脱走

第19話 悪天候

 ハンナは不満を募らせていた。まずは気象部が天候制御をしくじったことが始まりで、アーウルト周辺ではこの3日ほど大雨と強風が吹き荒れている。本来なら秋口のこの時期に発生する前線はもっと北に押しやってなければいけないのだが、近年稀に見るドジを踏んだらしく高気圧魔法に失敗したのだった。


 その結果として、アーウルトの上空では箒による飛行ができないほどの風が常に吹いており、魔女たちは宿舎から外にでることが出来なかった。ほとんどの魔女は臨時の休暇を歓迎して惰眠を貪ることに忙しい。その例外がハンナだった。先ほどから広くもない部屋の中を箒でグルグルと回っている。


「ねえ。ハンナ。檻に閉じ込められた野生動物みたいだよ」

「だから何?」

「見ているボクが目が回りそうなんだけど」

「だったら目を閉じて寝てればいいじゃない」


「いつボクの上に落ちてくるか分からない状態で寝れるほど神経は太くないんだよ」

「よく言うわね。箒の牽引索ほどのふっとい神経してるくせに」

「あーあ。早く晴れてくれないないかな。ボクを責めても仕方ないよね。魔法をしくじったのはボクじゃないんだから」


「そんなの分かってるってば。だけど、イライラが止まらないの。それというのも……牛乳がないからなのよっ!」

 悪天候により麓からの物資の輸送も滞り気味だった。特に日持ちのしないものの影響が大きい。ハンナにとっての生きる糧である牛乳もその一つだった。


 魔女になると特定の物に対する極端な嗜好が発生する場合が多い。シーリアにとってのチョコレートであり、ハンナにとっての牛乳である。それらの品を摂取することができないと不満が募る。そうならないように十分な配慮がされていたがそれでも支障がでることはあるのだった。


 少し風雨が収まったため物資の輸送が再開され、ようやく2日ぶりに牛乳を口にできたハンナだったが、今度はその味が気に入らない。まるで水で薄めたような濃度の低いサラサラとした液体は全くハンナを満足させるものではなかった。

「こんな水みたいに薄いものを牛乳と呼ぶなんて、牛に対する冒とくと思わない?」


 ゲオルグは顔を洗うとフワアアと真っ赤な口を見せて大あくびをする。

「無いよりはマシじゃない?」

「そうだけどさ。こんなんじゃ満足できないわ」

「そうなんだ。魔女ってのも大変だねえ」


「なに他人事のように言ってるのよ。これから出かけるわよ」

「冗談でしょ。少しは収まったとはいえ、まだ風も強いし」

「雨が降ってなければ問題ないわ」

「で、どこに行こうっていうのさ」


 ハンナは農場の名を告げる。一番お気に入りの牛乳を生産している場所だった。

「じゃあ、行ってらっしゃい」

 ハンナは一旦箒から降りて柄を手に握ると反対の手でゲオルグの首根っこをつまみ上げた。


「夜間飛行しようってんだから、あなたも来るのよ」

「暴力反対。誰か助けてえ」

「ほら、馬鹿なこと言ってないで、大人しくなさい」

「どっちが馬鹿なこと言ってるのさ。夜間に勝手に外出したら、またこってり絞られるよ」


「そんなことはどうでもいいのよ。私にとって大事なのは飛ぶことと、牛乳、それに、ゲオルグ、あなたなんだから」

「なんか都合のいいときだけ、そういう事いうよね、ハンナって」

 とか言いながら満更でもないのかゲオルグは大人しくなる。


「あ、そうだ。あとはカンティもね」

 ハンナは付け足す。

「元気にしてるかなあ?」

「そりゃ、元気にしてるでしょ。竜なんだから」


「だって、まだ子供だよ」

「心配しなくったって大丈夫だよ」

「あ、いい事思いついちゃった」

 ゲオルグはぶらんとハンナの手から垂れ下がりながら心底うんざりした声を出す。

「絶対、ろくでもないことだ」


 鼻歌を歌い始めたハンナはゲオルグの声が聞こえないかのように戸外に出る。まだ、風は強かったが自分なら大丈夫だろうと判断して、箒を横たえ準備をする。ゲオルグを放すと諦めたように大人しく柄の先にちょこんと乗った。

「さあ、行くわよ」


 ハンナは弾んだ声で箒に浮揚の力を与える。

「マグレブ!」

 自分も箒に跨ると力場を展開し、魔力線からの力を引き出すと解放した。一気にぽーんと上空に放り出されて、慣れているはずのゲオルグも目を白黒させる。


 そのまま、箒を南に向けると加速した。

「ハンナ、前方に山。右40に転針して」

 シーリアの髪よりも黒い闇の中をハンナの箒は疾走する。強い横風を受けて流されそうになるのを修正しながら飛んだ。

「ちょっとスピード落としてよ。ハンナと一緒に心中は御免だからね」


 ほんの少し速度が落ちたことで余裕ができたゲオルグはハンナに質問する。

「ところでさ、疑問があるんだけど」

「ゲオルグ、なーに?」

 久しぶりに低空とはいえ、空を飛んだことで気分が良くなったハンナが明るい声を出す。


「こんな夜遅くに訪問するのは農場にも迷惑だと思うし、そもそも牛乳の代金は持って来たの?」

「ないわよ」

 あっけらかんと言うハンナにゲオルグはため息をつく。

「猫のボクが言うのもどうかと思うけど、代金を払わないのは泥棒って言うんだよ」

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