第34話 小屋の中

 ぎいっと軋む扉を引いて開ける。微かな異臭を感じた。目が慣れてくるとハンナは喉の奥で声にならない悲鳴をあげる。小屋の中にはいくつもの死体が折り重なって何も映らない目を天井に向けていた。


「無人じゃ無かったね。もう息はしてないけど」

 ゲオルグが場違いなことを言ったお陰でハンナは我を取り戻す。中に入って扉を後ろ手に閉めた。10数体の老若男女の物言わぬ虚ろな顔にハンナは言葉が出ない。


「いったい、ここは何だろう? 死体の仮置き場って感じでもないけど」

「分からないわ。でも、これで服の心配はしなくて良くなったわね」

「本気じゃないよね? まさか服を剥ぐつもりじゃないよね?」

「……死者は気にしないわ」


 ハンナは無表情で自分と背格好が同じものを選び出す。体つきが近い相手の上に覆いかぶさった中年男性の大きな体を動かすのに苦労した。抱えるときに髪からきつい匂いがする。整髪料か何かのものだが鼻を刺す香りにハンナは顔を背けた。頭皮の脂と交じり合った刺激臭にうっとなる。


 若い女性はなぜか服を着ていないので、年かさの女性や男性のもののうち状態のいいものを組み合わせて着る。取り立てて目立つところは無い品だ。遺体のほとんどには外傷がなく血で汚れていないことに内心で感謝する。心の中で服を剥いだ相手に御免なさいと詫びた。


「ハンナ、大丈夫? 顔色が悪いけど」

「ありがと。これを見て平然としていられない程度には正気。本当は埋葬してあげたいけど、ちょっと無理そうね」

 ハンナは脱いだ自分の服を小さく畳むとバッグの中にしまった。


 もう一度だけ遺体に目をやると頭を下げて冥福を祈り、外の気配を探ってから扉を開ける。錠をおろして元通りにすると、先ほどまでの行程を逆に戻って本道に出た。先ほどよりもやや激しく雪が降り始める。これで歩いてきた痕跡を消してくれるだろうことを期待する。


 しばらく、無言で道を歩いて行く。途中で遠くに乗合馬車が見える。肩にいたゲオルグを引っ掴むとバッグの中に放り込む。ゲオルグは抗議の声をあげていたが、ハンナに言い含められて大人しくなった。歩いているうちに近づいてきてすれ違う。人の良さそうな御者が速度を落として声をかけた。


「こんなところでどうしたね?」

 ハンナの口からドミニータ語が飛び出す。寄宿学校での教育の賜物だった。

「仕事先から家に帰る所なの。馬車が来ないからじっとしてられなくて歩いてきたら雪に降られちゃって」


「無茶するなあ。冬場は便数が減るんだ。この馬車は2日後にならないと戻ってこないよ」

「足には自信があるの」

「そうか。日暮れまでにはオータンの村につくのは難しいかもしれない。気を付けてな」

「ありがとう」


 夏場に比べれば少ないとはいえ、馬車賃を節約して歩く人はいるのだろう。あまり怪しまれずに済んだことに胸をなでおろしハンナは歩みを続ける。バッグの中でゲオルグが暴れだしたので留め金を外してやると、ぴょこんと顔を出した。


「ボクのことを忘れてたでしょ?」

「そんなことはないわよ。考え事をしていただけ」

「さっきの小屋の事?」

「そう。外傷はなかったし、特に病気にかかっているとも思えなかった……」


「ということはどういうこと?」

「冬場だから傷む心配はないけど、さっさと埋葬するなりすればいいのにそうしないということは、殺されて隠されていたとしか考えられないわ。そして、どうしてあんなところに無造作に積み上げてあるのかしらね」


「冬場で穴を掘るのが面倒なのかも」

「そうかもしれないわね」

「それよりも自分の心配をしないと。どんどん遠ざかっているんだからね。あそこの仲間入りなんてしたくはないでしょ?」

「そうだったわ。まずはそちらを解決しないとね」


 それからしばらくは無言で歩みを進める。この先にあるという村にたどり着いて少し休息を取りたかった。気を張り詰めたまま一晩を過ごしたので疲れが溜まっている。雪は時折激しくなったり、ちらつく程度になったりを繰り返していた。ハンナの目に一軒の家が見える。


 太陽が出ていないので正確なところは分からないが、まだ昼にもなっていないはずだ。歩くのが早いとはいっても、まだ村に着いたとは考えられない。ハンナはゲオルグに言い聞かせる。

「悪いけど中で大人しくしておいてね。猫を連れて歩いているなんて怪しまれちゃうから」


 バッグに留め金をかけて、視線を前に戻し歩いて行く。家の通りに面した側のカーテンが動いたような気がした。近づいて行くと、割と構えの大きな家の扉がさっと開く。中から髭を伸ばした血色のいい初老の男性が顔を出す。

「お嬢さん。こんにちは」


 家の中からは暖かい光が漏れている。それを遮るようにしてもう一人の人物が戸口から出てきた。真っ赤なスカーフを頭に巻いた女性だった。年は男性とほぼ同年代のように見える。優しそうな表情でハンナを中に誘った。

「こんな雪の日に歩くのは難儀じゃろう。少し休んで行かんかね」


 ハンナが立ち止まると二人は腕を広げて歓迎する仕草をする。

「これからだと、日暮れまでにはオータンの村にはつかぬじゃろう。2食付いて暖かい部屋で眠れてたったの19ギルター。オータンの村の宿屋と大して変わらぬ値段じゃよ。こんな天気じゃ、ここで1泊するのも悪くないと思うがのう?」

 





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る