助力の話がでそうだというときにはこそこそと何かをして出撃して行った。


 その日、要請通りにドミニータの地上軍に激しい掃射を加えた後で、さらに西の方に飛んで行き、その地方の人々を恐慌に陥れた。街を破壊する爆撃を想像して身をすくめる人々を尻目に赤い箒は郊外まで飛んでいくと教会の上空で、その腹を開いて何かを投下する。


 閃光と共に火炎と暴風が吹き荒れることを予測していた人々は、その予想を裏切られることとなる。教会の横に広がる墓地にその箒は赤い花びらをまき散らすと機首を東に向けて飛び去った。余人は知る由も無かったが、それはハンナがエリザベータに手向けた鎮魂の花である。


 ハンナがアクス大佐にたっぷりとお小言を食らった後、司令部を出るときにギルクリストじいさんとすれ違う。

「おや、こってりと絞られた割にはいい顔をしとるな」

「そう? ギリギリ営倉入りを勘弁してもらってヘトヘトだけど」


「ワシの自慢のハーブティ飲んでいくかね?」

「じゃあ、1杯もらおうかな」

 ハンナは大きめのマグカップにそそがれた1杯を飲み干し、マグカップを返す。

「ご馳走さま」


「どういたしまして。それで、一つ聞いてもいいかね」

「いいわよ」

「気を悪くせんで欲しいんじゃが、どうしてそんなに良い香りを振りまいているんじゃ?」


「……。ちょっとね。過去の清算をしてきただけよ」

「それは穏やかじゃないな」

「まあね」

 ハンナは欠伸を漏らす。

「それじゃ、お休み。お陰で良く寝れそう」

 それ以来、表面上はいつもの日常生活に戻っていた。


 不在だった日の穴埋めをするようにせっせと出撃任務をこなしている。

「方位70距離15カンバーグに竜蟲。数は……10! かなり大きな群れよ」

 ソニアが警告の声を発した。その瞬間にハンナはコーラルⅢの機体を大きく上昇させている。


 シーリアのギガントは群れに向かって牽制のために搭載砲を斉射するとゆっくりと向きを変えて帰投を始めた。竜蟲の群れは2つに別れる。魔女たちの方に向かってくる1群と逃亡を図るグループを見て、アリエッタは舌打ちを漏らした。

「私とソニアで逃げるのを追う。ハンナ。迎撃を任せていい?」


「了解。シーリアを援護しつつ攻撃します」

「先回りしますね」

 ソニアは向かってくる竜蟲と自分たちを結ぶ線から僅かに外れる曲線を描きつつ逃げる群れの先回りを図った。


 シーリアは最大速度で基地の方向に向かう。距離がある内に回避行動を始めたのでまだ余裕があった。それでも、数が多くハンナしか頼れないことから予断は許されない。時々、後ろを振り返って距離を確認する。上空に目をやるとほとんど点のような赤い機体が急降下を始めたところだった。


 本来なら後方から忍び寄って撃つ方がいい。竜蟲の突き出た複眼は後方を除いたほとんどの方角を見ることが出来る。飛行速度も速く、軽快な動きもできる相手だけに死角から忍び寄るのが最良だった。しかし、囮になったシーリアから注意を逸らす必要もある。ハンナは機首をほぼ真下に向けると穂に魔力を流し込む。


 自由落下速度に箒の推進力を加えて猛スピードで空から降ってきた赤い矢は竜蟲に向かって3連射する。1体の竜蟲の透明な翅に触れんばかりの距離をすり抜けていった。尾を引く衝撃波が竜蟲の翅を震わせる。初弾で2体の竜蟲を墜としていた。残りの竜蟲は塊を解き、それぞれの行動をとり始める。


 針のような歯が密生した木の森が見る見るうちに近づく中、ハンナは加速を緩めずに機首だけをあげた。ぎりぎりのところで水平飛行に移るが、箒の底の装甲にこずえの先端がガンガンと当たる。ぐっと機首を持ち上げると右向きに機体を回転させながら、また空へと駆けのぼって行った。


 先ほどからの加速で頭に血が回らず一瞬くらっとするがハンナは編隊を崩し始めた竜蟲の後ろにつくと発砲する。更に1体を屠り、もう1体を傷つけながら、残りの竜蟲の前に出た。仲間の体液の匂いを嗅いで興奮したのか、生き残りの2体はハンナの追跡を始める。


 ハンナは竜蟲との絶妙な距離を保ちながら引きずり回した。もう少しで穂先に食らいつけそうなところまで引き付け、さっと機体をロールさせて逃れる。竜蟲がハンナに夢中になってシーリアから十分に引き離したところで、徐々に降下して行った。


 小高い山の陰に誘い込むと一気に加速して振り払い山の裏側に回り込む。竜蟲が小憎らしい相手の姿を探して飛び回る後方から近づくと至近距離から発砲して2体とも仕留めた。さすがに疲れ果てたハンナだったが、先ほど傷つけただけの1体の姿を探し求める。


「ハンナ。あそこだ」

 ゲオルグが指し示す方向を見るとフラフラと飛んでいる。そこへシーリアが近づいて発砲して撃ち落とした。

「えへへ。最後の美味しいところ貰っちゃった。ハンナごめんね」


「別にいいわよ」

「ありがと。でも凄いね。1出撃で5体撃墜なんて。前より腕を上げたんじゃない?」

「そう? 自分じゃ分からない。もうクタクタ。早く帰投して寝たいわ」

 

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