第23話 カンタリオン

「ねえ、ハンナ。最後まで見届けないで良かったの?」

 ゲオルグが問いかける。

「あの飛行船のこと? 地上に降りたら、色々と聞かれて面倒そうだし。私はもう好奇心は満足したからいいかな」


「あっそう」

「何よ? 何か問題ある?」

「ボクに不満はないよ。ただ、あの人たちが気の毒だなってちょっと思っただけ。まさか私用で遠出中のハンナに見つかったせいで計画が台無しとかさ」


「良く言うわよ。そのきっかけを作ったのはゲオルグ、アンタじゃない。私の目では見つけられなかったんだから」

「そういや、そうだったね」

「まあ、いいわ。それよりカンティが呼んでる」


 ハンナがコーラルⅢのスピードを上げて、いくつかの島々の上空を通過した。どの島も緑が濃く、人の手が入っていない。派手な色の大きな鳥が集団で空を舞っていた。しばらくすると噴煙をあげる山がそびえる大きな島が見えてくる。ほんのちょっとの間過ごしただけなのにハンナの胸に懐かしさが溢れた。


 どんどん大きくなってくる山の中腹から何かが勢いよく飛び立つ。飛び立った何かは一目散にハンナ目掛けて向かってくる。ほんの点だったそれはみるみるうちに赤銅色の翼が生えた生き物の姿になった。

「カンティ!」


 ハンナが呼びかけると、カンタリオンはぎゃおぎゃおと鳴きながら、空中に停止したコーラルⅢの周りをぐるぐる回る。興奮冷めやらぬ様子の竜だったが、やがてゆっくりとした動作になり、空中に留まると鼻づらをそっとハンナの方に差し出した。


 ハンナが手を伸ばして、目の周りを撫でてやると鼻を膨らませ、満足そうな吐息を吐き出す。

「マ…マ……」

 カンタリオンは苦労しながら言葉を紡ぐ。


 ハンナは目を見張った。そして、胸の内にあふれ出す暖かい気持ちに優しい笑顔を見せる。竜は口腔の構造や舌の形状からヒトの言葉を話すのはとても難しい。精神的な絆ができているので、無理にヒトの言葉を話さなくても意思疎通はできるにも関わらず、カンタリオンは言葉を発しようとしているのだった。


「カンティ。あなたはとても賢い子ね」

 ハンナの言葉を聞いたカンタリオンは口を開けると長い舌を伸ばして、ハンナの頬をペロリと舐める。べとりとした粘つくものが頬を濡らし、本来なら不快なはずなのにハンナにはちっとも気にならない。


 注意深く観察するとカンタリオンの体は一回り以上大きくなっていた。鬼虻に傷つけられた翅もすっかり癒え、ゆったりと羽ばたく姿には風格のようなものも感じられた。


「体も大きくなったわね」

「カンティ。いっぱい食べた。デモ、もっともっと食べて大きくなる」

 大きくなってママみたいに強くなるんだ。無邪気にそういうカンタリオンの首をハンナはそっと抱きしめる。


「ママに教えてもらった場所いいね。あの痒い痒いイヤな虫がいなくなったんだ。暖かいし、よく眠れるんダヨ」

「それは良かったわね」

「うん。ママありがとう」

 また、舌が伸びてきてハンナの頬をぺろんと舐めた。


 それまで首を縮めて自分のシートにへばりついていたゲオルグをカンタリオンが見つけ、そちらに顔を動かした。途端に、ゲオルグは全身を総毛立て、しっぱをピンと伸ばした。舌が伸びてきてゲオルグの顔を舐めあげる。

「うひゃあ」


 べっとりとした唾液がついてゲオルグは悲鳴のような声をあげた。もう虚勢を張る余裕がなくなったのか、一足飛びにハンナに飛びつくと黒い服に爪を立ててよじ登り、その背中に隠れた。ハンナはその姿を見てクツクツと笑う。カンタリオンは驚いたような声を出した。


「小さい黒毛玉。どうかしたのか?」

 ついに堪えきれなくなったハンナは腹を抱えて笑い出す。目尻に涙をためて笑い転げた。

「んふ。ゲオルグったら、いつもの元気はどうしたの? 怖い物なんか無いって顔をしてるのに」


「ハンナ。ボクは自慢の毛並みがベトベトするのが我慢ならないだけさ」

「あら。カンティがせっかく親愛の気持ちを表してるのに」

「ハンナはツルツルだからいいけど、ボクは毛がくっついちゃったよ」

「ちょっと、服に擦り付けないで。あとで拭いてあげるから」


 目を見開いて、ハンナとゲオルグのやりとりを見つめていたカンタリオンはちょっとだけ体を小さくする。

「小さい黒毛玉。カンティのことキライか?」

「違うのよ。ゲオルグは毛が長いでしょ。濡れると嫌なの。カンティのことはもちろん大好きよ」


 カンタリオンは嬉しそうに首を伸ばす。

「カンティ。ママ大好き。黒毛玉も好き」

「ええ。私もカンティのことが大好きよ」

 カンタリオンは大きく羽ばたくと再びコーラルⅢの周りをぐるぐると回り始めた。


「ママ。カンティ、水に入るのも上手。見ててね」

 一声叫ぶとカンタリオンはすーっと海面に向かって滑空を始める。ハンナも慎重に高度を下げていきながら、赤銅色の姿を目で追った。スピードを上げたカンタリオンは水中にザブンと飛び込む。しばらくして海面に顔を出したときには、大きな魚を咥えていた。


 羽ばたいて濡れた体を空中に持ち上げようとするカンタリオンの後方の海面に白い泡が波立つのが見える。ハンナの肩から顔を出したゲオルグが叫んだ。

「大変だ。大巻貝潜りだよ。危ないっ!」

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