第48話 同類

 ハンナは優雅な飛行船の船室に居た。頬杖をついて小さな丸い窓から外を眺めていた。

「ねえ。ハンナ。何が不満なのさ?」

 ゲオルグの言葉に返事もしない。


「もうすぐ、ベールラントについて、いずれ基地に戻れるし、そうしたら好きなだけ空も飛べるんだから、そんなに不機嫌な顔をしなくてもいいじゃないか」

 重ねて言うゲオルグをじろりと睨む。

「あー、はいはい。今すぐ飛びたいんですよね。でも、ボクにどうしろっていうんだよ?」


 リッターブルクからベールラントへの定期飛行船に席を確保して乗り込むことができたのはハンナ自身の機転と交渉の結果である。誇りこそすれ不満に思うことは無いはずなのにハンナの心は晴れない。自分が借りた仮初の身分であるエリザベータの境遇に深く肩入れしすぎたのかもしれなかった。


 ハンナの提案が受け入れられたということは、エリザベータの父親が娘の安らかな眠りよりも自分の体面を重要視したことに他ならない。その事実がまるで自分のことのようにハンナの心に棘のように刺さっていた。

「気に入らない……」


 飛行船の客室は広くはないが快適だ。まるでホテルのような待遇を受けられる。ラウンジに出て行けば、いつでも好きな時に食事を取ることもできるし、船の従業員の態度も恭しかった。それはジークトハウゼンの名に対してのものであり、本来ハンナが受ける資格はない。その自覚からほとんど自室に籠りきりの生活となった。


 部屋に居れば居たで退屈してしまう。ハンナからすればノロノロしたスピードで景色が映りゆくのを眺めるしかなくゲオルグ相手に不機嫌な態度で過ごすこととなった。

「ねえ。ハンナ。そんなに触らない方がいんじゃないかな?」


 ゲオルグの声が真剣みを帯びる。ハンナの手が弄ぶのは一見すると大型の鳥の卵のように見える。滑らかな表面を網目状の細かな凹凸が覆っていた。先ほどからハンナはその表面を無意識に指で弾いている。ピンという涼やかな音が鳴り響くたびにゲオルグが身を縮めていた。


「心配しなくったって大丈夫よ」

「でも、ハンナだって完全に理解している訳じゃないんだろ?」

「まあね。でも、たぶん焼夷爆弾だと思うわ。この部分が剥がれるか、何かの条件が満たされたら一気に燃え上がるんでしょうね」

「だったら、あまりいじくりまわさない方がいいと思うけどな」


 ハンナがホテルのダイニングルームに食事に出かけた後に部屋に忍びこんできた二人組が旅行鞄の中に残していった置き土産だった。部屋を出る前に鞄から自由にしてもらっていたゲオルグがベッドの天蓋の上から一部始終を目撃していた。その後、ハンナと部屋に戻ったカイゼルがすぐに一緒に出立したのでもう少しで置いていかれるところだった。


 窓から抜け出し、ハンナとカイゼルが乗り込んだ馬車の屋根に向かって大ジャンプし、ハンナが乗り込んだ飛行船に運び込まれる荷物と一緒に潜りこむことが出来たのは運が良かったとしか言いようがない。隙を見て貨物室から抜け出したゲオルグがハンナの部屋にたどり着いたのは離陸後1日のことだった。


 置いていくなんてひどいという抗議を宥めるハンナにゲオルグは思い出したように旅行鞄のことを告げる。ハンナが調べると鞄の底に見慣れぬこの卵型のものを発見したのだった。鞄の内張りにくっ付いていたそれを子細に観察したハンナはナイフを取り出すと内張りごと切り離す。


 手に取って改めて調べる。無理にはがそうとすると卵の一部が外れるようになっていた。

「ふーん」

 一言つぶやくとそれからずっと窓の外を眺めている。


「ね。ハンナ。それ危ないもんなんだろ? さっさと捨てちゃった方が良くない?」

 相変わらず外をぼーっと眺めたまま卵型のものを手で弾くのを止めないハンナだった。


「ねえ。ハンナってば」

 ゲオルグが大きめの声を出す。船室のすぐ外に誰かいればにゃーという声が聞こえるギリギリの大きさだ。

「何よ?」


「さっきから何を考えているの?」

「人って怖いなって考えていただけ」

「今さら急になにさ。そんなことはボクからしたら当然の感想だね」

「この爆弾が作動して、今度こそ本当に不幸なエリザベータが事故死するってシナリオなんだろうけど、その為に何十人も巻き添えにするつもりだったんだよね」


 ハンナは卵型のものを夕日にかざす。血のような赤色に染まった。最後の残光が消え、急速に辺りは宵闇に包まれだす。

「あの宿屋の二人もたいがいだけど、やっていることはあまり変わらないんだよね。エリザベータの父親もその手下も。自分の利益の為に人の命を奪うのをためらったりしない」


 ハンナは大きくため息をつく。

「でも、それって、私も同じなんだよね。私が沈めたマーラートも撃ち落とした空中戦艦も中には大勢の人が乗っていた。あまり他人を責められる立場じゃないんだよなあ……」


 ハンナは窓の外に目をやるとぴょんと立ち上がる。焼夷爆弾を紙袋に入れると部屋の入口に向かった。

「ど、どこへ行くのさ?」

「これを捨ててくるの。もうすぐレーマン湖に差し掛かるからね。地上の人を巻き込まないで済むでしょ」

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