第35話「出陣」

農民たちを慰労、鼓舞したのち、カインはまず万余の集団を選別した。


 大怪我をして身体が不自由な者、病で弱っている者、老年の者、女子供――。


 これらはすべてカインの采配で周囲の村々に分散させ帰農させ、集団でも意気軒昂で武器を取って戦える若者から壮年の男を中心に軍団を編成した。


 その数七千。カインはこれらを歩兵として将をゴライアスと定めた。現在、カルリエ全土は蜂起した領民によって寇掠され機能不全に陥っている。


これらを奪い返すためにカインは決然と立ち上がった。


「坊ちゃま。ここいる者たちは、みな五十代の老齢ながら長らく戦場をお館さまと疾駆し作法を心ております」


 ひと晩明けてセバスチャンが招集した貴族たちは、一度は隠居したもののカルリエ家の危機を救わんと駆けつけた忠儀の士である。十三人の老騎士たちは、それぞれ手勢を従えており、カインは瞬く間に良馬と二千の兵士を得た。


 カインはゴライアスを先鋒として用い、二千の騎兵はジェフに率いさせた。


「まずは我らが本拠地である東部地区を奪い返す」


 そう命じるとゴライアス率いる歩兵は天も衝かん勢いで暴徒に奪われた諸城に猛然と打ちかかっていった。


 さすがはカルリエ家のお膝元である。そもそも暴徒や賊たちは、三十から百名単位でそれぞれ小城や砦に立て籠もっていたので組織立った動きをしているものは少なかった。


 第一に、ゴライアス率いる蜂起軍がもっとも大きな集団だったのだ。群盗の小勢は打ち寄せる波が浜に建てられた砂城をきれいさっぱり押し流すかのように、あっさりと呑み込まれていった。


 東部を完全に掌握したカインの軍は一万二千ほどに増えていた。


 とはいえ、ゴライアス率いる農民軍が七千から一万に増えただけである。


 烏合の衆とはいえ増大した兵力の圧力は相当なものだった。


 カインは領地の中央部に本陣を据えると、北部をジェフの率いる騎兵二千に、南部をゴライアス率いる農兵一万に攻めさせた。


 つまり騎士団の数の少なさを練度で、農兵の弱さを量で補ったのだ。


 この作戦は思った以上に上手く作用しカインは幕営にいながらにして自軍の鮮やかな勝利を得るごとに、適宜修正を加え作戦を続行した。


 当然ながら軍事の素人であるカインが初陣である戦いでここまで見事に戦果を上げられるはずもない。


 ひとえにこれらはセバスチャンがつけてくれた歴戦の老騎士たちによる幕僚の緻密な軍の運用にあった。


 三月を迎える前に領地全体の異常なまでの反乱は終息を迎えつつあった。カインは幕営で参謀たちの助言をフルに活用しオーソドックスな戦法で敵を撃破していった。






 ――普通の小僧ではない。


 セバスチャンに呼集されて陣営に加わった老騎士アルベルドは領主代理であるカインの行動を見続けそう結論づけた。


 アルベルドは先々代の当主でありカインの祖父であるレオポルドに従って各地を転戦した熟練の軍人である。貴族とはいえ、最下級の彼は盟友であったセバスチャンに乞われて此度のいくさに加わった。当初は王都育ちの坊ちゃまが指揮官として遠征軍に加わると聞いて、横合いから余計な嘴を入れられるであろうと半ば覚悟を決めていたがそれらは杞憂であった。


 ――いや、カインという御曹司は確かに軍事に関しては素人なのであるが、それをまったく隠そうとせず、参謀であるアルベルドたちの助言を聞くと素直に受け入れ実行する稀有なものがあった。


 アルベルドの知っている貴族は対面を重んじ、たとえ物事を知らなくとも決してそれを表に出そうとせず、グズグズと無駄な時間を費やし絶好のタイミングを逃してしまうのが常であった。


 今回のいくさでアルベルドはいかにカインに邪魔されず的確に軍を動かせるかどうかが勝敗の決め手であると信じ込んでいたが、その心配は必要なかった。


 カインはアルベルドたちから作戦の概要を聞くと速やかにそれらを受け入れ、なんら躊躇なく進退を実行させた。


 これはタダの坊ちゃまにはできないことであるぞ、と。


カインは愚鈍ではない。むしろ言葉の端々や一を聞いて十を知る頭の回転から見て、同年代ではほとんど並ぶ者がないであろう聡明さを発揮していた。


だが、頭の回転が速いということは自分でものを考えたくなると同義である。特にカインくらいの年齢であるならば、軍事に興奮してあれこれ余計な命令を発してあたりまえなのである。本人が最高責任者であるならば猶更だ。軍には彼の暴走を止める上の人間もいなければ、窘めるべき側役もいなかった。


 しかしカインはアルベルドの指示を素直に聞き入れ即座に実行に移させた。アルベルドが仕えたレオポルドは自ら陣頭に立ち兵を鼓舞すること、まさしく英雄の器であった。


比べてカインは己の非力さを知っており、助言を聞き入れ兵を動かすことで軍を十全に運用し、総合的に見れば指揮官としては申し分のない器であった。


 ――この少年は素晴らしい。我が孫と歳はたいして変わらないというのに、このやりやすさはなんなのだ。


「報告します。現在ジェフ閣下率いる騎兵は北部地区を完全に掌握し、また南部地区のゴライアスも本日の正午には残党狩りを終えて本陣に帰隊する由にございます」


 伝令のまだ若い騎士は頬を紅潮させてよく通る声でそういい放つと、幕僚たちからワッと喜悦の声が上がった。


 アルベルドがチラと主人であるカインに視線を転じる。そこには薄く笑みを浮かべ泰然と椅子に座ったまま報告を受ける聡明な君主の姿があった。


「カインさま、お味方大勝利です。残りは西部地区のみでございますな」


「ああ、これもすべて卿らの尽力のおかげだ。ありがとう」


「なんともったいないお言葉――」


 カインのなんともうれしそうな微笑みに魅了されアルベルドは身の内に起こる静かな感動に打ち震えていた。






「んで、若さま。若さま自身が前線に出る必要はないんじゃありませんかね? いかようにも危険でござんすよ」


 西部地区以外すべての領土を再掌握したカインたちは、未だ頑強に抵抗を続ける暴徒を膺懲するため軍を進めていた。


 カインは指揮所から自室であるテントに移りゼンと束の間の休憩を楽しんでいた。


「ゼン。怖いのなら屋敷に残っていてもよかったんだぞ」


「意地悪いっちゃアいけやせんぜ。あっしは若さまと一蓮托生。地獄の釜の底までお供して水垢だって舐めるつもりでやすよ」


「それほど悲観的になるなよ。まあ、とりあえずは大丈夫だろう」


「またまたいい加減な……」


「勘だよ、勘。ゼン、知っているだろう。私は案外と悪運があるんだ。この戦場はまだ私の死に場所じゃない」


「そんな楽観的な。確かに万余の兵がいれば安心っちゃあ安心でしょうが」


「どうかな」

「へ?」


「一万三千のうち本当に頼るのはセバスチャンが手配した騎士たちの手勢二千だけだ。農兵のほとんどは苦境に陥ればあっという間に逃げ出すだろう」


「そんな殺生な」


「彼らを責めても仕方がない。農民は正規の訓練を受けていないから、旗色が悪くなれば霧散する。それを織り込み済みで戦わなければならない」


「はぁ。大将ってのはドデンと座ってりゃあいいかと思いましたが、案外と気苦労なものですね」


「そうだぞ。だから大将なんてものにはならないに限る。できれば私もそういう人生がよかったよ」


「なにをのんきな」

「今くらい愚痴らせてくれたっていいじゃないか」


「けど、残ったのは西部地区だけでしょう? 軍兵も物資も潤沢な今ならさほど問題はないのではありませんか?」


「そうでもない。実は最後に残った場所に居座ってるのは隣国パラデウム伯の軍だ」


「あ……」


「カルリエの領民を保護すると称してパラデウム伯爵は公然と我が領土を蚕食している。こちらは一万そこそこだが、西部地区に駐屯している敵軍は健全な騎士団を中心に構成された二万余だ。地の利はこちらにあっても無理押しすれば相当な出血を強いられることになるだろう」


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