第30話 危急存亡の秋
「では、ブリーフィングを始める」
アクス大佐の副官がいつものように真面目な顔で型通りのセリフを言った。20人ぐらい入れる部屋にバラバラに座っている魔女達だったが、ハンナの横にはシーリアがくっついて座っている。アリエッタが意味ありげな視線をハンナに送った。
いつもは各隊別に呼ばれるのに今日は第5飛行隊と一緒ということだけで、面倒事ということが知れる。第5飛行隊隊長シェールの怜悧な顔を見ながら、ハンナは心の中だけでクスリと笑い勝手な親近感を抱く。へえ、今はあんな感じだけど、昔はアリエッタ隊長にねえ。
「中央方面軍からの支援要請だ」
アクス大佐が切り出したのでハンナは意識を前の壁の地図に戻す。北から南へとほぼ直線で引かれたファハールとドミニータの勢力圏を分ける境界線だが、中央の一部が大きくファハール側に凹んでいた。
機動力はないが、防御力に優れた中央方面軍がこんな形で押されているとは珍しい。しかも、森林地帯で大規模な部隊の運用が難しく、陣地を築いた防御側が有利な場所だ。
「ドミニータの新型装甲獣に力負けしているそうだ。装甲が厚くバングル砲では表面に汚れをつけるのが精一杯。その装甲獣の横列展開でじりじりと迫られて陣地をいくつか失陥したということだな。両軍とも援軍を派遣してにらみ合いが始まってるが、補給が終われば再侵攻が始まるというのが大筋の見方だ」
「どこまで押し込まれそうなんですか?」
「さあ、100か、200か。それ自体も問題だが、北部方面軍が孤立する恐れがある。そうじゃなくても海軍との連携作戦で劣勢だからな。そのまま北西部の広大な地域を失い、そのまま大きく事態が動く可能性がある」
アクス大佐は婉曲表現をしたが、大きく事態が動くとは負けるということだった。戦いは勢いが決めることがままある。今回の攻勢が長く続いた戦争の帰趨を決める可能性にハンナは背筋を伸ばした。ファハールが敗戦するということになれば、魔女達に悲惨な運命が待っていることは明らかだ。負けなくても不利ということになれば、講和の条件として贄とされる恐れもある。
「この戦いは重要だ。そのため、今回は特別に2隊で対処してもらうことにする」
「その分、通常の哨戒飛行が疎かになりますが」
「やむを得ないな」
「陸軍さんが手も足も出ない相手だとするとこちらの武器も歯が立たない可能性がありますが?」
魔女たちがじっとアクス大佐を見つめる。
「敵もなかなかに懐事情が厳しい。正面はこれだけの厚さで守っているが」
アクス大佐は親指と人差し指を広げて見せる。誰かが口笛を吹いた。無理もない。この基地に配備されている投下魔法でも破壊するのはまず不可能だった。
「側面はそれほどの厚みはないし、後方は更に貧弱だ。ケツからぶち込んで吹っ飛ばしてやればいい。鈍足の陸軍には無理でもお前達ならできるだろう?」
「いやあん。大佐ってばお下品」
少女たちが一斉に黄色い声をあげた。
きゃあきゃあ声をあげる8人の魔女達だったが、その声の中には微かな不安が混じる。後方に不安があるということはドミニータも把握しているはずだし、その方面に対策をしているのは間違いなかった。飛行隊の強さの一部はイニシアティブを握っていることにある。制約下での作戦となればそのアドバンテージを失うことになった。
「調べによれば、飛行蜥蜴とオーニソプターが低高度を警戒しているそうだ」
「それじゃあ、ハンナの出番だね。高高度からの急降下で片をつければいい」
アリエッタが振り返ってハンナにウィンクをする。そうだ。ここには飛行隊で一番のイカれたエースがいる。皆の顔に安堵が戻りそうになるが、それを打ち砕くアクス大佐の声が響いた。
「話は最後まで聞け。敵陣の後方には空中戦艦が2隻配備されている。わざわざ2隊出すのはそういうことだ」
魔女たちは顔を見合わせる。先ほどまでの黄色い声は聞こえない。1隻でも面倒なのに2隻が連携されるとなると非常にやっかいだった。
「もっと早くというのは毎度のことだが……、今さら言っても始まらん」
アリエッタが手を挙げた。
「もう1隊出せませんか?」
「余裕が無い」
「いえ、第6か第7飛行隊で構いません」
「それこそ犠牲が増えるだけだろう?」
「攻撃はうちと第5が引き受けます。もう1隊には派手に目くらましだけをしてもらえれば結構です」
アクス大佐は思案顔になる。
「陣地に引きこもった装甲獣を攻撃するのは困難です。特に今回の標的はこちらに打てる手が限られます。少しでもこちらも数を揃えないと単調な手ばかりになってしまい、思わぬ被害が発生するでしょう」
「分かった」
アクス大佐は副官を振り返る。
「通常任務のローテーションからすると出撃できるのは第7飛行隊です」
「そうか。では至急呼び出してくれ。それまで諸君はここで待機するように」
アクス大佐が副官を連れて出ていくと、大きなトレイを持ってギルクリスト爺さんが顔を覗かせ、湯気をあげるマグからいい匂いが立ち上った。
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