第62話「憂いを焼く」
カインの下からジェフが離れてゆくと、貴族たちの猛烈な挨拶攻勢がはじまった。カインは生まれつき人の顔を覚えるのは得意であったが、次から次へと現れるオッサンの群れと加齢臭に悶絶しそうになった。
(く、臭い。どうでもいいが、なんでコイツら系は強烈な香水をプンプンさせてやがんだ)
それはカルリエという土地柄にもあった。土地が王都に比べて乾燥しているこの地ではあまり沐浴をする習慣が根づいておらず、従って土地の貴族たちは不衛生だった。
ロムレス王国も大陸単位で見ると入浴文化自体は満遍なく広がっているのだが、それは気候が温暖な南部に傾向が強く見られ、北部に当たるカルリエではマナーとして根付いていない。
またこのような土着の貴族にある「野蛮」こそが勇気の象徴とされていた。
文字を覚えることすら軟弱と思われる傾向にある騎士文化の中ではカインのように入浴の習慣がある男は軽蔑されるきらいがあった。
だが、この少年はジャッカルという騎士との一騎打ちで若年ながらも勝利したことにより野にして蛮な土着貴族たちの信奉を得ることに成功し、ニュースのあまりないリン・グランデにおいては一躍有名人になっていた。
カインはこの初春におけるカルリエ全土の反乱を鎮圧したことによりその名は轟いていたが、細部にまでは知れ渡っていなかった。
「さすが都育ちのお方だ。まだ若いというのに剣にも秀でているとは。是非とも、我が家の娘をどうでしょうか?」
笑ってごまかすカインの前には貴族たちの自慢の娘がこれでもかとばかりに、進物よろしく並べられていた。
中には自分の妻を勧める者すらいる。
もっともいくら美人でも三十過ぎではカインも困惑するだけであった。
「どうですかカインさま。私の妻と娘は自分でいうのもなんですが、地元では一二を争うほどの器量よしで知られております。是非ともおそばに仕えさせてくださいませぬか」
「いや、それでは卿がご不自由されるのではないでしょうか」
「そうですか。お気に召されぬのか……」
こういう手合いは妻子をほとんど貴重品扱いしており、自分が気に入ったものを主君であるカインにも勧めたいという、ある種の純粋さから来ているものであった。
そのためカインが誇示すると捧げられる本人である妻子も目に見えてシュンとなるのでカインは断るのに脂汗をかき通しである。
「カインよ。卿らの相手もいいがゼナイドが寂しがっておるぞ。そろそろこちらでわたしと一献つき合わぬか」
「これはリューイ公! それでは皆さま方、宴を存分に楽しんで行ってください」
渡りに船とはこのことである。カインはリューイ公の招きにそそくさと応じると、その場を離れてようやく人心地ついた。
主人の席に当たる場所ではリューイ公が隣に着飾ったゼナイドを置いてニコニコと朗らかな顔をしていた。
ゼナイドは純白のドレスにプラチナのティアラがひと際目立つ美しい装いだ。カインがはじめて会ったときの甲冑姿が思い出せないほどのお嬢さま振りが板についていた。
「助かりました。どうも、私はこういった催しが生来苦手でして」
カインは従者に席を引かれて座るとカップに注いであった水をひと息に飲み干した。
「そういうな。彼らも善意から行っていることだ。適当にあしらっておけばいい。それに、そのうちカインも大人になれば自然と楽しむことができるようになる」
「はぁ……」
「お父さま。そのようなお話はここでは似つかわしくないと思われます」
無論、修道院で長らく修業をしたゼナイドからすれば父の地方における粗野な風習を容認するような発言は許せなかったのか語気が荒くなるのは至極当然のことである。
リューイ公はたじたじとなって娘の機嫌を窺うような態度になった。
「む、そうか」
「不浄です!」
「す、すまなんだゼナイドよ」
そういうとリューイ公はカインに向かって助けを乞うように目配せをする。
(どうやらリースの話は本当だったみたいだな。これじゃリューイ公はゼナイドのいいなりだが……)
逆をいえばゼナイドを掌握してしまえばリューイ公が今後カインに対して厳しい態度を取る可能性は低いといえた。
「あの、カインさま。カインさまはまだ御酒を召されぬとお聞きしましたので、厨士に命じて王都の料理を作らせましたの。お口に合うかどうかはわかりませんが、ひとつ口をつけて田舎料理と笑ってくださいませ」
カインが調べさせたところゼナイドは王都からすぐ近くの修道院で過ごしただけあって、田舎料理などというのは謙遜だろう。
――だが、わざとここで距離を取って関係を悪化させる理由もこちらにはない。
「田舎料理などとは。それではゼナイド殿が用意してくださったものをありがたく頂戴いたします」
「はいっ」
ゼナイドはパッと笑みを浮かべるとうきうきした様子で侍女にカインの料理を取り分けるよう指示を下す。
(傍から見りゃゼナイドが子供の相手をしているようにしか思えないだろうがな)
カインの心中はともかく和気あいあいとしていると、ロックが背後に音を立てず近づきそっと耳打ちして来た。
「カインさま、実は先ほどそれなりに厄介なものが見つかりまして」
「なんだ」
食事中だ、などと無下に部下を扱わないのがカインのやり方だ。カインはリューイ公に席を外す非礼を詫びるとロックについて裏庭に移動した。
「実はこのようなものがジャッカルの私室から多数見つかりまして……」
ロックが差し出したのは羊皮紙に書かれた手紙である。
封蝋には貴族の紋章がデカデカと捺されていた。
「中身は?」
「は。まだ、一通しか読んでおりませんが、おそらくはパラデウム派が城内の貴族たちに恭順を呼びかけたものかと」
「どうせ一通だけじゃないだろう」
「そうですね。大行李ひとつでは収まらない程度にあるでしょう」
「ふぅん」
カインは受け取った手紙の裏表をジックリと眺めながら、眉根を寄せた。それからわずかに目を閉じると手紙をロックに渡して夜会の宴に引き返してゆく。
「あの、カインさま?」
「ロック。ちょっと思いついたことがある。その手紙、残らず箱に詰めて宴会場に持参してくれ」
「はぁ……ちょっと待ってくださいカインさま。会場には離反した貴族たちが山のように控えているのでしょう?」
「いいから」
カインが関に戻ってリューイ公たちと談笑していると、ロックとその配下が台車に大きな箱を乗せてガラガラと音を立て登場した。さすがにロックは表情ひとつ変えずに謀反の証拠ともいえる書簡の束を貴族たちに見えるよう積み上げているが、内心はヒヤヒヤものだろう。
書簡の封蝋に捺された紋章から身に覚えのある貴族たちが幾人も蒼白になっている。
「これはなんの余興なのだ。カインよ」
書簡の意味を悟ったリューイ公が酔いの冷めた表情で訊ねて来た。
それも当然だ。
ここはリューイ公の屋敷であるが、この会場に詰めている貴族や小者のほうが警備の騎士よりもずっと多いのだ。
下手に改心した貴族たちを突けばリューイ公や無論ことゼナイドもカインも身の保証はない。
「いえいえ、宴もたけなわでございますが、このあたりでリン・グランデのゴミ掃除を行おうと思いましてね」
「あの書簡は?」
リューイ公の核心を突いた言葉に貴族たちのざわめきが大きくなる。中には気の早い者もいて、物騒なことに剣の柄に手をかけいつでも戦える状況にあった。
「ジャッカルとかいう間諜の者です。私の部下が調査の過程でどうにもよろしくない書簡を多数見つけましてね……」
「どうするつもりだ」
リューイ公はカインが反逆の証拠である書簡をこの場で読み上げさせ、一度はパラデウム派に離反した貴族たちを抹殺しようと考えていると完全に思い込んでいた。
ゼナイドも周囲を守る子飼いの手練れの様子を窺っている。
「いや、決まっているじゃないですか。このように心臓に悪いものは残らずこうしてやるのですよ」
カインは隣に立っていた小者に命じて濃度の高い酒精をバケツに空けさせると、それらを堆くなった書簡の山に振りかけさせた。
「火」
ひとことカインが命じるとロックは慌ててすぐそばのかがり火から燃えさしを引き抜き、書簡の山に投じた。
アルコール度数が限りなく一〇〇に近い酒精だ。
書簡はメラメラと真っ赤な火に包まれて勢いよく燃え出した。
「卿ら。私も諸事多忙なもので、ジャッカルの如き卑しい間諜が所持していた真偽のつかない書簡など目を通している暇はないのだ。さあ、昨日までもわだかまりはあの火に残らずくべてしまってこれからは輝かしきカルリエの未来を共に歩もうではありませんか」
ゴーゴーと音を立てて火勢は強まりとどまるところを知らない。
このカインの粋な計らいに貴族たちは絶叫し、酔いも手伝ったのかその場にひれ伏し忠誠を誓う者が続出した。
中でも娘たちを引き連れて来たものは、なんとしてもカインの子種を貰わなければ生きて家に帰らないと頑として譲らず、喉を突きかける者が幾人も出た。
これにはカインも閉口し、その場で「年相応になったら側室に迎える」という約束を無理やりさせられた。
これはカインが中華の故事を咄嗟に思い出して行ったやり方であるが、効果のほどは爆発的だった。
優れたイマジネーションよりも優れたイミテーション。
過去から残った先人の事績は使いどころさえ誤らなければ絶妙な効果を発揮することをカインは身をもって証明するのだった。
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