第7話 幼い竜
ハンナは次々と竜の鱗に氷の花を咲かせる。こちら側が終わると箒を一旦竜の下にくぐらせ、反対側に行き同じ作業を繰り返した。今や、竜はすっかりと寛いだ様子でゆっくりと羽ばたきながら長い首を伸ばして、軽くハンナの体に顔をこすりつけている。そして、赤い舌を伸ばしてハンナの頬をペロリと舐めた。
「ああ。あの子の蚤取りしてあげてるんだ」
シーリアの声で皆は納得する。竜の固い鱗の隙間から鋭い口吻を刺して吸血する巨大な蚤は、確かに竜にとって煩わしいものではあった。きっと海に飛び込んで蚤を殺す方法を習っていないのだろう。
「ガオ」
竜の声が甘えたようなものになる。
「隊長。この子を東の島まで連れて行ってきます」
ハンナはすぅっと竜の前に出て振り返り鼻先に手を伸ばした。
「チャム、ノア、キルトーマ」
声をかけると赤竜は羽ばたきの数を増やしハンナについて行こうとする。
「ハンナ。勝手なことをするな」
アリエッタはハンナを制止しようとその進路を塞ぐように乗機を空中に止める。そのアリエッタの機体に対して、大きな塊が突っ込んできてアリエッタは機体をロールさせ回避した。
「ネ、ネ。ドンナ、オシーラ、ドーラス、ピオ」
アリエッタに対して牙を剥きだす竜に近寄るとハンナは目の側を撫でてやる。すぐに落ち着きを取り戻した竜は喉を鳴らした。
「隊長。ごめんなさい。この子すっかり私に懐いちゃったみたい」
「まあ、いい。それじゃあ、すぐに出発するんだ。ただし、ちゃんと東の島に置いて来るんだ。間違っても連れて帰って来るんじゃないぞ」
「分かってます。ちょっと行ってきます」
スピードを上げ始めたハンナに竜は一生懸命に翅を動かすと遠ざかっていった。
「いいんですか。隊長」
「仕方ないだろ。2対3で空中戦なんかやりたくないからな」
「それ、ちょっとやってみたかったかも」
「これ以上、心配事を増やさないでくれ。それじゃあ、帰投するぞ」
***
「ぬわんですってえ?」
帰投して報告したアリエッタに対してアクス大佐は唾を飛ばさんばかりにして詰め寄った。
「鬼虻38体を撃破しました」
「それはいいわ。その後よ。幼い竜の個体と麾下の魔女が編隊を離脱して飛び去るのを許すとか何を考えてるの?」
「しかし……あの状況では最適の選択だったと思いますが」
「どこが最適なの?」
アリエッタはじっとアクス大佐の目を見た。アクス大佐はすぐに目をそらす。かつては魔女として自分自身も飛んでいた身として、竜を墜とすという選択肢を取りたくないという気持ちはわかる。それを命じたら最悪、隊内で戦闘が始まる可能性もあったということも理解できた。
「ルー中尉のコーラルⅢは着陸したら自力で離陸するのは困難よ。幼い竜をハガン島辺りに誘導したとして、下りたら戻ってこれなくなる恐れがあるわ」
「まあ、それはルー中尉が自分でなんとかするでしょう。できなければ、任務中に行方不明で少佐に2階級特進するだけですね」
さらりととんでもないことを口にする部下にアクス大佐は眉間の皺を深くする。
「冗談としても面白くないわね」
「非常用高カロリー食も携行していますし、何かあっても当面は生き延びられるでしょう。使い魔も一緒ですから悪天候も心配ありません」
「情にほだされて、幼竜と別れられなくなることは心配しなくていいの?」
「アクス大佐のことは良く理解していますから」
「つまり非情な私が竜を殺すよう命令するから、ここには連れてこないということ?」
アリエッタは沈黙を保ち、さりげなく肯定の意を伝える。
「ルー中尉が自らの意思で戻ってこない可能性は?」
「ハガン島でもどこでもいいですけど、東の島に乳牛は居ないはずです。だとしたら、ここに帰ってきますよ。必ずね」
「それじゃあ、どれくらいルー中尉が戻ってくるのを待てばいいのかしら?」
「非常用携行食が無くなる2週間てとこでしょうか」
「その間、第3飛行隊はどうするの?」
「通常の哨戒任務であれば問題ありません。先日のヘドセンバーグのような任務であれば……他の隊に割り振って頂く必要があるかもしれませんが」
「いいでしょう。ドミニータも北部戦線で無理をし過ぎて、少し部隊を下げて再編中だし、我が国の陸軍も増強済み。当分はこちらに支援要請が来ることはないでしょう。他の隊へは……」
「もちろん。大佐を煩わせるつもりはありません。私の方から話しておきます」
「それで、納得してもらえるの?」
いつも喧嘩や騒ぎばかりを起していて、決して仲がいいとは言えない各隊の関係を思えば、一人の身勝手で自分たちの負担が増えるのを是とするとも思えなかった。アリエッタは笑みを見せる。
「ルー中尉が戻ってきたら5日ほど営倉入りだと布告して頂ければ、それで収まると思います」
「懲罰としては妥当なラインだけれども、それだけで納得するのかしら?」
「大佐も良くご存じのように、私たちは魔女ですから。営倉入りを覚悟して竜を助けるなんてロマンティックな行動を非難なぞしませんわ。自分がやりたかったと羨むことはあってもね」
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