顔も忘れてきた頃合いだというのに、今更夫ヅラされても……①

 バザル村のライ麦については、政府の研究機関が改めて専門的に調査する事になり、結果を待つしかなくなったジルは少しだけ残念に思っている。しかしまだ大学院に入って半年も経ってないジルには、少々手に余る代物であるし、不用意に扱って、さらに被害が拡大する事になっても何の責任も取れないため、お任せする事にした。

 プロが携わったとしても、研究結果が出るまではやはり長期を要するのだろう。それまでの間、バザルの村人達は苦しい生活を余儀なくされるし、今まで以上に村人は他の地域に移って行くのではないだろうか? ほんの少し関わっただけではあるが、ジルも他人事と思えなくなっていて、ハイネが示した救済策等が有効かどうかは、今後確認していきたいと思っている。


 バザルへの旅の間に若干関係が変化したハイネは、戻って来て直ぐ皇帝陛下にバザル村で起きていた事を伝え、停戦で失った信用を取り戻せた様だとバシリーから聞いている。

 そして兵糧の危険性が減った事で、ハイネはハーターシュタインとの再戦の計画を練り始めているようだった。ブラウベルク帝国側からの停戦の申し出により、ハーターシュタイン公国は、帝国内で何か重大な問題が起きていると勘繰っているだろうから、ジルの自殺の公表により、それを理由にして攻め入ってくるんじゃないかとバシリーは考察していた。

 ハイネの思考を推察すると、ジルが自殺するという嘘には、ジルの過去を清算するという目的の他に、ハーターシュタイン側から攻め込ませるという思惑もあっただろう。


 少し前のジルならたぶんハイネのこういう他人を利用しようという考えに嫌悪感を感じただろうが、今はそこまででもなかった。というのも、彼の性格は、出来るだけ少ない手数で目的を達成する事を美学にしているふしがある。しかも複数の目的にしている事柄のうちの一つがまるっきり善意だった場合、もう一つの方が打算まみれでも、行動自体は良い事をしていると考えていそうなのだ。


 深く考えてもしょうがないのだろう……。


 ジルの叙爵は、ハーターシュタイン公国との戦争に目途がたってかららしい。だが、そこまで待たずに行動の制限は解いてもらえた。離宮と大学院だけではなくて、自分の意志で行きたい所に行けるのだ。


 自由の身になったジルはタイムリーにもフェーベル教授に国外の学会への参加を誘ってもらった。男性との旅行には抵抗があったものの、ちょうどライ麦の件で研究に関われなかった事を気にしていたタイミングでもあったため、同行する事にした。

 そんなこんなで、バザルから帰って来てから2週間経った今はブラウベルクと海を隔てて隣接するグレート・ウーズ王国の大学で開かれる植物学会議に参加させて貰っているのだ。


「ウーズ大学のデイビス教授の発表、凄く聞きごたえがあったわ。今はああいう研究もされているのね」


「『植物の環境ストレス応答』でしたっけ……。私はあの人が話し始めてから1分で眠ってしまいました」


 会議が終わり、ジルとマルゴットは講堂で知人に捕まるフェーベル教授を外で待つ。


「ジル様、離宮からの引っ越しはいつにしますか?」


 ジル・シュタイフェンベルク・フォン・ハーターシュタインという人間はもうじき死んだ事にされる。いつまでも離宮にいる事は出来ないのだ。第2の人生を歩むため、ジルはマルゴットと共に離宮を出ようと考えていた。モリッツを始め、親しくなった使用人は何人もいるが、世話をしてもらう理由がないのに、ずっと居座る事は出来ない。


「ブラウベルクに帰国したら、すぐに物件を探そうと思ってるわ。どういう条件で探せばいいのかあまりピンときてないのだけど」


「ジル様は男爵様になるんですよね? でしたら、それなりに立派な所がいいと思います」


「あまりに広い所だと使用人を多く雇う事になるから少し厳しいかもしれないわ」


「むぅ……。私も帰国したら不動産屋に行って見繕ってきます」


「一緒に見に行きましょう! 楽しみだわ!」


「はい!」


 家や部屋を自分の好みで選択した事がないため、ブラウベルクでの家探しは目新しい事の連続だろう。

 ブラウベルクに来た当初は、こんな楽しみが出来るとは夢にも思わなったため、戸惑いさえ覚える。


「ジル君! マルゴット君! お待たせしたね!!」


 講堂からフェーベル教授が小走りで出て来る。漸く知人から解放されたようだ。


「もうお昼だな。何か食べたい物とかあるかな?」


「私この国の事はよくわからないのです。教授にお任せしますわ」


「そう? ならこの国に来たら必ず行くパブに連れて行こう」


「楽しみですわ!」


 大学の敷地を抜け、人や馬が行きかう大通りを3人で歩いて行く。周囲は官公庁や裁判所等が建ち並び、堅い雰囲気が漂っているので、フェーベル教授が連れて行こうとしているパブは遠いだろうなとボンヤリ考えていると、隣を歩いていたマルゴットが急に立ち止まった。


「あの……申し訳ないのですが、ちょっと寄りたい所があります。午後1時には大学に戻りますから!」


「え? どこに行くの?」


「マルゴット君、この国は初めてだよな? 場所は分かるのか?」


 ジルとフェーベル教授の質問に、マルゴットは目を泳がせた。


「フェーベル教授がいるからどこに行くかは言えないです。でも地図を組織から貰って来たので、辿り着けると思います」


 組織という言葉に、ジルはピンときた。たぶん彼女は野ばらの会関連の用を足したいのだろう。


「いいわよ。ただし危険な事は出来るだけ避けてちょうだい」


「有難うございます! 時間までに戻りますね!」


 マルゴットはジルに嬉しそうな表情を作り、パタパタと走り去って行った。


「大丈夫かなぁ……」


「マルゴットはしっかりした子なので心配要りませんわ」


 フェーベル教授はマルゴットがただの頼りなげな少女に見えているのだろう。だが、黒魔術の使い手である彼女は、変質者くらいなら簡単に撃退出来る。むしろジル達2人の方が危険なくらいなのだ。


「うーん……。もう行っちゃったもんは仕方ないか……」


 フェーベル教授は微妙な表情を作ったが、マルゴットを放置する事にしたらしく、再び歩き出す。


 通りにはレストラン等の建物が増えてくる。巨大な高級ホテルの前を通りがかると、ちょうどホテルの門から、4頭立ての立派な馬車が出て来るところだった。

 馬車が通りすぎるとき、チラリと見えた旗の色が良く知るものの様な気がして、ジルはハッとした。


「そういえば数日前から他国の要人がこの国に来るとかで警備が厳しくなってるらしいな。……ジル君どうかしたか?」


 ジルの視線の先で4頭立ての馬車は停まり。中から太った男が出てくる。


「何故この国にいる!? ジル!」


「……お父様!?」


 馬車から出て来たのは、ジルの父親シュタウフェンベルク公爵だった。彼は目を剥き、馬車から出て来た従者に「ジルを捕獲しろ!」と命じた。


「あの立派な身なりの方がジル君の父親!?」


「フェーベル教授、すいません。私逃げます!!」


(どうしよう!! 混乱してウッカリ『お父様』と呼んでしまったわ! もしかしたら誤魔化せたかもしれないのに!)


 何故父がジルを見抜けたのか分からないが、ダイエットが成功して、別人の様になっているのだから誤魔化せる可能性は残っていたのだ。

 ジルは来た道を全力で走り、追いかけてくる父の従者から逃げる。


「お嬢様!」


「人違いです!!」


 父の護衛も兼ねている従者の脚力には敵うはずもなく、ジルは50mも走らずに捕まってしまった。


「すいません。公爵の命令ですので……。それにその声、ジル様のもので間違いなさそうです……」


「ジル!! どうしたんだ、お前。鶏ガラの様ではないか!」


 シュタウフェンベルク公爵はゼエゼエと呼吸を乱し、死にそうな顔でジル達に追いついた。


「だからジルとは誰ですの? 私その様な名前ではありませんわ!」


「何を言うのだ? 馬鹿めが! 昔のお前の母親にソックリな見た目の上に、その声とその喋り方。ジル以外の何者だと言うのだ!」


 父はもうジルの正体を見破ってしまった様だ。腐っても親子だからなのだろうか?

 ジルは涙目で父のブヨブヨした顔を見上げる。


「貴方の娘はどこにもいませんわ! もう死んでしまったのです! 貴方が捨てたから!」


「まだ生きているではないか! ちょうどいい、一緒にハーターシュタイン公国に帰るぞ」


「勝手な事を言わないでくださらない? 絶対に帰りませんわ!」


「お前の母親が重病だとしてもか?」


「え……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る