第26話 審問会
静謐を取り戻した室内に満足したサムソノフ大佐は、うるさい魔女達を静かにさせられるアクス大佐への感嘆の思いを隠して審問を再開する。
「ルー大尉。弁護人を指名できるがどうするね?」
「要りません」
「大尉。自分がなぜこの場所で被告席に立たされているか重大性を理解しているのかね?」
「その点については全く理解できませんが、自分の弁護ぐらい自分で出来ます」
「よかろう。被告人は自分の意思で弁護人選任の権利を放棄した。記録に留めて置くように」
サムソノフ大佐は傍らの書記官に命ずる。
「さて、検察官役のガリシア大尉、被告への質問を許可する」
眼鏡をかけて怜悧な印象の参謀風の男が立ち上がる。手にしたバインダーから目を上げるとハンナを見据えて一礼した。
「ルー大尉。それでは役儀ゆえ質問をさせてもらいます。フルネームと生年月日、出生地をお答えください」
それから15分ほどは退屈なハンナの略歴確認の為に費やされる。紺色の集団は静かにしていたが欠伸をかみ殺す者もいた。一方の魔女の集団からはヒソヒソ声が上がる。それでも可視聴領域に届くか届かないかの声だったので、サムソノフは黙殺した。せっかく順調に進行しているのにそれを止めることはない。
「それでは、ルー大尉。あなたは先月の大嵐の夜に規則を破って基地の外に出かけましたね。それは何故ですか?」
「牛乳を飲むためです」
会場から失笑の声が沸き起こる。
「それは……ずいぶんと突飛な理由ですが、本来の目的を隠すためのものと考えれば納得ができます」
ガリシアは一度言葉を切った。
「あなたの本当の目的は、この男性のピックアップだったのではありませんか?」
ガリシアは引き延ばされた写真をハンナに提示する。細面の気弱そうな青年がはにかんだ笑みを浮かべていた。
「見覚えがありません」
「そうですか。この男性は気象部のジョシュア・トーア氏です。本当はご存じでしょう?」
「いえ。本当に会ったことはおろか見たこともありません」
「まあ、いいでしょう。あなたは共犯者からトーア氏を受け取り、基地に戻って軍用機を盗み出してトーア氏を載せて飛び去った。ドミニータに売り渡すために!」
「いいえ。違います」
「何が違うというのです? ファハール王国の財産であるコーラルⅢ機を盗み出すというだけでも重罪です。それだけのことをしようというのだから、それなりの重大な目的があったとしか考えられません。それとも他に何かあったとでも?」
ガリシアの揶揄するような口調にハンナは口を開かない。
竜の子供に会いに行ったという真実を告げたところで仕方がない。この退屈な裁判ごっこが何を意味するのかということぐらい痛いほどにハンナは理解していた。何としてでも、あの写真の男性であるトーア氏をハンナが連れ出したということにしたいらしい。
そこへ竜の子供の話を持ち出したところで、それを証明する術がハンナにはないのだ。しかもそれを明らかにすることで竜の討伐ないし捕獲のための作戦が展開される恐れがある。魔女と違って、一般の人々には竜に対する恐れはあっても畏敬の念はない。
黙りこくってしまったハンナに対して視線が集中する。この際、沈黙は肯定の意ともとられかねない。急いで何らかの理由をでっちあげる必要があった。
「私があの日、空を飛んだのは……」
ハンナはあの日のことを思い浮かべる。
ロムルスに照らされた雲の上はなんと心地よかったことだろう。それに引き換えて、この地上のなんと下らないことだろうか。あの夜の静寂と淡い緑色を帯びた光の下での単独飛行を思い出すだけで、体の内側に力が漲って来るのを感じた。ハンナは真っすぐに顔を上げる。
「私が魔女だからです」
ひどく断定的に言いきるハンナにガリシアはだから何だという表情をしてみせる。
「確かにあなたは魔女だが、だからと言って……」
「いいえ。あなたは魔女というものを理解していません。魔女は空を飛ぶから魔女なのです」
「いま、ここで魔女の有りようについてあなたと議論するするつもりはありません。確かにあなたのいうとおりだとしても、他の方々は飛ばなかった」
ガリシアが傍聴席の一角を占める黒い一団の方を指し示す。
「なのに、あなただけが飛んだ。その理由を伺っているのです」
「長く眠る人も短い人もいるように、魔女にも空への想いの強弱があります。私はそれがちょっと強いだけ。あの時は嵐のせいでしばらく空高く飛ぶことが出来ませんでした。それで、チャンスがあったので飛んだ。それだけのことです。他の魔女も遅かれ早かれ、空へ上がって行ったでしょう」
ハンナは自分の後方で魔女たちが賛同の声を漏らすのが収まるのを待って言葉を続けた。
「それに私が空を飛ぶ理由なんてどうでもいいでしょう。私を告発しているのはあなた方です。ならば、その内容を推論ではなく証明する義務はあなたにあります」
ハンナは笑みさえ浮かべてガリシアの目をじっと見つめ、ガリシアは平静を装いながらも頬に固い線が浮き上がるのを押さえることが出来なかった。
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