第2話 ある村で ちょっと怖いかも

 私は昔、山奥の小さな村に住んでいた。家が10軒くらいと、狭い畑と小さな鶏小屋がある。その周りを森が囲ってる。たったそれだけの小さな村だ。当然娯楽なんてないから、子供たちは働いてるとき以外は鬼ごっこするか、かくれんぼするかのどっちかしかやることが無かった。遊びのレパートリーが少ないってのはなかなか辛いものがある。鬼ごっこもかくれんぼも楽しいことは楽しいのだが、三年も四年も毎日同じ遊びをやってたらさすがに飽きてくる。鬼ごっこがうまくなりすぎて誰も鬼に捕まらないし、かくれんぼなんてどこに隠れるかだいたい見当がついているからすぐに終わってしまう。


 だから退屈だったよ。春や秋は畑が忙しいし、夏もまだましなんだが、ほとんどやることがない冬はそれはもう暇で暇でしょうがなかった。「子供は冬に外に出てはいけない」という村の掟のようなものがあったから、冬の間は薪を取りにいくことも出来なかった。遊ぶにしても家の中でやらなきゃならない。だから、五歳下の鬼ごっこを覚えたての弟にこっそりと外遊びに誘われたとき、なんとなくうなずいてしまった。


 家族にばれないようこっそりと外に出ると、そこには真っ白な世界が広がっていた。初めて見る銀世界に興奮した私と弟は、夢中になって走り回った。走り、転がり、また走り、雪を跳ね散らかしながら駆け回っていた私たちは、いつのまにか村の周りを囲う深い森の際まで来ていた。ふと我に返った弟が、帰りたいと言い出した。森が怖いから帰りたい。それにそろそろご飯だから帰らないと怒られちゃう。そんなことを言う弟とは逆に、私は森に入ってみたくてたまらなかった。一度も足を踏み入れたことが無かったこの真っ白な世界の中で、滅多に入ることがない森に足を踏み入れたらとっても素敵なことが起きる気がしたのだ。森に入るのはちょっとだけだから、すぐ帰ってくるから、ご飯にも間に合うし、怒られることもない。それに私がついているから森なんて怖くないよ。なんてことを言って哀れな幼い弟をなだめすかして説き伏せて丸め込んだ私は、しぶしぶうなずいた弟の手を握って森に足を踏み入れた。


 森はまるで異世界のような空気に満ちていた。緑の天井と白い床。いつもは薄暗い森が、雪明りにほんのり照らされて、淡く輝いていた。私は森の妖精の国のような妖しさに魅せられて、弟の手を引いてどんどん森の奥へと進んでいった。奥に進むにつれ森は一層妖しさを増していき、弟の恐怖も増していった。私は必死に戻ろうとしてバタつく弟の泣き声を気にも留めず、さながら誘蛾灯に集う虫のように奥へ奥へと進みつづけた。疲労を感じ始め、弟の泣き声が啜り泣きから号泣に変わった時、突然声をかけられた。


「キミたチ、どこニイくツモり?」


 我に返ると目の前にフード付きのマントに身を包んだ人がいた。体全体から異様な雰囲気を漂わせていて、確かに人な筈なのに生きていることを感じられない。ふと辺りが静かすぎることに気付いた。あれだけ響いていた弟の泣き声が止んでいた。今ではひっくひっくとしゃくりあげる音しか聞こえない。


「ドこにいクノ。コッチ?アっチ?むこう?モっとムコう?」


 金属をすり合わせている音と人間の声が混ざりあったような、妙に反響した声でそれは問う。そのあまりに異様な雰囲気に圧倒され、私は金縛りにあったように小指一本動かせなくなった。それは口を開いて更に問う。


「もしかシテ、アそビにきたノ?フタリデ、わたくしと?」


 私は目を見開き、口をぽかんと開けたままそれを見ていた。嫌な予感がする。早く逃げろと頭の中で誰かが叫んでいる。まだ弟はしゃくりあげている。ひっく、ひっく、ひっく、ひっく、ひっ。弟がしゃくりあげるのを止めたとき、それはこちらの都合に関係なく自分の問いに対する答えを導き出した。


「ヤッパり!さびシイカらあそビニキタんだね!じゃあアソぼウ!」


 そういうとそれはフードを取った。現れたのは、半分腐った人間の顔と、空っぽの右の眼窩の中で動くいくつかの歯車と、その周りで蠢く無数のウジ虫だった。あまりの恐怖に体中から汗が吹き出す。生暖かい液体が足を伝って流れていく。それが弟に向かって手を伸ばしてきた。カチャカチャキリキリ。という音を出しながら鋭い五本の鉄棒が着いた腕が弟に近づいていく。この先何が起こるかはっきりと分かった。弟を守りたいと思った弟を置いて走って逃げたいと思った次は自分だと思っただが体は全く動かなかった。私はただ、私の手から離れた弟が目の前でカチャカチャキリキリと解体されていく様を見ていることしか出来なかった。カチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリ。気付いたら弟は細切れの肉片になっていた。それはこっちに何かを投げてきた。私の足に当たって止まったそれは弟の頭だった。それはこっちを見た。まるで笑っているかのような顔をしていた。その瞬間私は森全体に響き渡るような声で絶叫し、村の方に向かって全力で駆け出した。後ろからカチャカチャキリキリと聞こえるような気がして、必死に走った。走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走り、森から出て純白の雪の上に倒れこんだ。頭の中ではまだあの音が響いていた。


 気づくと寝床に横たえられていた。しばらくぼんやりと家の天井を見つめ、それからようやく傍らに居る母を見た。見た?とだけ母は聞いた。こくりとうなずくと、そう、と言って母は私のもとから立ち去った。寝ようと思って目を閉じると、カチャカチャキリキリと聞こえてきた。カチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリ。だんだん音が大きくなっていく。カチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリカチャカチャキリキリ戸口が壊れたような鈍い音カチャカチャキリキリ悲鳴。

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