第44話 リッターブルク
ハンナの乗った列車はリッターブルクの東駅にゆっくりと滑り込む。同じコンパートメントの乗客が降りると大きく伸びをした。大きな旅行鞄を持って列車から降りる。プラットホームを歩いて行き蒸気を吐き出している先頭車両を追い越して改札を抜けて駅舎の中に入っていった。
駅舎の大きな天蓋からは冬の柔らかな日差しが舞い降りてきて、外周に施されたいくつものレリーフを浮き上がらせている。レリーフは様々な動物を象っていた。天蓋の下は様々なレリーフを探して指さす客であふれている。これだけ多くの人がせわしなく行きかうのを見るのは初めてでハンナは疲れてしまう。
人の間をすり抜けながら歩くハンナの目に刺激的な文字が飛び込んできた。ドミニータの言葉でミルクスタンドと書いてある。叫んで駆け出したい衝動を抑えながらハンナはその方角に向かっていった。少し離れているところから様子を伺う。カウンターで代金を払うと白い液体が入った瓶を手渡されていた。
ハンナは我慢できなくなり、つかつかと近づくと代金をカウンターの上に置く。若い売り子が差し出す瓶をひったくるように手にすると口につけてぐいっとあおる。柔らかな甘さの芳醇な液体が舌に触れ、ごくごくと勢いよく飲み干した。久しぶりの甘露に思わず涙がでてしまう。
空き瓶を返すとすぐにお代わりを頼んだ。少々あっけに取られた若い店員の顔を見ないようにして2本目を受け取る。2本目はゆっくりと味わうようにチビチビと飲んだ。本当はもう1本飲みたいところだが、若い女性が立て続けに3本も飲むのは奇異に見えるだろうと泣く泣く諦める。
2本目の瓶を返す時に、若い店員がわざとらしい動作で鼻の下を人差し指を横にしてこする。その場を後にしながらハンナは何気なく自分の唇の上に手を当ててみてその意味を悟った。指に白いものがついている。どうやら勢いよく飲みすぎて牛乳がついてしまっていたらしい。
年頃の娘としてはかなり恥ずかしい。ハンカチでその辺りを拭ってから出口の方へと向かった。屋内から陽光の元に出ると冷たい風がぴゅうと吹き付けてくる。駅前には大きな広場があり、その中央にはどこかの誰かの像がでんと据えられていた。おそらくドミニータの王室の誰かなのだろう。
駅の隣にある大きな建物には鳩が幸せの葉をくわえている図柄の大きな看板が出ていた。中に入っていき書き物机のところで住所録をめくる。ハンナは目的のものを探し出すとポーチから取り出した封書の上に丁寧に書き写した。列に並びカウンターで封書を示す。職員が量りに乗せて言った金額を払う。
忙しそうに働く職員はハンナの手渡した封筒を後ろの箱に機械的に放り込む。もし書いてある文字を気に留めたなら、その意味するところと差出人のギャップに奇異の念を抱いたかもしれない。ハンナは目的を遂げるとどこか晴れ晴れとした表情で外へ出て行った。
どこか宿を探さなくちゃと駅前をぐるりと見回し、ホテルと思しき建物に向かって歩き始めたところで横から声をかけられる。
「失礼。身分証を拝見」
ハンナが振り返ると3人組の兵士が佇んでいた。
もうすっかりこの行事になれたハンナは落ち着いて身分証明書を取り出して先頭に立っている兵士に渡す。誰何されて身分証明書を見せるという動作に不安は無かった。とりあえず相手に正式な書類を提示できれば深く追求されることはない。ハンナは相手がページをめくるのを平静な気持ちで観察する。
ハンナの身分証明書を持っている兵士が後ろを振り返って他の2人にそれを示した。その仕草にトラブルの匂いをかぎ取り、ハンナは上空と地中に意識を飛ばす。はるか東の彼方に1本ずつ魔力の流れを感じるだけだった。話に聞いていた通りにリッターブルクには引き出す魔力がほとんどなかった。
ハンナは表情に出ないように気を付けたが、内心では焦りを覚える。魔力の流れの遠さはつまり魔法を使うにしても銃を撃ち放つにしても時間がかかるということだった。ここでは魔女と言えども単なる少女に過ぎない。努めて冷静を装いながらハンナは相手の出方を待った。
「ジークトハウゼン家のエリザベータ嬢でいらっしゃいますな?」
表面上は疑問形の形を取っていたが、その言葉は単なる事実の確認に過ぎない。
「だとしたらどうだっていうの?」
3人組のリーダーと思われる男が前に出てきてにこりと笑みをうかべる。
「あなたのお父様から捜索願が出ている。我々と同行願いましょう」
「どういうこと?」
「それを話す権限がありません。では、丁重におつれしろ」
その言葉と同時にさっと2人の兵士がハンナの後ろに回る。大型の銃は肩から下げたままだ。ハンナは覚悟を決めて不機嫌そうな声を出す。
「あまり遠くまで歩きたくはないんだけど」
「申し訳ないですな。すぐそこなのでご容赦を。ああ。気が利かなくて申し訳ありません。荷物をお持ちしてさしあげろ」
兵士たちに先導されてハンナは特徴のない5階建ての建物に連れて行かれる。あくまで物腰は丁寧だった。リーダーに促され鉄製の小さな籠に乗る。ガクンと揺れて籠がゆっくりと上り始めた。残りの兵士は周りの階段を駆けあがる。5階で籠を降り、廊下の端にある扉の前に立つ。リーダーはノックをして扉を開けた。
「エリザベータ様をお連れしました」
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