第52話「対決」

 記憶を頼りに水路を移動すると、まもなく中庭の池に立つことができた。


 足首の痛みはこらえ難いものになっていたが、カインは意思でそれを押し殺した。


「お待ちしておりました」

「ああ、すまないな」


 待っていたロックが用意していた布で身体を拭うと新しい衣服にカインたちは素早く着替えた。


「さすがカインさま。これならいつでも優れた諜報員になれますな」

「あのな……」


「ロックさま。堀には猪婆竜がいました。もう少しであるじさまのお命が危ういところだったのですよ!」


「――! それは、なんということを。カインさま、私の調査不足で! なんという不始末を」


「気にするな。それにこの程度を乗り越えられないようでは男として生きてはゆけない」


「あるじさま……」


 ライエが熱っぽい視線を投げかけて来るがカインは意図的にそれを無視した。


 考えてみればこの進入路は取り立てて特別な技術がいるものではない。


 たとえ泳げなくとも息を止めて、数分動くことができれば突破できるちょっとしたアトラクションであった。


(猪婆竜ってイベントは要らなかったがな)


「とにかくリューイ公の元まで案内してくれ。そこまで行けば最悪パラデウム派の人間とも話し合いに持ち込めるだろう」






 ロックの手引きで再びリューイ公に遭うことができたカインであったが、その憔悴の仕方に胸が潰される思いであった。


「カインよ。まさかこうしてまた舞い戻って来るとはの……よくぞ、あの包囲網を」


「リューイさま!」

「おお、ライエか。リースも無事なのか?」


「姉さまは安全な場所で待機しております。それよりもお身体の具合は――」


「ははは。わたしは先のことを思っておまえたち姉妹をカインに預けたのだがな。さて、カインよ。頼りない大叔父ですまぬな。しかし、なぜ屋敷に舞い戻って来た。おまえならば市中に隠れ、援軍が来るまで待つくらいの才覚はあっただろうに」


「お言葉ですが公よ。仮にも私はカルリエ家の領主代行を父上からいいつかり、領内を見させていただきます。たとえこのリン・グランデがパラデウム派によって完全に占拠されているのが事実だとしても、いつまでもコソコソと逃げ隠れしているわけにはいかないでありませんか」


「なるほど。確か、カインは今年で幾つになった」

「十一でございます」


「噂は本当だったか。さすがカルリエ家の麒麟児よ。だが、わたしはおまえが思っているほど全知でも全能でもない。ああやっておまえを逃がすのが精一杯の老骨だ。なにせ、おまえが一番困っているときであっても、この城を守るのが精一杯であったくらいだ。そんなわたしにおまえはなにを望むというのだ」


「大叔父上。私が望むのはあなたさまが、この城の将兵たちに私の言葉を聞くよう機会を設けるだけで充分です。あとのことは、私がなんとかします」


 リューイ公は両眼をカッと開くと虚を衝かれたようにカインの姿を真っ向から見た。


 それから椅子にずぶずぶと身体すべてを預けるようにもたれてゆく。


「なんということよ。目開きの盲人なのはわたしのほうであったか。わたしはてっきりカインが泣きついてくるだけだと、その程度の考えしかなかったわ……」


「公よ。買いかぶり過ぎです。私はこの城の人間に知られてはおりません。確かに今の状況はギリギリですが逃げているだけでは将兵の心を掴むなどいつまで経っても無理だと思っただけです」


「ロックよ。すでにおまえは我が家を辞しておるが、この老骨の頼みを一度だけ聞き入れてもらえぬか」


「滅相もないことで。公よ、なんなりとおいいつけを」


「階下に控えているリオネル将軍に伝えてリン・グランデの主だった貴族全員にこの屋敷に集まるよう指示を出すよう伝えてくれないか?」


「お任せを」

「おおっとぉ。その必要はありませんよ、ご老公」


 碁盤のような真四角な顔を左右に不利ながら豪奢な軍服に身を包んだ男が多数の騎士を引き連れて押し入って来た。


 いわずと知れたパラデウム貴族にしてリン・グランデ撹乱の命を受けて暗躍していた情報将校ジャッカル・ボローである。


(マズいな、思った以上に集まり過ぎている)


 ジャッカルの背後には無数の貴族が配下を従えて、虎視眈々とリューイ公の部屋に入るタイミングを計っているのがわかった。


 とてもではないが、友好的には見えない。カインの直感はしばしは高確率で当たる。その証拠にこちらとしては見覚えのない男が多いが目が合っただけで気まずそうに横を向いたりうつむいたりしていた。


(もはやほとんどがパラデウム派に鞍替えしたか、それとも老齢のリューイ公を見限り、あるいは年少のおれを見て抗戦する意気を粗相させたのだろうな)


「おっとお初にお目にかかります領主代行カイン殿。お噂はかねがね。さて、若くして相当な腕前であるカイン殿ならば、この先の展開がどうなるかは理解できているのではありませんか? 我が主はあなたのような年若く有能な貴族と語らうのをかねてより心待ちにしておりますれば。潔く、ここは同道願えませんか?」


(ついてゆけばパラデウムまでの地獄行きの片道切符だ。かといって、この数相手に逃げ切るのは不可能であるし、第一残されたリューイ公やおれに協力してくれたみながどのような目に遭わせられるか)


「これはこれは、ジャッカル殿。我が名をご存じとあらば話は早い。ここは互いに面倒ごとはやめて、平和的に解決しませんか」


「平和的とは? 是非、噂の少年領主のご提案を土産話に聞いてみたいものですな」


「実に単純明快。あなた方パラデウムの間諜たちは今回に限り特別に残らず見逃しますので夜が明ける前に城を退去していただきたい。さすれば私が城外に伏せてある兵で無慈悲な追い打ちをかけずに済みますからな」


「ガキが……! まぁーだ、どっちが上かわかんねぇようだな! テメェはすでに詰んでるんだよっ。城内の主要貴族はすでにパラデウムに寝返っているんだよ。このおれを、死神の二つ名を持つジャッカルさまを舐めるのはもう終わりだっていうのがわからねぇのか! ああん?」


「すぐに地金が見えたようだな」

「ああっ?」


「そうかジャッカル殿。残念だ。それよりもどうして私がリューイ公の屋敷に戻ったとわかったのだ。潜入の際には誰にも気づかれなかったはずであるが」


「そおぉんなのは簡単なことだ! おめぇは完璧を誇っていても公の護衛のひとりが忠犬ヨロシクこのおれさまにご注進と駆け寄って来たからだァ!」


「そんな、わたしに仕える騎士が裏切っただと?」


 リューイ公は蒼白になると自分の膝を掴んだ指をわなわなと震わせた。


(裏切り者が出るのは想定の範囲内だが)


 カインが視線を動かすとジャッカルの側に控えている若い青年騎士がビクと身体を震わせた。


 すでにパラデウム騎士の甲冑を着込んで兜を深く被っていたので、顔立ちは判別しにくかったがリューイ公は激しい反応を見せた。


 その青年に見覚えがあったのか――。


 リューイ公は獅子の如く吠えると椅子から立ち上がり、腰に佩いた剣に手をかけた。


「キサマ――! フィルマンよ! わたしがおまえにどれほど目をかけてやったのか忘れたというのか。この恩知らずの犬めが!」


「ひ! 申し訳ございません、公よ。ただ、ただ私は」


「公よ。自分に仕える者はようっく選ぶことだな。この男は公に仕えていたリースとかいう女欲しさにあっさりとこちらに転んだのだ」


「フィルマンよ。愚かなことを。わたしがおまえとリースの仲を裂いたとでも思ったのか。そもそもがあの娘はおまえ程度の男では持て余すと思ったゆえに願いを聞き届けなかっただけだ」


「う、嘘だ! 公は私のリースとそこにいるライエを寵愛していたから、私の願いを聞き届けてくれなかったのだ! ジャッカルさま、私は功を挙げましたゆえ、なにとぞリースを我が妻として迎えることの許可を」


「おうおう、そうかそうか。実はな、フィルマンよ。おまえとそこの小僧領主に会わせたい者を連れてきているのよ。おい!」


 ジャッカルが声を上げる。


 ほどなくしてカインはボロボロの姿になったリースを目にし、全身の血が一気に蒸発するほどの怒りを覚えた。


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