第59話「打つ手なし」

「大叔父上。これはどういったことでしょうか。私は一言も聞いておりませんが」


 ゼナイドの訪問を受けてすぐ、カインはリューイ公に会い詰め寄っていた。


「うむ? なんの話だ、カインよ」

「この状況でそのようなご返答はあまりよろしくございませんよ」


 無論、話がややこしくなるのでゼナイド自身は伴っていない。


 リューイ公は幾人かの貴族に取り巻かれながら至極ご満悦といった表情であった。


(コウモリどもめ。風向きが変わったからすかさずのおべんちゃらか?)


 カインは胸中の思いを隠して笑みを崩さないが、内心、風見鶏よりもくるくる回る小貴族たちにうんざりしていた。

 彼らは昨夜の土壇場でようやく旗幟を鮮明にしたものばかりだ。


 王都で育ったカインからしてみれば彼らの顔立ちには気品の欠片もなく、装束も時代がかって古びておりどこか滑稽だった。


(だが、彼らも生きていかなくてはならない。多少は目をつぶらないとな)


 彼らの身に着けている生地のレベルから相当に生活が苦しいことが察せられた。


 貴族たちはこうしてリューイ公のような力のあるものにおもねってようやく一族の命脈を繋いできたのだ。


 ――そう。パラデウム派につけいる隙を見せたこちらが悪いといえる。


 気分的にはスッパリ切ってしまい、彼らの領地をことごとく取り上げ、真にカインへと忠誠を誓う者たちを抜擢したほうがずっと役に立つだろう。


 だが、彼らのバックボーンにはカルリエの地に長らく居住し婚姻を数え切れないほど重ねて親族同士の強固な紐帯を作り上げてきた実績があった。


 下手に彼らの米櫃に手を突っ込めば、未だ地盤が完全に定まらないカインの足元が音を立てて崩れ去る可能性が高い。


 カインの祖父であるレオポルドもこのような大小の貴族を取り入れてようやくカルリエの地をまとめあげた経緯があり、土着の貴族たちを無下にできない事情があった。


 さすがは世俗的な遊泳術に富んだ者たちばかりである。カインの存在に気づくや否やエサを貰う金魚のようにわらわらと寄って来た。


「これはこれは、昨晩はロクにご挨拶もできずに」


「このような場で話題のカイン殿のお目にかかれるなど、早朝から出仕した甲斐があるというものですな」


「あ、あのですね……」


 自分の息子や孫といっていい年齢のカインを貴族たちが取り囲んで誉めそやす。


 小柄なカインは貴族たちの迫力に圧倒されながらもジリジリとリューイ公のそばに寄ってゆく。


「まあ、急くな。それよりもパラデウム派を一掃した件はさすがに領主代行の面目躍如だな。今や城中の者がみなそなたの噂をしておるわ。わたしも鼻が高い」


 リューイ公は高い鷲鼻を上げて機嫌よさそうに自分の鎖骨のあたりを掻いた。


「お話の前に。大叔父上、少しお人払いをお願いしたいのですが」


 今やカルリエ領全土に名を轟かせる存在となったカイン自身の婚姻に対する話となれば、一族の重要秘事である。


 このことを状況で勝ち馬に乗った大小の貴族たちが知れば、誰もが我勝ちにあらゆる伝手を頼ってカインに対し自分の娘を押しつけて縁付け、一族の力を増やそうとするのは目に見えていた。


 カインからすれば普通に考えて鬱陶しいことこの上ない。


「いや、このままで話そう。それにここにいる卿らにも関係のあることだからな」


「どういうことですか?」


「その前にだなカインよ。まず、わたし自身のこれからの進退のことなのだがな。諸君らにも知っておいていただきたい。本日限りでわたしはリン・グランデを去る。パラデウムのこともあるが、もはや政治を見るにわたしは歳を取り過ぎた。ロクに城の仕置きもできずに、挙句が今回の始末だ。あとは若く伸び盛りなカインに任せて隠居しようと思う。隠居所はそうだな。城より北にあるレグ湖にするとしよう。あの場所で釣りをしながら余生を暮らそうと思う」


「なんと……」


「それは真でござるか公よ」

「だとすれば、リン・グランデの兵権も領地の仕置きもすべてカインさまの手に」


 ざわざわと貴族たちが慌てふためく。


 これには都城明け渡しやゼナイドの婚約者云々の話はよほど長引くと覚悟していたカインの機先を制するには充分であった。


(どういうことだ? 確かにリューイ公が城から退去すれば、頭痛の種はひとつなくなるのだが?)


 即座にカインは幾つもの考えを脳裏に巡らすが、女性の声がそれを断ち切った。


「この騒ぎはいったいどういったことでしょうか、お父さま」


「げ……」


 カインがもっとも恐れていたゼナイドが未だ興奮冷めやらぬリューイ公の私室に前触れもなく現れた。


「おう、これは我が娘よ。今、ちょうどおまえを呼びにやろうと思っていたところだ。こちらへ来るがよい」


「え、え、え? ちょっと、これってなんなの?」


 リューイ公が首をわずかに動かすと傍に控えていたメイドたちがゼナイドのドレスの裾を持ち上げ、並み居る貴族たちを押しのけてズンズンと歩き出す。


 たちまちにゼナイドはリューイ公の前に立つカインの横へと無理やり立たされた。


「我が娘よ。おまえにはわたしが不甲斐ないばかりにずいぶんと苦労をさせた。修道院に入れたのも将来おまえの嫁入り先に困らぬよう最低限の礼儀作法を身に着けさせるためだ。だが、それも無駄にはならぬよ。のう、カイン。わたしがこの城を去ったあともゼナイドは残るが、なにぶんは世間知らずな小娘だ。わたしがそばで暮らせぬ代わりに、お主が末永く面倒を見てくれると、もはやこの世に思い残すことはない」


「は……はぁ、え?」


 横を見るとゼナイドは頬を熟れたリンゴのように真っ赤にして手で押さえてうつむいている。


 リューイ公の言葉の意味を悟った大小の貴族たちは「ほうっ」と小さく吠えたりカインの挙動を見守りながら、興味深々とした視線をこの降って湧いた成り行きに注いでいた。


「頼む。ゼナイドを守ってやってくれ。これは長年ここを預かって来た城主としてではなく、ひとりの父親としての頼みでもある」


「わ――わかりました」


 一斉に、貴族たちが帽子を放りながら吠えた。メイドたちはそれぞれ感極まって涙を流し、その場は異様な雰囲気に包まれたがカインとしてはもはや打つ手はなかった。


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