第47話 交渉

 ウトウトしていたハンナは扉が開く音で目を開ける。入ってきたカイゼルは眠そうな顔をしているハンナを見て呆れた声を出した。

「どれだけ神経が太いんだ?」

「こんなところに閉じ込められて他にすることもないじゃない」


 ハンナはソファからカイゼルを見上げる。

「それで?」

「お前の言うとおりだった」

「彼女の亡骸は?」


「秘密裏に回収したよ。ジークトハウゼン家にゆかりの墓所に埋葬されることになる」

「父親には会わせないのね」

「その必要はない」


 少し語調を強くして言い放ったカイゼルにハンナは視線を向ける。僅かながらカイゼルの剥き出しの感情が見えた気がした。

「さて、お前の言っていたことが正しかったわけだ。助かった。礼を言う」

 カイゼルは軽く頭を下げた。


「しかし、お嬢様の名を騙った罪は罪。償いはしてもらわなくてはな」

「私が偽物だって公にしていいの?」

「どういうことだ?」


「シュットテンでも身分証明書を提示しているわ。そして、これからその近くで大量殺人が大々的に喧伝されることになる。どこで本物と入れ替わったのか、そして本物がどこにいるのかの疑念を掻き立てるには十分でしょ。私には本物のままでいてもらった方が……あなたの雇い主にとってもいいんじゃないかしら?」


「……つまり、お前を見逃せと?」

「ええ。私をエリザベータ・ジークトハウゼン本人として扱うの。自由奔放なエリザベータはまたどこかへと出かけて、そして今度こそ行方知れずになる。もちろん、あの忌まわしい場所からは遠く離れた場所でね」


 カイゼルはハンナの提案を受けて考え込んだ。

「私を密かに亡き者にすることを考えているなら無駄よ。大人しく死ぬつもりはないわ。大騒ぎをしてあげる」

 ハンナはポーチを開けて中の物をチラリと見せた。


「分かった。しかし私の一存では決められない」

「じゃあ、お伺いをたてればいいわ。あ、その前にどこか適当なホテルの部屋をとって貰えないかしら。いつまでも、こんな場所に閉じ込められているのは我慢できないわよ。それに主の娘の扱いにしてはぞんざいすぎると思われるんじゃないかしらね」

 カイゼルはハンナの提案を了承する。


 駅前の格式高いホテルの一室に荷を降ろしたハンナはカイゼルが出て行った後すぐに部屋を出る。すぐに廊下に居た女性兵士2名が声をかけてきた。

「どちらに行かれるのですか?」

「食事よ」


「お部屋にお戻りください」

 ハンナは扉を閉めると鍵をかける。

「そんなことを言ってもお腹が空いたわ。ホテルから出なければ問題ないでしょ?」


「そのような許可が出ていません」

「私がいいと言ったらいいの。誰の許可もいらないわ。何なら力づくで止めてみる?」

 肩をそびやかし我儘いっぱいの娘を演じるハンナの勢いに兵士たちは道を開ける。


 ハンナがホテルのダイニングルームに入りテーブルにつくと適当に上品そうなものを数皿頼む。少し離れた壁際からハンナのことを見ている兵士たちこういう面倒な任務に慣れているのだろう。その顔には何の感情も浮かんでいなかった。有力者の娘の監視は楽しくはないが、命の心配をしないで済む代償として諦めているのかもしれない。


 カイゼルが戻ってきたのはハンナがゆっくりと食事を終え、デザートのミルクプディングに銀の匙を入れる頃だった。つかつかと近寄ってきたカイゼルは向かいの席に腰を下ろすと押し殺した声で難詰する。

「部屋に居るように言ったはずですが」


 ハンナは悪びれずに匙を口に運ぶ。

「あら。ひょっとして一緒に食事をしようと思っていたりするの?」

「今すぐ部屋に戻りますよ」

「これを食べ終わったらね」


 ハンナは手を挙げて給仕を呼び止める。

「こちらの男性にコーヒーを」

 目から火を出しそうな勢いでハンナを睨むカイゼルを見てハンナは笑う。

「1杯20ギルターもするコーヒーよ。飲んだら少しは心が落ち着くかもしれないわ」


 優雅な手つきでコーヒーカップを口元に運ぶハンナ。それを見てカイゼルは一瞬だけ目の前の得体の知れない女が本物のお嬢様なのではないかという感覚を抱いた。忌々し気に頭を振って幻想を追い払うと、自分の前のコーヒーをガブリと飲み干す。口の中を火傷しそうな熱さだった。


「あら。もったいない。折角の香気を味わえて?」

「もう、よろしいでしょう。お嬢様。お部屋にお戻りください」

 カイゼルの声に苛立ちを感じ取ったハンナは大人しくポーチを手にしてた立ち上がる。


 さも当然のようにエスコートされてハンナが歩き始める。後ろから兵士たちがついて来る気配を感じ取りながら、前を歩くカイゼルの横顔を見やった。エリザベータの父親であるオットーはどのような判断を下したのだろうか。ハンナはリッターブルクまでの車内で読んだオットーの一代記を思い出す。


 最下級の貴族から一代で巨大な企業を興した風雲児。数人の子供が居るが母親はすべて違う。エリザベータは末娘だった。母親は踊り子出身で奔放な性格をしていたと伝えられている。考え事をするうちにハンナの部屋にたどり着く。鍵を受け取り扉を開けたカイゼルは先に中に入りハンナを招き入れ、後ろで扉が閉まった。



 

 

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