第58話「一難去って」

「はは。なんとまぁ騒がしい娘で」

「そうだな」


「だがカインさま、あの子を悪く思わないでくださいませ。ヘインチェは夫をパラデウム派の横暴によって亡くしておるのです」


「なんだと……」


 カインが見たところ治癒魔術士は相当に若い。間違いなくまだ十代だろう。もっとも、十三、四で結婚するのが普通の世界では珍しくもないことではあった。


「ふざけているように見えますが、幼い娘を抱えたヘインチェは夫が強硬なカルリエ派だっただけに、パラデウム派が幅を利かす城内では、昨日までずいぶんと肩身の狭いを思いをしていたのです。こうして治療に来たのも、カインさまにお会いしたいという同僚たちを拝み倒してのことだったのですよ。夫の仇を討ってくれたカインさまに少しでも御恩返ししたい、と」


「そうか……」


 カインはロックに目配せをすると、自分の荷物から袋を持って来させた。それを老医師に握らせる。


「これは」


 ずしっとした重さに老医師が袋を開けると、そこには砂金がたっぷりと詰まっていた。


「些少であるがヘインチェに渡してやってくれ。それから、ロックよ。城中で困っていそうな寡婦や此度の混乱で庇護者を失った弱き者たちを洗い出し、残らず生活が成り立つよう取り計らってくれ」


「承知いたしました」


「おお、さすがカインさまは稀代の名君でおわす。これでカルリエ家を信じて散っていた者たちもきっと冥府でよろこんでおりまする」


 老医師は眼鏡が曇るほどに涙を流しながら砂金袋を押し抱くと、その場に跪いてカインを生き神のように拝んだ。


「そう泣くんじゃない。私が知る限りでは城中においては治癒魔術においてお主の右に出る者はいないと聞いている。ヘインチェにわざわざ花を持たせたのだろう。いや、咎めているのではない。お主のヘインチェを思いやる心に感じ入っているのだ」


 カインの言葉がよほど胸に響いたのか、老医師は感情を大いに揺さぶられたまま、部屋を出て行った。


 さあ、それでは朝食でも――。


「カイン! アタシよ!」


 と、思った矢先にバタバタと廊下が騒がしくなったかと思うと、護衛を引き連れたゼナイドが慌ただしい様子で駆け込んで来た。


(ああ、そういや彼女も無事解放されてたんだな。昨日は忙しくてロクに話もできなかったからな)


 リューイ公を都城から追い出すことを考えれば娘であるゼナイドの存在は非常に難しいといえた。昨晩、カインはゼナイドが二十になったばかりだとはじめて聞いた。そして未だどの有力貴族に嫁いでいないとなれば、彼女の嫁入り先をよく吟味しなければ相手によってはのちのちの憂いに成りかねない。


「これはゼナイド殿。ご機嫌うるわしゅ――うっ!」


 そこまで数秒で考えたカインに向かってゼナイドは飛び込んで来た。無論、白銀の甲冑を着込んだじゃじゃ馬乙女はリューイ公に似て長身であり、子供であるカインでは到底受け止めきれない。


「きゃあっ」

「ううっ」


 そのままカインは押し倒されるように床にどってんころりんと倒れると、ゼナイドともつれ合ったまま目を回す。


 ロックはサッと視線を逸らしてカインを見ないようにし、一緒に入って来た護衛の騎士たちはオロオロしながら手を出しかねていた。


「あのですねゼナイド殿。仮にも嫁入り前の娘がこのような真似をするのはいかがなものかと思われますが」


「だって、仕方ないじゃない。一刻も早く未来の夫に会いたかったんですもの」


 そういうとゼナイドは仰向けになったままのカインをギュッと抱きしめる。


(痛い痛い痛い。鉄が顔に当たって痛い。ってか、今なんていった?)


「未来の夫って、もしかしてロックのことか?」

「違うわよ」

「カインさま、私は妻帯しておりますゆえ」


 ロックが咳払いをする。


「さよか……」


(ん? てことはどういうことなんだ?)


「もう決まっているじゃない。私とカインのことよ。すでにお父さまから聞いているのでしょう」


 晴れ渡った青空のような瞳がカインを覗き込んでいる。


 吸い込まれそうな青の深さに知らず、喉を鳴らした。


「もう。あなたはアタシの婚約者ってことよ。いわせないでよ、もう」


「はぁ?」


 さわさわとゼナイドのハニーブロンドの髪が鼻先をくすぐりクシャミが出そうになるが、カインはなんとかそれを抑制した。


 それからカインはゼナイドの言葉の意味を脳みそにジックリ染み込ませ「やられた!」とようやく気づいた。


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