第55話「決着」

 リースの前で青い顔をして震えるカインは歳相応の少年であり、もはや反撃の芽は摘み取られたかに見えた。


 事実、リースの主であったリューイ公に仕えていた貴族たちのほとんどは敵であるパラデウム貴族のジャッカルに同心している。


 だが、予想に反してカインはまったく折れなかった。


 それどころかリースの名誉のため悪逆非道のジャッカルに一騎打ちを申し込んだのだ。


 歴戦の勇士であり大人のジャッカルと身体がまだできあがっていないカインでは端から勝負にならないことは目に見えていた。


 周りもそう見たであろう。


 だから、リースは淑女として自分のために立ち上がった紳士に対し、どのような奇跡でもいいから勝利を掴めるよう万物とロムレスの神に心から祈った。


 剣の腕ならばリースはカインよりもはるかに上だが、ジャッカルはさらにその一段上をいっていた。


 剣筋からいってもカインが実力のあるジャッカルに勝利することは不可能であろう。


 だが、カインは一瞬の隙を衝いてジャッカルの脇腹に見事な一撃を与えたのだ。


 決闘の最中に横槍が入ったのは事実だが、そんなことで集中を乱すジャッカルの技量が未熟なのである。


 カインは遊び半分に切り刻まれた身体に鞭打ってジャッカルを追い詰めはじめた。


「ぎいっ」


 カインの鋭い突きがジャッカルの左腕に突き刺さって血潮がパッと飛沫を上げた。


 小柄で華奢なカインがこのときばかりはジャッカルよりもはるかに大きくリースの目に映った。


 ジャッカルは斬撃に失敗して長剣の半ばを折っておりカインの攻撃を捌き切れず、徹底的に押されて息も絶え絶えだ。


「カインさま――!」


 祈りが天に通じたのかカインは大きく跳躍すると鷹が獲物に舞い降りるよう長剣を鋭く横に振るった。


 硬い金属質な音が鳴ってジャッカルの手から剣が落ちる。カインは汗みずくになりながら床へとうつ伏せに倒れたジャッカルの喉笛に刃を突きつけ勝負は終わった。


「私の勝ちだ。ジャッカル」


 精も根も尽き果てる寸前のカインはそれでもジャッカルの命までは奪わない寛容さを見せつけたのだ。


「リースに謝罪しろ。そしてカルリエの地を搔き乱したことを素直に認めれば、おまえの命だけは許して遣わす」


 この結果がどうしても受け入れられないのか――。


 ジャッカルは顎を床に着けたまま流れる汗で顔を濡らしながら、空気を求める金魚のように口だけをパクパクと開閉している。


 ああ、これだけ目にすれば自分の名誉も充分守られた。


 リースは命懸けで騎士道をまっとうしたカインという男にかつて抱いたことのない強い感情を覚えて、知らず、ぶるぶると全身を小刻みに痙攣させた。






 危ないところだった。


 カインがジャッカルに勝ち得ることができたのは、本当に奇跡的な偶然が手助けしてくれたとしか思えなかった。


 神というか、運命を司る超自然的なものが存在するのであれば、カインは間違いなくそれに贔屓されていたのだろう。


 あの絶体絶命の瞬間に伝令が叫ばなければ床に転がっていたのはカインだろう。


 そうだ――。


 目の前の男はカインのような甘っちょろい情けをかけるような部類の男ではない。


 そういったいろんな状況を加味してカインはツキに恵まれていた。


「馬鹿な……! こんなことがあるわけねぇ。このおれがこんなガキに負けるだと?」


「謝罪か、死か。疾く決めろ」


 カインが剣の切っ先を動かすとジャッカルの喉笛がぷつりと切れて血がわずかに漏れ出す。


 現実をようやく理解したのか歯軋りをしながらジャッカルはそのままの体勢で床に着いた手のひらをぶるぶると震わせた。


「おおぃ! なにをぼさっとそこで見てやがる。とっとと加勢してそのガキをぶっ殺せや! ああん? カルリエの貴族は使えねぇやつばっかりか!」


 完全に負けを喫しているのにジャッカルは往生際が悪く這いつくばったまま、パラデウムに帰属したはずの貴族たちの名を次々に上げて激しく罵倒するが、誰も動こうとはしなかった。


 それどころか決闘を見守っていた在地の貴族たちの空気は完全に冷え切っている。


 ジャッカルは自分を見つめる目が軽侮に満ちていることに気づいていなかった。


「あ、ああん? なんだキサマら。早くおれのいうことを」


「カインさま、拙者はカールスに領地を持つトバイアスでございます。可能であるならば、あなたさまに我が兵二〇〇をご進呈いたしますので、なんなりとお申しつけを」


「貴様、抜け駆けを――! カインさま、拙者はアルゼンに領地を持つドロテオ・ウルキアガでございます。我が兵二二〇をお好きなようにお使いくださいませ!」


「我はレゾンド領のアルチュール――」


 ひとりの貴族がカインに忠誠を誓うと静観していたカルリエの貴族たちが雪崩を打って恭順を誓って来た。


「な――な――」


 これにはジャッカルも呆然自失したままその場で呆けたまま口を開けている。


(予測できたことでだ。ジャッカルのやり方は浅まし過ぎたんだ)


 カルリエ貴族たちはパラデウム貴族の旗頭であるジャッカルが威勢をなくすのと同時に一斉に見限って元の鞘に収まろうと必死だった。


 カインはジャッカルと戦うにあたって得意の錬金術を用いれば、ずっと楽に勝利を得ることができるとわかっていたが、あえて使わなかった。


 騎士らしく剣の戦いにこだわった。


 魔術の範疇に入る錬金術は力を持って貴しとする騎士たちにとって卑怯に映ることを恐れたのだ。


「お歴々の皆さま方。私からすればあなたたちが我がカルリエ家に再び帰服することに異存は毛頭ございません。若輩の上非才でありますが、なにとぞお力添えいただければこれこそ無情のよろこびでございます。ともに協力し合ってカルリエの民を安んじてくださいませ」


(どうだ。多少芝居がかっているが、このくらいのほうがこの時代の貴族たちの琴線に触れるはず――)


「おお、さすがレオポルドさまのお孫さまじゃ。なんという度量の広さ」


「末代まで随身いたしますぞ」


「パラデウムとのいくさのときは我に先陣をお申しつけくだされ」


「なにをなにを。我が家にはカルリエ切っての豪傑がそろっておりまする」


 カインの策は当たって日和見だった城内の貴族がそれぞれ自分の顔を売ろうと雲霞の如く寄り集まって来る。


「おい、おれさまの話をだな――」


 もはや完全に蚊帳の外になったジャッカルは盛り上がるカルリエ貴族たちに無視される格好で座り込んでいた。


「くっ、馬鹿な。こいつらおれさまにあれほど尾を振っていたくせに。カインよ、ならばせめてこのおれの首を――」


「ジャッカル殿。もはやあなたの首などなんの価値もございませんよ」


「な! なんだとォ」


 ロックが打ちひしがれたジャッカルに追い打ちをかけるようにいった。


「リン・グランデの貴族たちは再びカインさまに帰属しました。あれほど見事に年少であらせられるカインさまが歴戦の騎士であるあなたを打ち倒し、尚且つ貴族にもっとも必要とされるノブレス・オブリージュを証明したあとでは、とてもその舌から出る甘言を聞く気にはなれないでしょう」


「ぞ、ぞんなぁ。おれさまの下で一丸となって籠城すればパラデウムの援軍が来るまで持ちこたえられるはずだ……」


「あなたの弁舌は中々のものでしたが、最後の最後で地が出てしまった。信に足る人間ではないということを証明してしまったのです。実力ではあなたがカインさまを凌駕していました。あの場でハッキリとカインさまより強いところを見せつけて、リース殿に謝罪する度量があればカルリエの貴族たちはカインさまやリューイ公よりもあなたを信じたはずでしょうに。そこがジャッカル殿の限界だったのです」


「あ、おお、ああ……」


 ジャッカルはよろよろと部屋から出て行くと近場のバルコニーで自らの喉を突いて自害した。


 つけ加えるとジャッカルの相棒であったパラデウムの情報将校であるマイルズは屋敷のメイドと手を取り合って、それよりもはるか前に城から逃げ出していた。


 カインは都城リン・グランデからパラデウム派の勢力を一掃すると、領内のあちこちにその威名を轟かせた。


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