第48話「闇夜の奇襲」
「抜かるなよ」
闇の中で壮年の男の鋭い声が聞こえた。カインは闇に慣れた目を素早く動かす。向かって右に六人、左に三人。計九人。黒装束に黒頭巾を被った一団はカインたちの行く手を阻むように半円を描き押し包もうと迫る。
(九人か。マズいな)
「ライエ。わたしは右手を。あなたは左手をお願い」
「了解です」
「カインさま下がっていてください」
「大丈夫か」
リースはカインの言葉には答えず振り返ってウインクをした。お仕着せのスカートを翻しながらリースは地をすべるように走り男たちに向かっていった。リースは素早く左手を動かすとポケットからきらりと光るものを取り出し口元に持って行った。
同時にリースに襲いかかっていた男たちが同時にふたりほど仰け反って倒れた。
(含み針か!)
雲間から差したわずかな月明かりに反射したものはリースが密かに持ち歩いていた暗器であり、そしてこの場ではこれ以上ないというくらいに活用された。
「はっ」
ライエが絞った声を発しながら左手の男たちの間をするりと駆け抜けた。
わずかな呻き声と共にふたりの男が倒れる。
鋭く振るったライエの短剣が男たちの脇腹を目にもとまらぬ速さで薙いだのだ。
ほぼ同時にリースは身を低くして襲いかかって来る男の喉笛を掻き切ると、返す刀で背後から迫っていた男の心臓を的確に打った。
――見事。
というしかほかない早業だった。
カインが息つく暇もなくリースは高々と跳躍すると、含み針を顔に喰らって呻いている男たちの脳天を次々に割った。
手にしたナイフの使い方に年季が入っている。カインは冷静に互角の状況で彼女たちと立ち会って勝てるどころか逃げ延びる様子がないことに、背筋を凍らせた。
そんなことを考えているうちにライエは自分よりもはるかに上背のある男の胸板を小振りなナイフで刺し貫いていた。
「ひ、引くぞ!」
「逃しませんよ」
リースはそういうと落ちていた長剣を拾ってうしろを見せた男の背中へと躊躇なく投げつけた。
肉を叩く音が響いて男がドッと前のめりに倒れる。最後のひとりは前方に素早く回り込んだライエがナイフを喉笛に突き立てて処理した。
(早い、なんという手練れなんだ。このふたりは)
この間に二〇秒とかかっていないだろう。九人もの刺客をこともなげに屠ったふたりのメイドはカインが知る戦場でのジェフやゴライアスと違った種類の強さを身に着けていた。
「カインさま。この男たち確実に命を狙っていました」
「そうなのか? 私を捕らえようとしていただけじゃ……」
「刃に毒が塗ってあります」
「なん、だって……?」
「どうやら城内の反徒たちはカインさまを捕らえようとする比較的穏健派とお命を奪おうとする過激派のふたつに分かれているようですね」
「ゾッとしないな」
「とりあえずは――この者たちを処理しませんと」
リースがなんでもないように微笑みながらいうのに、カインははじめて自分とは別種の生き物であると感じていた。
ライエが見つけて来たのはカルリエ家のゆかりの者が所有する住居で、変哲もない住宅地域の一角にあった。
「これはこれはご領主さま。賊徒討伐のご高名はこんな爺でも耳にしておりまする。こんあむさ苦しいあばら屋で恐縮でございますが、いつまでもお気の済むまでゆるりとご滞在ください」
「ありがとう。ただ、それほど長居はしない。場合によってはすぐに出るかもしれん。それとつけ加えておくと私は領主代行だ」
「ええ、ようく存じておりますよ」
屋敷の主人である七十過ぎの老爺エガールはリン・グランデに長らく居住し若い頃は名のある騎士に仕えていた。
彼は城代であるリューイ公よりもカインの祖父レオポルドに恩義を感じているということなので、少なくとも城に変事があったときは頼りにできる存在だった。
「まだかっ。まだ、あの小僧は見つからんのかッ」
「は。件の領主代行ですが、未だ見つかったという報告はございません」
「こンのウスノロがっ。無駄飯くらいがッ」
パラデウム貴族のジャッカル・ボローは苛立っていた。彼は碁盤のような四角い顔を真っ赤にして、兵隊に当たり散らすと、大ぶりな椅子にどっかと尻を落とし頭を抱えた。
「ンだよもおおおっ。せっかく電撃戦でリューイ公と娘を抑えたというのに、肝心要のカインを取り逃がすなんてェえええ……!」
「どうしたジャッカル。外まで聞こえているぞ」
相棒のマイルズ・ウェイクマンが脂肪の乗った顔に大粒の汗をかきながら小走りで室内に入って来た。
ふたりはカインがカルリエ領統一の戦線を開く前、密かに隣国パラデウムから政治の要所であるリン・グランデに送り込まれた間諜であった。
間諜といってもふたりもとパラデウムでは名のある騎士である。ふたりはパラデウム伯が内部からカルリエを切り崩すために身分を偽って潜ませておいたのだが、結果的にはカインの活躍によって煽動の鎮圧や野戦の敗退によって伯の野望は頓挫した。これによりふたりの間諜は屋根に上ってハシゴを外された形となった。
すでに身分がバレており、このまま領内を逃亡することはまず不可能であろう。
速やかに追手を出されれば捕斬されることは目に見えていた。
だが、さすがに選ばれた「内服の毒」であったふたりは往生際が悪かった。
起死回生を狙ってジャッカルたちは城内のパラデウム派を上手く煽った。
ジャッカルたちはすでに領主代行であるカインが裏切り者の名簿を手に入れ、自ら断罪に城を訪れたとパラデウム派を欺き追い詰めた。
ついにはリン・グランデの実質的支配者であったリューイ公を軟禁した上で、このパラデウム派の壮挙に同意しているという嘘を上手く信じ込ませたのは見事である。
「あとはカインのクソガキを捕虜にしてパラデウムの援軍が来るまで粘れば、極めて合法的にカルリエの領土は伯爵の実質的領土になるはずだった。その功でおれは出征街道を駆け上がり、このリン・グランデをモノにするつもりだったのにィ……! クソが!」
「やめろジャッカル。それよりもさっき怒鳴りつけたのはカルリエの騎士だ。おれたちは多数派を操っているとはいえよそ者だぞ。無駄に恨みを買ってどうする!」
「わーかってるよぉおおマイルズ。けどよぉ、おれはおまえみたいに人間ができてねぇんだ。あのガキを一刻も早く捕えにゃあ、おれらは縛り首だぞ!」
「ふぅ。リューイ公の屋敷でおつきの騎士を両方とも捕らえられればよかったのにな」
「ケッ。田舎臭い騎士など材料になるかよ。それよりもカインのやつに城外に逃げられるほうが危険だ。聞いたところによると、あのガキは王都の殿上人とも繋がりがあるらしい。このタイミングで仲裁が入るようになってみろ、伯爵はおれらのことを簡単に切り捨てるぞ。アイツらが勝手にやりました、ってな。あの方はそういうお人だ」
「確かに目に見える功績がなければ私たちは帰る場所を失うだろう。いや、もはや失いかけているのかもしれないが」
「けったくそ悪いっ!」
ジャッカルは被っていた羽根突き帽子を引っ掴むと、そばに控えていたメイドに投げつけた。
それから野獣のようにフーッフーッと荒く呼吸をすると若いメイドを食い殺さんばかりに睨む。
「ひっ」
まだ若い十五、六のメイドは涙を浮かべながら胸を隠すようにしてその場に座り込んでしまう。
「なぁマイルズ。ちょっと部屋出てろや。ちょいとコレでストレス解消しとく」
「あのなぁ、いい加減にしろ! 私たちは紳士だろ。おまえが私の目の届かない場所で乱暴を働いているのは風の噂で聞いていたが、嘘だと思っていたが。事実だったようだな。これ以上パラデウムの品位を落とすことは許さない! この娘に手を出すなら、わかっているな」
マイルズは酷薄な表情で剣の柄に手をかけた。さすがのジャッカルも相棒と切り結んでまで己が獣欲を満たすつもりはなかったようで、あっという間に尻尾を巻いた。
「じょ、冗談だよう相棒。ちょっと小娘とお話するつもりだったのさ。へ、へへへ、ンなにマジに怒ることねーだろう」
「おまえのほうが私なんぞよりもずっといい家の出だろうに。……なあ、ジャッカル。カインを探すよりもずっといい方法があるのだが、聞くか?」
「ああ? ンだよそりゃあ」
「降伏するんだよ。潔くな」
「ハァ?」
「降伏するんだ。いくら私たちが多数派を抱き込んでいるとはいえ、カルリエ領地で籠城してまともに戦争を継続できるはずもない。今なら私たちのほうが勢力が優位であるからよい条件で降伏できるはず」
「馬鹿いってんじゃねえええっ。おまっ、おまっ、おまえ頭がおかしくなったんじゃねぇか? カインさえ捕獲できりゃすべてはこっちの思い通りに運ぶってのにッ!」
「そもそも前提条件からして読み間違いだったんだ。レオポルドの跡を継いだニコラが使い物にならないのはわかっていたが、そのニコラのたかが十かそこらの子供がここまで見事に領内を仕切ってみせるとは。普通ならば、農民反乱の時点で手におえず王都に泣きつくと見ていたのが、ここまで予想を裏切ってくれるとは。今からでも遅くない。リューイ公を軟禁から解放して私たちのことを重く罰さないように説得を――」
「馬鹿が。つき合いきれねぇわ」
「どこに行く」
「決まってる。このおれ自身でカインを探しに行くのよ。やつを匿ったやつはただじゃすまさん。そうさ、どっちが真の支配者か身体に叩き込んでやるぜ。ふぇふぇふぇ」
そういって笑うジャッカルの目は確実に常軌を逸していた。
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