褒美として与えられた自由⑩
修道院でのホスチアの騒ぎを起こしたジル達は、そのまま修道院に滞在する事を避け、修道院からさらに40km程北上した所にあるマリク伯爵家のマナーハウスに移動する事になった。
バザルはマリク伯領で管理する村であるため、顛末について説明するという目的もある様だ。
突然の訪問にも関わらず歓迎してくれたのはマリク伯爵家の執事で、ジル達はすぐにダイニングルームに通された。ハイネの考えで、ダイニングルームには身分の分け隔てなく、バザルの調査に関わった者達が集められる。そのため、帝都からここまで来た一行と魔女扱いされていたノラ、それからマリク家の執事がこの場に居る。
「ハハハ……、つまり私はマルゴットさんのホスチアで人体実験されたと?」
今朝マルゴットの焼いたホスチアを食べてしまったバシリーは、笑顔を引きつらせている。
「ええ、あのホスチアは薄力粉とライ麦を混ぜて作ったらしいのですけど、そのライ麦の中に、幻覚を見せたり、身体に強烈な痛みや痺れを起こす物があったのですわ。生産者毎にホスチアを焼き分けてくれた事で、どの畑から収穫された物か特定できる様になっていましたの」
マルゴットのホスチアを食べた8人のうち、3人が床に転がり、激しく苦しんだ。
薄くて小さめのホスチアを食べただけで、あそこまでの症状が現れるのは違和感があったため、ジルはマルゴットと同じ馬車に乗って、詳しい作り方を聞き出していた。
どうやら彼女は、ホスチアに効力が大きく高まる術をかけていたらしい。
彼女はどの生産者が作ったライ麦に問題があるのか明確になればそれでいいと考えているようだ。術をかけた結果、死人が出ようが再起不能になる者が出ようがおかまい無しらしい。
改めてマルゴットの恐ろしさに震える。
ジルはマルゴットがホスチアにかけた術については黙っておく事にした。ややこしい問題が出てくる可能性があるからだ。
「マルゴットさんの痛々しいぶりっ子に付き合ってあげなきゃ可哀そうだと思ったから、ホスチアを食べてあげたのに!!」
悔しそうな顔をするバシリーに、マルゴットはニタリと笑い、「なんでアタリ引かなかったかな」等と呟く。彼女の場合、バシリーのみならず、ハイネにも『アタリ』のホスチアを食べさせてやろう等と考えていそうなところがとても怖い。
「で、どの生産者が作ったモノが有害なのか判定した上で、アンタはどうするつもりだ?」
ハイネはテーブルの上に肘を付き、真っ直ぐにジルを見つめる。
彼の顔を見ると、まだ少々気まずいものの、その灰色の瞳に危険な感情の揺らめきが無いのを確認し、ジルは口を開いた。
「ホスチアを食べた事で例の症状が表れた方は3人。食べたホスチアに使われたライ麦粉と生産者を紐づけて、所有している畑を特定すると、どうやら全て村の北東に位置するようでしたわ」
「北東……。今回アンタが持ち帰ったライ麦を作った畑以外にも、状態異常を引き起こす作物が生える畑があるかもしれないと?」
「そう考えられると思いますわ。それが近くの畑の所有者同士が種を交換する事で起こってしまったのか、もしくは別の広がり方をしているのかまでは分かりません。ですが、村の北東エリアで収穫されるライ麦は、廃棄した方がいいのではないかと思うのです。村の為だけでなく、この国の為にも」
「そうだな。アンタの言う通り廃棄すべきだろう。だが村の北東エリアだけじゃ不安かな。……バザル村産の穀物類は当分の間、全面的に処分し、取引禁止とする事にしよう」
「ハイネ様のお考え、了解いたしました。この会議が終わり次第、経済連合会に向けて通達します」
ハイネの言葉に対し、バシリーはメモを取る。
話がまとまるごとに、ジルは村人の生活が不安に感じられてきていた。影響の大きさを考えるなら、ハイネの思い切った決断は妥当なものなのだろうとは思うものの、収入源が無くなる者達はどうやって生きていけばいいのだろうか? 胸が痛くてジルは思わず俯いた。
「村人達の生活に配慮して、代わりになる公共事業か、もしくは支援を考えておく」
自分の思考を読んだかの様なハイネの言葉に、ジルはハッと顔を上げた。
思いっきりハイネと目を合わせてしまい、お互い慌てて反らす。
早く普段通りに振るまいたいと思うが、どうにもうまくいかない。
(でも、ハイネ様、ちゃんと村人達の生活を考えてくださっているのね。良かった……)
ジルはハイネの顔を盗み見て、コッソリほっとする。
「領地で重大な問題を起こしてしまっていたのですね。上手く管理したいと思っているのですが、見逃してしまっていたようです……。全ては私が無能なせいでございます。お許しください」
マリク伯爵家の執事は今にも舌を噛み切りそうな程思い詰めた顔で、ハイネに謝罪する。彼には魔女狩り等の情報は伝わっていなかったのだろうか? 寝耳に水だとしたら凄く驚いただろう。少し気の毒になってくる。
「マリク伯爵家が後継者問題でごたついているのは知っている。だが、この領地で起きた事はハーターシュタインとの戦争に影響した。その責任を軽くするつもりはない」
「いくらでも罰は受けるつもりでいます」
「お前一人が責任をとれると? 思いあがるなよ。マリク伯爵家という名に対しての罰を与えるつもりだ」
ハイネはひれ伏す執事にはもう目もくれず、向かい側に座るジルに近寄って来た。
「どうなさいましたの?」
「散歩に付き合え」
「散歩? ……はい」
「お前達は各自休憩をとっていい」
ハイネの言葉に、侍従や騎士達が敬礼する。その前を歩く彼の後をジルは付いて行く。
エントランスから抜け、広い庭を2人でブラブラと歩く。
「アンタ、思ったより凄いんだな」
前を歩くハイネに唐突に話しかけられ、ジルは顔を上げた。
「何がですか?」
「今回の事だよ。これでハーターシュタインと再戦する計画を立てられそうだ。もう摩訶不思議な現象に怖がらなくて済むからな」
「お役に立てて良かったですわ。私ずっと、ハイネ様に命を救ってもらっている事に恩返ししたいと思ってましたの」
「恩返しか……」
ハイネは歩みを止め、ジルの方を振り返った。
同い歳の彼は出会った時、正直子供っぽいと思った。その言動も、見た目も、全て。
でも今対峙している彼は、少し大人びて見える。この短い期間の間に、彼を成長させる出来事がたくさんあったのかもしれない。
「アンタの立場の利用とか、同情する気持ちからアンタとの結婚を考えた。軟禁しとけばそれでいいと思ってた。でも今は違う。アンタにはちゃんとブラウベルク帝国と向き合ってほしい。自由に動いて、この国を良くしていってもらいたい」
「ハイネ様……」
「帝都に戻ったら、ハーターシュタインに対して、アンタが自分の意志で命を絶ったと伝える。ジルには大公とも、アンタの実家とも縁を切ってもらいたいんだ。その代わり、アンタにこの国の男爵位を授ける様に皇帝に進言するつもりだ」
あまりに急な申し出の為、ジルはハイネを茫然と見つめる。彼はジルとハーターシュタインを繋ぐもの全てを断ち切って、ブラウベルクの国民として生きよと言う。
そんな事が本当に可能なのかと、ジルは頭を揺すぶられる様に混乱するのだ。
大公の事、両親の事、色んな事が頭の中をめぐる。ハイネの声明により、両国の間に一体どういう変化があるのだろうか? 再戦の口実になるのだろうか? 両親とはもう一生会えないのだろうか?
とても怖いと思うのに、どういうわけかハイネの申し出を嬉しく思った。
大公に要らない女として、父親に要らない娘として、危険を承知で他国に出されたという事はたぶんジルにとって深刻な心の傷になっている。
その事と真剣に向き合ってしまったら、今後生きて行く事すら辛くなるかもしれない……。
だけどハイネは無価値とされたジルを認めて、必要としてくれた。国民として住む事を前提に環境を整えてくれるのだ。ブラウベルクで半端な立場に立たされていたジルは、今後、正当なプロフィールを持ち、堂々と暮らせるようになるだろう。ハイネの気遣いを理解すると、ジルの目からはポロポロと涙があふれていた。
「泣く程嫌か?」
「これは嬉し涙なのですわ! そこまでの厚遇が許されるなら、私を貴方が治める事になるこの国の国民にしてください」
「アンタの調査はそれだけ価値がある事だ。その働きに褒美を与えないわけにはいかないだろ? それに、アンタとは、もっとゆっくり親しくなっていきたい気もするし……」
「はい! 有難うございます!」
ハイネは夕陽を背負い、嬉しそうに笑った。
彼がちゃんと皇帝に就く事が出来る様に、国を豊かに出来る様に、出来る限り協力していこう。
ジルは心に誓った。
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