第49話「決断」
「はぁ、なんか疲れた」
早朝に抜け穴から脱出し、物影に身を潜めること半日近く。若いカインの身体もさすがに疲労を覚え、与えられた部屋の椅子に座り込むと根が生えたように動けなくなった。
「それじゃあベッドでお休みしましょうか」
物凄い笑顔でリースが両手を組み合わせすり寄って来る。背後には頬を紅潮させたライエが上着のボタンに指をかけていた。
「悪いけど、本当に疲れているんだ。ちょっとの時間でいい休ませてくれ。そうすれば頭も働くようになる」
姿を消してしまったゴライアスやジェフのことも気になるが、まずは少しなりとも身体を休めなければ息が続かず、長い目で見れば不利なのだ。
「それじゃあカインさま。しっかりベッドで横になったほうが疲れは取れますよ」
むー、と不満そうに口を尖らせていたリースが隣のベッドを指差した。
「ここでいいよ。椅子ならいつでもパッと起きれる」
「だーめです。今は年長者であるわたしの意見を聞いていただきますよ」
「はは……」
「なにを笑っているのです? もう」
転生したカイン自身の体感年齢は生前を含めれば四十歳を超えているだろう。
(不惑を超えて中学生くらいの子に諭されるとはな……おれに娘がいたらこのくらいの年かな?)
このようにリースが知れば怒りそうなことを考えているカインも周りから見れば、線が細い貴族のお坊ちゃんでしかないのだ。
「わかった。わかったから、そうがなり立てるな」
「わたしは実に静かにお話をさせていただいていると自負しておりますが」
「寝るよ。ベッドで寝る」
「それではお休みなさいませ」
「あるじさまお休みなさいませ」
「……とりあえず君たち姉妹がなぜ添い寝をするのだ?」
「疲れているからですよ」
「です」
リースとライエはカインの両脇を固めるように添い寝して来た。ふたりのほうが身長も体重もカインに優っているので傍から見れば仲睦まじい姉弟のように見えるが、事実は違った。
(まあいい。今はとにかく身体を休めよう)
すうすうと健康な寝息を立てているふたりはこうして目を瞑っていれば、年相応の幼い少女にしか見えない。
(人間は覚醒していてはじめて人格が備わるものなのだな。たぶん)
アイリーンたちのようなカインよりもずっと年上の育ち盛りで大人の女性に片足を入れた存在ではなく、リースとライエは身体つきは未成熟であった。
カインの知る母性を感じさせるような柔らかさではなく、細く長いがどこかアンバランスな未完成さは同時に危うい脆さを内包している。
(それにしても、わずかな間ながらこれだけの時間をともに過ごすと、ふたりはまるで違った人間であるということがわかるな)
一卵性の双子であるリースとライエは容貌だけは鏡写しのように同じであるが、言動と行動を取ってみればその個性の違いがハッキリしていた。注意して見ると、同じ目鼻立ちであるがまったく違う人間であることがすぐにわかる。
――そうじゃない、今はほかにもっと考えることがあるはずだ。
(ジェフもゴライアスも姿を消した。おそらくはおれ自身を盾に取られたのだろう。ならば、どれほどの豪傑でもどうにもならない。運がよければ虜囚の憂き目、下手をすればもう亡き者にされている可能性だって低くない)
そこまで考えてカインは腸が煮えくり返るような気分になった。
(クソ、ムカついている場合じゃない。今は落ち着いて打開策を考えるんだ)
実のところカインは休む前、屋敷の主人エガールにリューイ公の身辺をできる限りでいいので情報を取るよう依頼していた。
ベッドに横になって二、三時間まどろんだだろうか。
「カインさま、カインさま。お休みのところ申し訳ございません」
エガールの焦った声とともに扉が狂ったように乱打された。
カインが身を起こす前にリースとライエは下着姿のまま素早くベッドを下りると、ナイフを手にして扉の両脇に立った。
これは不意の侵入者があれば即座に攻撃のできる最適な位置取りだ。
「お入り。どうしたというのだ主人。なにごとか?」
「これはカインさま。即刻身支度をお願いします。家の周りを城の騎士と兵たちが取り囲んでおります」
「そうか」
カインにとっては予測の範囲内だった。リースとライエは武器を納めると素早く身支度にかかる。
「把握しているのならば答えて欲しい。主人よ、リューイ公はまだ屋敷にご滞在なのか」
「カインさま。わたしが知るところによりますれば、公の御身柄は未だ他所へお移りになってございません」
「――そうか。ならば、直接屋敷に戻ってなんとかリューイ公に会い、直接臣下たちを説いてもらうしかないな」
カインの決断は速やかだった。
だが、リースとライエは目を三角にしてカインの意見に反対した。
「お待ちくださいませ。どれだけ苦労してお屋敷から脱出したかをお忘れなのですか?」
「姉さまのいう通りですよ、あるじさま。ここが危険ならば、すぐにほかの安全な場所へお移りになればよいではないですか!」
「いや。ことここに及んでは無様に逃げ回って捕らえられることはさけたい。ここが感づかれればよそに移っても時間の問題だろう。リン・グランデから逃げようとしても、東西南北の城門はパラデウム派によって固められているだろう。それよりも私が直接大叔父上にお会いしてことを収めるよう勇気づけるほうが、賊徒たちを一掃できる確率が高い」
「そんな……」
ライエは口元を手で覆って目尻に涙を溜め、リースは薄い唇を悔しそうに強く噛んでいた。
「それに今なら公のお屋敷の防備は薄くなっているはずだ。まさか、一度逃げ出した者が自ら戻って来るとは考えないだろうしな」
「それは、希望的観測です。カインさまのようにご身分のあるお方がイチかバチかのバクチを打つなどとは、わたしは許容できませんよ」
「なにをいっているリース。人生自体がバクチみたいなものだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず。漢の武将である班超は多数の蛮族を前に、座して死を待つよりもイチかバチかの奇襲をかけて大勝し名を後世に残した。――それに人間の命なんてどうせ永遠に続くものではない。私は、この可能性に賭けた」
「無茶苦茶です……」
リースは自分の顔を片手で覆い長く息を吐き出した。
「主人。リューイ公のお屋敷に気づかれず忍び込める方法を知らないか?」
「カインさま。実はわたしどものせがれはつい先日まで公のお屋敷でお世話になっておりまして。詳しい話はせがれから聞いてください」
エガールはせがれのロックを呼ぶとカインにあいさつをさせた。
「おはつにお目にかかります。私はエガールの一子ロックでございます。私で役に立つのであればなんなりとご命令を」
屋敷の主人エガールの嫡子ロックは二十二歳と成年に達しながらカインよりやや大きい程度の小柄な身体つきであったが、筋骨はよく鍛えられており瞳からほとばしる輝きは聡明で頼りになりそうな男だった。
「リューイ公のお屋敷へ誰にも気づかれず入りたい。なにか手はあるか?」
ロックは手にした屋敷の見取り図を少しの間だけ見つめるとカインを仰いだ。
「そうですね。ひとつだけ可能性があるとすれば、ここ。水路です」
「水路……!」
「つい先日私は母の看病のためにお暇をもらいましたが、十六のときから六年間奉公して、お屋敷の濠の改修も幾度となく任せていただきました。今は水が張ってありますが、ただ一点、屋敷内に通じる水路のひとつにある鉄柵は経年劣化のため外してありまして、未だつけてありません」
「そんなことが……もしかしてリューイ公は万が一のときに備えて?」
「いや、ただ忙しくて直すのを忘れておりました」
そういうとロックは困ったようにうしろ頭をポリポリと掻いた。
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