第39話 家探し
ハンナは自分の頬が濡れるのを感じて、はっと目を覚ます。身を起すとゲオルグがじっと顔を見ていた。
「もう少し寝ていたいんだろうけど、もうすぐ夜明けだよ」
「ありがとう。もう十分よ」
背伸びをすると腕をぐるぐる回し頬を叩く。色々とやらなければならないことがあった。昨日の雪のお陰で自分の捜索は遅れているだろうが、いずれここまでドミニータ軍の手が伸びてくるはずだ。それまでに立ち去る必要がある。あまりのんびりはしていられない。
ただ、この場所から離れるだけではいずれ手詰まりになるのも確かだった。ドミニータの要所では身分を確認される。その時に証明書を持っていなければ、かなり面倒なことになるはずだった。一方で所持さえしていれば、よほどのことがない限り真剣に見られることはないだろう。
シュバルとドーリンがこの物騒な宿で不幸な旅人を手にかけていたことは間違いない。しかし、あの小屋には遺体はあっても装飾品や身元が明らかになる物はなかった。この宿のどこかに隠してあるに違いないと想像する。できれば二人のうちのどちらかかから聞きだせれば楽だったのだが贅沢は言っていられない。
ゲオルグと二人がかりで探せばなんとかなるだろう。さして大きな家ではない。それに客室は無視していいはずだ。宿主のプライベートゾーンを見て回る。二人の私室と思われる部屋を見て回ったが、いずれも客室と似たり寄ったりの構造で何かを隠せそうな場所はない。
だんだん焦りを感じてきたハンナにゲオルグが言った。
「なんか食べない?」
「なにを暢気なこと言ってるのよ」
「でもさ、お腹が空いちゃって。食べないと元気が出ないよ。それに少しぐらい休憩したほうがいいんじゃないかな」
ハンナも携帯食を食べたきりなのを思い出す。気がかりなことが多すぎて食欲はなかったがゲオルグの言う事にも一理あった。十分な睡眠を取れたことでかなり回復していたが、体の維持には食べることも必要だ。ゲオルグはいそいそと厨房へと向かう。
「ちょっと、どこへ行くの?」
「そりゃ、食べ物のあるところさ」
「携帯食ならここにあるわよ」
「ちゃんとした食べ物があるのに何で好き込んでそんな代物を口にするのさ」
ゲオルグは首を振り、大きく伸びをする。
「変な薬が入ってるかもしれないわよ」
「大丈夫。彼らだって食事をしてたんだ。間違えないように薬は後から入れてたはずだよ。それにボクなら鼻で分かるからね」
仕方ないわねという表情でハンナがゲオルグを追いかける。
厨房から通じている半屋外の貯蔵庫に向かって跳ねるように歩いていたゲオルグが叫んだ。
「ひゃあ」
「何よ。急に変な声を出さないで」
「だって、ここの床だけ冷たいんだもの」
ハンナは片膝をついてゲオルグの指し示す一体に手を当てる。確かに木の床のその部分だけ他と比べて冷たかった。靴を履いていると分からないが素足のゲオルグならすぐに分かるだろう。よく見ると継ぎ目も他の部分より広がっている。ハンナはナイフを取り出して、隙間に差し込みこじ開けた。
人が一人余裕で通れるほどの範囲の床板が外れる。覗き込むとそこには指輪やネックレス、イヤリングなどの装飾品といくつかの袋、それに手のひらサイズの黒革の手帳が何冊かあった。手帳にはドミニータの紋章である双頭の狼がエッチングされている。ハンナの探し求めていた身分証明書だった。
パラパラとめくっていく。何冊目かでハンナと同じくらいの年頃の女性の肖像が出てきた。それを脇にのけておき、すべてに目を通す。全部で47冊あった。結局のところハンナが身分を偽れそうなものは3冊。そのうちのエリザベータ・ジークトハウゼンはうってつけだった。
髪の毛の色:赤
瞳の色:濃い茶
身長:165
特徴:なし
手帳の中の少女は勝気そうな表情を浮かべてこちらを見ている。全体的な雰囲気もハンナに似ていた。何より瞳の色が同じというのが大きい。常時魔法で姿を変え続けるとなると魔力の消耗が激しすぎて現実的ではない。また、髪の毛の色は染めて変えられるにしても書類と現物が同じ方が余計な猜疑心を呼び起こさずにすむ。
ハンナはその一冊を大事そうにより分けると小さな袋を一つだけ取り、残りのものを丁寧に元通りに戻す。羽目板もはめようとするとゲオルグが声をあげた。
「他にも高価そうなものは一杯あるけどいいの?」
「必要ないわ。下手に高価なものを持っていても誰かの欲望に火をつけるだけよ」
「そうだけど、この写真見てよ」
ゲオルグが苦労しながら手帳を開いて見せる。その写真の少女の耳に飾ってあるものと同じイヤリングを前脚で指し示した。
「ほら同じものだよ。身に着けていた方が自然じゃないかな」
「装飾品なんてつけたり付けなかったりよ。いつも同じ物を付けてる方が不自然。それに私もそこまで無神経じゃないわ。あなたも感じるでしょ」
「うん。まあね」
「ちょっと残された思念が強すぎる。こんなの装着したら頭がおかしくなりそう。身分証明書があれば十分。さあ、行きましょう」
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