第20話 無許可飛行

「ああ、やっぱりここの牛乳が一番ね。ご馳走様でした。代金は基地の方に請求してください」

 満ち足りた表情で言うハンナをゲオルグは見上げていた。人の好い酪農家だったから良かったものの、と思うが文句を言うのは控える。


 天候の悪い夜遅くに現れて、自分の家で生産している牛乳を飲ませろという魔女が現れたら、大抵は騒ぎになるはずだ。血の気の多い人なら拳銃を取り出したかもしれない。銃を向けられればハンナも大人しくしていたとは思えず、大惨事になったかもしれない。


 さっきまでの不機嫌さが嘘のように箒を操るハンナは斜めがけした大きなズタ袋の中の容器を袋の上からそっとなでる。たらふく飲むだけでなく、大きめの容器に詰めてもらっていたのだった。これからハンナがやろうとしていることに必要な量はある。


 アーウルト基地に近づくとハンナはゲオルグに宿舎ではなく、格納庫への進路を命じた。

「えっと。満足したからベッドで寝るんだと思っていたけど」

「当分、ベッドでは寝れないわよ」

「……まさか」

「何を考えてるか知らないけど、たぶん当たり」

 

 魔女と使い魔は精神的な結びつきが強い。考えていること全てを見通せるわけではなかったが、それなりの精度でお互いの思考を推測できることができた。

「軍用機かっぱらって、あの竜に会いに行こうってわけじゃないよね?」

 そう問いながら、ゲオルグは間違いなくそうだと確信していた。

「正解。だけど、ちょっと違うわ。かっぱらうんじゃなくて借りるだけよ」

 

「ねえ。そんなことしたら、また営倉行きだよ。暗くて、狭くて、くっさーい」

 ゲオルグの必死の説得は功を奏さなかった。

「大丈夫よ。どうせ、5日ぐらいでしょ。一度経験してるから平気だもの」

「ああ。ボクはもう知らないからね」


 格納庫脇に箒を下ろすとハンナはぴょんと飛び降りた。入口脇のロッカーに箒をしまい、格納庫への扉に手をかける。ハンナの魔力に反応して鍵が開き、取っ手を引いて中に入る。ここからは急がなくてはならない。きっと、格納庫に誰かがいることを検知して司令部から調べに来るはずだ。


 滑走路に面したスライドドアの脇に行くと、クランクを力いっぱい回し始める。重い扉が少しづつ開き始め、外から風が吹き込み始める。コーラルⅢが十分に通り抜けられる幅ができると、ハンナは乗機に向かって走っていく。鐙に足をかけて飛び乗ると手早く準備をした。


 さっきまで文句をぶつくさと言っていたゲオルグも諦めたのか、壁の所に行きコーラルⅢを乗せた台車を牽引するボタンを押す。ゆっくりと動き出したコーラルⅢからハンナの声が飛んだ。

「ゲオルグ。早く」


 その声に続き、ハンナが口の中で呟くと見えない力がゲオルグをすくい上げて、ハンナの前の小さなバケットに押し込む。

「もうちょっと優しくできないの?」

 抗議の声はハンナに無視された。


 ゲオルグの毛を逆立たせるチリチリとした感じがコーラルⅢの周囲に形成される。ハンナが力場を展開したのだった。格納庫から鼻先を出したコーラルⅢに風が吹き付け機体を揺らすが、ハンナ達がその風を感じることはない。不意に基地内にサイレンの音が鳴り響いた。


「バレちゃったみたい」

 遠くから強い光が左右に揺れながら近づいてくるのが見えた。警備兵の一団だ。

「でも、もう手遅れね」

 ハンナは嬉しそうにつぶやく。コーラルⅢは滑走路の飛行開始ポイントに差し掛かったところだった。


 牽引索がガクンと揺れ、グンと力強くコーラルⅢを引き始める。胃がせりあがってくるような不快感が数瞬続き、ハンナは3本の箒へ推力を供給する。一直線に空に向かって駆けあがった。風が機体を揺らし進路がぶれるが気にしない。上へ上へと飛び分厚い雲に突入する。


 上昇気流の発生している場所を見つけるとその流れに任せるように、機首をほぼ垂直にして最大加速で突き進む。不意に視界が開けて、ハンナは箒への魔力の供給をストップする。夜空にロムルスが青と緑の輝きをまとって浮かんでいた。ハンナは水平飛行に移り、進路を東に向ける。


「ふふう。まだ頭がクラクラするよ。ロムルスまで飛んでいくのかと思っちゃった」

 ゲオルグのぼやきにハンナは笑い声をあげる。

「それもいいわね。息を止めていられるなら行ってみたいわ」


 上空高いところまでいくと空気が薄くなり呼吸が苦しくなる。力場を最大で展開すればしばらくは持つがそれでも限界はあった。

「じょ、冗談でしょ?」

「行ってみたいのは本当よ。でも、この機体じゃ無理ってのも分かってるわ」


 ゲオルグは安堵のため息をもらす。

「もしかしたら行けるかも、とか考えないでよ。ボクはそんなことでハンナと一緒に死ぬなんてゴメンだからね」

「さっきもそんなこと言ったわね。冷たいなあ」


「当然でしょ」

「この間聞いたんだけど、箒をたくさん搭載した大型の機体を開発してるんですって。ロムルスまで飛んでいけるかもって話よ。なんだかワクワクしない?」

「全然しないよ。それよりもあの竜のいる島なら、もう少し北よりだね」

「了解。頼りにしてるわよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る