第60話「見舞い」

 完全にしてやられた。

 あの場でリューイ公の頼みに「うん」と答えなければカインは侮蔑されるどころか、カルリエ貴族たちの離脱すら免れなかっただろう。


「くっそ。あの場で嫌だといったらさすがに悪者だろうが」


「どうしたんだべ、坊ちゃま」


 ジェフが相変わらずのほほんとした表情で後方をついて来る。カインは耳の裏をガシガシ描きながら視線を落とした。


「なんでもない。ひとりごとだ」

「ハァ、そうだんべか」


 カインはリューイ公の策にまんまとやられてから頭を冷やしついでに、今回の作戦で怪我を負ったリースの見舞いに行くため彼女の部屋へと足を運んでいた。


 リューイ公の側に仕えていたリースとライエの姉妹は屋敷内でそれなりに地位があり、日当たりのよい広い部屋を私室として使用していた。


「これは、カインさま」


 事前にカインが訪れることが通告されてあったのでリースとライエはいつものメイド服ではなく、淑女らしい水色のドレスに着替えて待っていた。


 部屋には香が焚き込められており、窓からはゆるやかな日差しが入っている。時折吹くさわやかな風が純白のレースのカーテンを揺らしている。


「リース、怪我の具合はどうだ」


 カインがわずかに顎を傾けるとジェフの背後に控えていた小者が花束を持ってすかさずリースに差し出す。


「これは。わざわざわたしのような者のために、もったいないことで……」


 姉の体調を慮ってライエが花束を受け取った。

 このままでは話しにくいだろうとカインがわずかに顎を動かすとジェフは小者を連れて部屋を出た。


「で? そろそろ深窓の令嬢ごっこ遊びはそのあたりにしたらどうなんだ」


「もう、カインさまったら。わたしもライエも歴としたレディですのよ」


 他者の目がなくなったことで幾分緊張が和らいだのかリースの話し方がくだけたものになった。


 カインが視線を動かすとリースの袖口から真新しい包帯が見えた。それに気づいたリースはころころと笑いながらなんでもないように腕を背中に隠した。


「ああ、これですか? 見た目よりもずっと軽傷だったんですよ。もっとも、当分はカインさまの前で肌を見せるのは躊躇してしまいますけれど」


「もう、姉さまったら」


 すかさずリースがスカートの裾をまくってウインクをするのでライエが元に戻す。


「今回の件ではふたりには世話になった。リースとライエの力がなければリン・グランデからパラデウム派を追い出すことは難しかっただろう。感謝する」


「捨て身のお色気ネタに反応しないカインさま、わたしが見くびっておりました」


「茶化すなよ。これでも本当に感謝しているんだ。なにか、ふたりには礼をしなくてはならないな。私にできることならば、なんでもいってくれ」


「なんでも?」

「なんでもですか!」


 ぴくっと双子の姉妹はカインの言葉に反応した。


「あ、ああ。これでもカルリエの領主代行だからな。二枚舌は使わないつもりだ」


 リースは人差し指で自分のこめかみをトントンやりながら考えはじめる。


「ふむう。これは迷いますね。あ! それでは今日から三日三晩カインさまが私の身体の隅々をふやけるまで舐め上げるというのもオッケーですか?」


「却下だ。というか、平然とした顔で凄い無茶振りぶち込んで来るよな」


「けちー」

「ケチじゃないぞ」


「あ、あの、あるじさま。いいですか?」

「ライエか。いってみろ」


 ――なんでもとはいわなくなったカインであった。


「あの、非情に無礼だとは思うのですが。あるじさまを抱っこしていいですか」


「ん? ま、別に構わないが」


 カインが許可を出す。


 ライエは真っ赤な顔をしたままカインを自分の胸に強く抱き寄せるとフンフンと鼻を鳴らして頭部を嗅ぎ出した。


(なんだか、大型犬に弄ばれている気分だ)


 双子とはいえ姉のリースに比べれライエの身体は未発達なので、やわらかいというよりは、どこか細くて女性的な丸みに欠けておりカインもそれほど意識しなくては済んだ。


 それからライエは充分にカインの身体を堪能すると身体をようやく離した。


「ありがとうございました」

「そんなのでいいのか?」

「はいっ」


 すごくいい笑顔だった。


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