第45話 ここに居ない人
「ねえ。隊長ってば。ハンナは無事だと思う?」
シーリアがチョコパンを手にしながら質問する。アリエッタは口の中のものを咀嚼するのに忙しいとばかりに返事もしない。それはそうだろう。四六時中同じ質問をされれば誰だって返事もしたくなくなる。
しかも、なんと答えようが面倒になるのだ。思うと答えたなら、じゃあもう〇〇日になるのになんでハンナは帰ってこないのよう、と言い出し、思わないと答えようものなら、冷血女だの、人でなしだの罵詈雑言の嵐になる。無視すれば不機嫌にはなるが相手にしないのが一番だった。
過去の経験からすればハンナの生還はかなり望みが薄いということは分かっている。敵地で撃墜されて10日も経ち手持ちの食料なども欠乏しはじめるはずだ。山中に潜んでいたとしても動き出さなくてはならない。そうすれば絶対に捕捉されてしまう。しらを切ろうにも身分証明書がないというだけで拘束されるだろう。
一方で、ドミニータから公式に何もアナウンスがないというのも変だといえば変だといえた。憎い魔女を確保したならば味方の指揮を鼓舞するためにも生死を問わず大々的に発表するはずだ。実際、コーラルⅢの残骸については戦果としてドミニータの新聞の紙面を飾っていた。
それを見たシーリアが復讐を叫んで大騒ぎをして、まぜっかえしたソニアと取っ組み合いのけんかを始めたのが数日前のこと。せっかく営倉から出て来たのにすぐに逆戻りをするはめになった。その光景を思い出してアリエッタはうんざりとする。
そうでなくても3人で任務をこなすのに無理が生じていた。一人欠けた状態での哨戒飛行ではギガントはお荷物でしかないので、シーリアが新たに配備されたコーラルⅢに搭乗している。しかし、シーリアではまだコーラルⅢのスピードに振り回されており、昨夜の竜蟲相手の戦闘では命中させることができず、取り逃がす結果となっていた。
アクス大佐からは遠回しに人員補充の打診を受けていたがアリエッタは決断を下すことが出来ずにいる。その方が正しい判断だと頭で理解はしていても、心が納得できていない。そんな状態でそんなことを言いだそうものならシーリアが猛反発することは確実だし、葛藤を抱える分、アリエッタにも説諭しきれる自信がない。
アリエッタはまだまだ己の未熟さを感じていた。自分の隊の制御もままならないのに、アクス大佐はこの基地の指揮を自分に譲るつもりでいる。それならそれで、せめてこの隊は信頼できる人間に引継ぎをしたかった。例えばハンナなら自分の後任として不足はない。
ハンナがいてくれたら。無い物ねだりをしても始まらないが、何度目かの思いにアリエッタは深いため息をつく。これではシーリアのことを笑ってはいられない。そう思うが思考は堂々巡りをしてしまいまとまらなかった。一体どこでなにをしているのかしら。食堂のおばちゃん自慢の煮込み料理の味も良く分からないままに匙が器と口を往復する。
アリエッタやシーリアの想像もつかない所にハンナはいた。まさか、敵の首都で兵士に護送されているとは思いもつかないだろう。もし、無事な姿を見たら安堵し、一方で危機的な状況に心を痛めたに違いない。
***
ハンナ達が部屋に入ると大きな机の前に座っていた人物が立ち上がる。見たところ30歳を超えてはいないだろう。細面でシャープな印象の男性だった。まさか父親ってことはないわね、とハンナは考える。なんと呼びかけたものか判断がつかないので砂をかんだような不機嫌な様子を崩さなかった。
男は苦笑をする。
「お嬢様。そのようなお顔をなさならなくても」
兵士たちに向き直り手をふる。
「ご苦労だった。下がってくれ」
兵士たちが扉から出ていくと、男は机を回ってハンナの側までやってくる。
「あまりご気分がよろしくなさそうですな」
ハンナは忙しく頭を巡らせる。この男は誰だ? 父が用があると言っていたからにはエリザベータの父親の使用人だろう。あとは自分とどれほど親しかったかだが……。
「3年ぶりぐらいでしょうか。随分と大きくなられた」
男は値踏みをするようにハンナの顔を見る。ハンナはポーチを体に引き寄せた。中には先日購入した一般人用の拳銃が忍ばせてある。2連装の護身用のものだ。小さいながらも大の大人を行動不能にする能力はあるとのふれこみだった。
男は表情を改める。
「まさか、このカイゼルをお忘れというわけではないでしょうね?」
「さあね」
ハンナはイエスでもノーでもない不貞腐れた態度でそっけなく返す。ただ、いずれは会話が破綻するはずだった。そのときに備えて精神を集中する。
「これは手厳しい」
男は意外に明るい声で笑った。
「随分と酷い言われようです。以前は兄のように慕われていたと思っていたのですがね」
ハンナは心の中でしまったと思う。想像以上にこの男はオリジナルのエリザベータを知っているらしい。その心を見透かしたかのように男は言い放つ。
「お前は誰だ?」
手には魔法のように大型の拳銃が握られハンナをピタリと狙っていた。
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