第41話 ハンナとゲオルグ

 司令官室から出てきたアリエッタにしつこく絡んで営倉入りを命じられた翌夜、狭い場所で寒さに震えながらシーリアはぶつくさと悪口を呟いていた。

「もう。隊長も、司令官もみーんな大嫌い。ハンナも今頃はどこかで寂しい思いをしてるかもしれないのに……。ハンナぁ」


 シーリアが心配するその当人はシュットテンにある駅前のホテルの部屋で寛いでいた。ボウルいっぱいに用意してもらった熱いお湯で濡らしたタオルで体の隅々まで拭いてさっぱりとしている。ついでにゲオルグの体も拭こうとして断固拒否されていた。

「ボクはいいから」


 シュバルの家の馬小屋から拝借した馬を駆って裏街道を使い、オータンの村にも寄らずにドミニータの各所を結ぶ鉄道の駅の一つであるシュットテン市にたどり着いたのが昼過ぎだった。使い魔を従えることができるぐらいなので動物と意思疎通をすることは容易である。


 街はずれで馬を開放し好きなところに行くように命じた。歩いてシュットテンの街に入り、いくつかの店で買い物をした後に、手に入れた身分証明書と持ち出した金で駅前に宿をとる。ホテルの階下のレストランで食事を終え、その後部屋に戻って湯浴みをしたのだった。


 薄暗くて寒い営倉で震えているシーリアが見たら、ハンナへの敬慕の念も吹っ飛んでしまいそうな快適な部屋だ。窓も二重になっており、壁沿いに這わされたパイプが空気を温めているため、外の寒さを忘れさせてくれる。薄いピンク色の壁紙と調和した家具も品が良く、ベッドもふかふかだった。


「いいよねえハンナは。美味しいものも食べられたし、その間、ボクはずっとこの狭い鞄の中でじっとしてたんだよ。それなのにボクの体を濡らすなんて悪逆非道なことをしようとするしさ」

 文句を言っていたゲオルグもハンナがベーコンを取り出すと態度を豹変させた。


 ベーコンに齧りつきながらゲオルグはハンナを見上げる。ハンナは買ってきた地図とにらめっこをしていた。ハンナが買ったものは他にもある。先ほどまで着ていた服や靴もそうだし、新しく大きな革製の旅行鞄も買った。遺体から借用した服は綺麗に畳んでその鞄の底にしまってある。


「にぇえ。ハンニャ」

 ハンナが地図から顔をあげてゲオルグを睨みつける。

「食事か喋るのかどちらにしたら?」

 ゲオルグは食事を再開する。その間にハンナは地図を折りたたみ椅子の背もたれに腕を組んで顎を乗せた。ぼーっと何をするでもなしにゲオルグを見ている。


 ベーコンを食べ終わり、口の周りをひと舐めしたゲオルグがハンナを再び見上げる。

「なんか見られてると食べづらいんだけど」

「とか言いながら完食してるじゃない」


「まあ、いいや。それでさっき聞こうとしたことなんだけど」

「なあに?」

「ハンナはこれからどこに行こうとしてるのさ?」

「とりあえずリッターブルクかな」


「え? ドミニータの首都じゃないか。そんなところに出かけて何をしようっての? 方向も正反対だし、ますます遠くなるばかりだよ」

「そうね」

「そうねって……。余計なものを買ってないでさ、箒を手に入れて飛んで帰ればいいのに」


「そうはいかないわよ。ドミニータじゃ質のいい材質の箒は手に入らないでしょ。暴れ馬みたいに振り回される箒に乗りたい?」

「でも、こういう状況だと贅沢は言ってられないじゃないか」

「それで帰れるならそうしてもいいけど、ドミニータ軍に見つかって撃ち落とされる結果しか見えないわ」


「運が良ければ……」

「無理よ。血眼になって私を探してる鼻先を箒に乗ったのが飛んでいくのよ。きちんと調整された箒じゃなきゃスピードも出ないし。飛行蜥蜴はもちろんオーニソプターにも追いつかれて撃ち落とされるわね」


 自分の案を一蹴されてゲオルグは鼻をフンと言わせる。

「それはそうかもしれないけど、じゃあ、ハンナの案はどういうことなのさ。敵の首都に行くなんて正気とは思えないね」

「それが狙いよ」


「え? どういうこと?」

「ドミニータ軍の連中も同じことを考えるでしょうね。だから、墜落現場付近からファハール側は念入りに調べるでしょうけど、首都を捜索したりはしないわよ。それに大勢の人がいる所の方が紛れやすいわ」


「確かにそうかもしれないけど、その後はどうするのさ。ずっとリッターブルクに住むつもり?」

 ハンナはにっと笑う。

「なんだよ」


「まだ内緒」

「えー、どうしてボクに隠し事するのさ。なんの得にもならないのに」

「こういうのは分からない方がドキドキして面白いでしょ」

「全然面白くないよ」


「まあ、ゲオルグはさ、何かがあったら普通の猫として生きていけばいいんだから、そんなに先のことを心配する必要はないわよ」

「今さら普通の猫なんかには戻れないよ。ねえ、ハンナ。意地悪しないで教えてくれたっていいじゃないか」


「どうしようかなあ」

 ハンナは頭に巻いていたタオルをほどくと髪の毛に触ってみる。だいぶ湿り気がとれていることを確認すると欠伸を一つした。

「眠いから寝るわね。おやすみなさい」

「ちぇ。ハンナのケチ。もういいですよーだ」


 




 


 

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