第63話「無事帰宅」
ちょっと顔を見に行くつもりだけだったのだが――。
「とんだ長逗留になってしまったな」
カインは馬車に揺られながら頬杖を突き窓枠の外に視線をやった。
なんだかんだで、リン・グランデの制圧には一週間近くかかってしまった。
「アイリーンにはすぐ帰るといっておいただけに、複雑な気分だ」
あのメイドはやたらに心配症だ。
さらにいえば、今回は都城から脱出したゴライアスが先のいくさと同じく大っぴらに兵を集めたため、よく事情を知らされていない女子供たちは戦々恐々といったところか。
カインが転生する前の情報メディアが発達した現代日本とは違って、庶民の得られるものなど出どころの怪しげな噂話がせいぜいだ。
また、セバスチャンもわざわざ屋敷の者たちに不確かな情報を教えて回るということも考えられないだけに、今カインができることといえば自分の無事な姿を見せることが第一だった。
(けれど、とりあえずこれからは都城の兵力も自由に扱える。さらに、リン・グランデは詰めの城として充分に活用できるな)
かつては大叔父がいたため、都城を戦争時の要塞に使うには気兼ねがあったが、これからは自分の好きなように使用できる。
(所詮おれは領主代行かもしれないが、この際、使えるものはなんでも有効活用させてもらうとしよう)
「あまり考え込まないほうがよいですよ。カインさま、もうそそろそろお屋敷に着くのでしょう? 今夜はぐっすりお休みなさって明日になればきっと妙案も浮かぶでしょう」
「あるじさま、姉さまのいうとおりです。それになにかありましたらわたしになんでもおいいつけくださいまし。犬馬の労など厭いません」
「おまえら、別の馬車に乗れと命じたはずだが?」
「親切な騎士さまが上げてくださったのですよカインさま」
「あるじさまは素敵な騎士をお持ちですのね」
ライエの言葉に視線を転じる。
窓の外を騎馬で警護しているジェフが農夫然とした顔で手を振っていた。
結構なスピードを出していたのだが、飛び移る程度はこの姉妹にとっては造作もないことをカインは思い出していた。
「なにか不都合な点でもございますか?」
「いや、結局リースもライエも屋敷までついてくるのだな、と思ってな」
「まさか今さらお嫌とはおっしゃいませんよね」
リースが潤んだ目でジッと瞳を覗き込んで来る。カインはまつ毛とまつ毛触れそうな至近距離にさすがに耐えがたくなり、顔を背けた。
「ああ、願いごとは叶える。それがどんなに私にとって困難なことでもな」
「もう、そんなことをおっしゃって。わたしとライエがおそばに居なければ夜も日も明けないはずですのに」
「わかったからそんなにギュウギュウ身体を寄せるな。この馬車はせまっ苦しいんだ」
カインより頭ひとつ分大きいリースが腕にしがみついて胸を寄せて来る。
「またそのように心にもないお言葉を。ほら、ライエ。カインさま、スキンシップが足りぬと寂しがってらっしゃるわ。もっとおそばに来なさいな」
「すみませんあるじさま。わたしの力が少し足りのうございましたか。えいえい」
「えいえい、ぎゅうぎゅう」
「えい、ぎゅうぎゅう」
双子の姉妹が両方からカインに自分たちの身体を押しつけて来る。ジェフにはそれが微笑ましいものにでも映っているのか、口元をゆるめたまま目元がゆるんでいた。
「おまえら、まだ日が高いぞ。頼むから勘弁してくれ」
「ええー。だってお屋敷に着いたら、当分かわいがっていただけないのでしょう? このくらい甘えさせていただかないとわたしもライエも寂し過ぎて死んでしまいます」
「姉さまのいうとおりです」
「わかった。もう、すべて諦めるから。せめて報告書だけは読ませてくれ」
馬車の車輪を軋ませて屋敷に着くと使用人たちが総出で出迎えてくれた。
「カインさま、お帰りなさいませ」
一列になった使用人たちが一斉に頭を下げる。その中央をカインを乗せた馬車がゆっくりと玄関に向かって走る。
そのほとんどが年若いメイドたちばかりである。カインの馬車に同乗していたリースとライエは、そのあまりの粒ぞろいに腰を抜かしたのか、パクパクと酸素に餓えた金魚のように口を開閉させるばかりだ。
「おい、そんな目で見るんじゃない」
ふたりの気持ちは充分に理解できる。一国の王でさえ、諸事簡素倹約が叫ばれる昨今、ここまで露骨に女を侍らせる者もいないだろう。
ただのメイドの群れならばリースとライエもそれほど気にはかけなかったのだろう。
だが、娘たちの誰もがカインに同乗している双子の姉妹に冷たい殺気を浴びせかけているのだ。
「それでもカインさまの寵愛は死線を共に超えたわたしたちからはゆるぎませんけどね」
フンフンと自分を鼓舞するようにライエがうなずいている。
カインはいちいち反応するのをやめた。
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