第43話 ハンナの計画

 車窓からの景色は田園地帯に変わっていた。ガタンゴトンとレールの継ぎ目で等間隔に揺れる単調な時間が流れている。他の季節であれば別なのかもしれないが、冬枯れの寂しい景色は見ていても面白くはない。窓に吐き掛けた息の跡にいたずら書きをしていたハンナはその手を止めた。


 4人掛けのコンパートメントには相客はいない。座席の上に丸まっていたゲオルグが大あくびをする。

「退屈で眠くなっちゃうね。どこかに鼠でもいないかな?」

「さあどうでしょうね」

 ハンナは気の無い返事をする。


「ハンナ、どうしたのさ? ああ、分かっちゃった。さっきの男の人の考えてたんでしょ」

「なんでそうなるのよ?」

「面倒なところ助けてもらったじゃない」


「そうだけど、なんでその人のことを考えなきゃいけないの?」

「いや、ほら、ちょっとカッコ良かったのかなあって」

「バカね。そんなんじゃないわよ」

「じゃあ、何を考えてたのさ」


 ハンナは窓枠の上に置いた腕の上に顎を乗せる。豊かな赤毛が窓ガラスを叩いた。

「私が身分を偽ってるジークトハウゼン家の娘のことを考えてたの。どんな子だったのかなって」


「それは偽装を完璧にするため?」

「ううん、なんとなく。たぶん、あの駅の会話からするとどうやら貴族か有力者の娘だと思うの。きっと不自由なく暮らしてたんだろうにどうしてあんな場所に出かけて……」


「ハンナが責任を感じることは無いと思うけど」

「別に責任を感じてるわけじゃないわ。ただ、そうね。やっぱりちょっとは思うところがあるわね」

 身分証明書を開くと肖像画を眺める。何かに挑みかかるような顔つきに親近感を感じた。


「もし、もしもね。愚にもつかない想像だけど、生きている間に会えたら、いいお友達になれたような気がするの」

 ハンナの独白は汽笛の音でかき消される。


「ハンナ。しっかりしてよ。そんな感傷的になってたんじゃ、この先が思いやられるよ。まだまだ敵地だってことは忘れないで欲しいな」

「分かったわ。ありがと。ゲオルグ。そうね。この偽りの身分を借りた以上はきちんと目的を達成しないとね」


「ところでさ。昨日、はぐらかされちゃったけど、これからどうするのか教えてよ。どんどん西に向かって行ってるわけだけど、当てはあるの?」

「もちろんよ。そうね。じゃあ、教えてあげる」

 ハンナは椅子に座り直すと地図を取り出して広げた。


「今いるのはたぶんこの辺り」

 ハンナの指が一点を示す。すぐ東側にシュットテン市があった。その指をずっと南西の方角に動かす。ドミニータの中心やや西よりにリッターブルクの表示。

「ドミニータとファハールは交戦中よ。だから基本的に行き来はできない」


「そんなことはボクだって分かってるさ」

「だけど、それは直接の話。第3国を経由すれば時間はかかるけどファハールに戻れるわ」

 ハンナはリッターブルクから東南方向に指を動かすと国境線を示す太い線にぶつかる。


 そこから先はベールラントだ。主に通商で成り立つ国でファハールともドミニータとも交易をしている。人口と領土面積からすれば両国には及ばないが経済力はずば抜けていた。蒸気技術と魔法を組み合わせた独特な文明を発展させている。両国とは等距離外交を展開していてそれぞれ往来があった。


 ファハール、ドミニータの両国とも外交官を駐在させ、ベールラント経由で相手の情報を得ようと躍起になっているスパイ天国でもある。一方で温暖な地で保養の人気もあった。国境を超えられる箇所は限られていたが、リッターブルクからの飛行船の定期便もある。金さえあればなんとかベールラントにたどり着くことは可能だった。少なくとも直接ファハールに戻るよりはまだ期待できる。


「なるほどね。さすがハンナ。そこまで考えていたなんて凄いや。それではるばるリッターブルクまで行くんだね」

 感心することしきりのゲオルグをハンナは抱き上げる。

「まあ、その間、あなたには旅行鞄暮らしを我慢させなきゃいけないけどね」


 とたんにうえぇという顔をするゲオルグは情けない声を出した。

「それで、リッターブルクまではどれくらいかかるの?」

「日中移動して夜はホテルに泊まる生活で7日ぐらいかしらね。今はいいけど、リッターブルクに近くなってきたら相客が乗って来るから外には出せないわよ」


 やれやれというように首を振りつつゲオルグはハンナの手から抜け出し向かいの席に着地すると後ろ脚を突っ張り大きく伸びをした。

「まあ、夜にベーコンかソーセージを出してくれたら我慢するよ。でも、少しは自由に動き回りたいな」


「外は寒いから嫌だって言ってたくせに」

「そうだけど。動けないのもイヤなの。ハンナだって分かるでしょ、ずっと空飛べなかったらどんな気持ちになるか考えてみてよ」

「ああ。折角忘れてたのに」


 ハンナはクッションをゲオルグに向かって投げつける。それをひょいと避けたゲオルグは笑う。

「ボクの気持ちがこれで少しは分かっただろ。少しは優しくしてくれてもいいんだけどな」

 ハンナはどんよりとした空を見上げ窓に向かって盛大に溜息をつき大きな曇りを作ったのだった。


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