第34話「ぬくもり」
セバスチャンは真っ白な口髭を震わせながら顔を歪ませ小さく呻いた。それは苦悶とも取れる表情であった。
「私が思い違いをしておりました。お館さまは常々坊ちゃまのことを私如きに頼むと仰せられました。カルリエの地が平穏であれば、この土地で坊ちゃまは伸び伸びとなに不自由なく生活できましたはずであるのに。王都に戻って暮らすほうが安楽であると、私如きが勝手な決めつけを。坊ちゃまがそれほどのお覚悟をお持ちとは思い至りませんでした。愚かな爺をお許しください」
「許すもなにもない。まだ尻に殻のついたひよっこを導いてくれ」
カインがそういって手の差し伸べるとセバスチャンは床に膝を突いて赦しを乞うように、ずっと小さな少年の手を握るのだった。
「明日の朝まで時間をください。私に今できる限りのことをさせてください」
そういってセバスチャンが部屋を去って数刻後のことである。
明日の朝までわずかであるが身体を休めようとカインが毛布をかぶってベッドに大の字になっていると、トントンとドアを控えめに叩く音が聞こえた。
「カインさま――?」
声の主がアイリーンであるとわかっていたが、悪戯心を出したカインは返事はせずわざと狸寝入りを決め込んだ。
(ようし、ストレス発散にちょいとアイリーンを脅かしてやるか)
アイリーンが暗闇の中をそっと歩み寄って来るのが気配でわかった。
(ここはオーソドックスにわっ、と大声でだな……ん?)
闇に慣れたカインが目を開けるとアイリーンが大きな麻袋と縄を持ってコソコソしているのが見えた。
(え、ちょ……なに? なんなの? マジで怖いんですけど)
そっと毛布から覗く。アイリーンは麻袋の口を開いて摺り足で忍び寄って来る。彼女の荒い呼気がやけに大きく室内に響いた。
「すみませんカインさま。もうこの方法しか……」
「ってなに考えているんだっ」
「んきゃ――もごっ」
悲鳴を上げかけたアイリーンの口元をカインは咄嗟に手で覆った。
「ようし、落ち着け。落ち着けよ。大きな声を出すな。わかったか? それじゃ、手を離すから理由をゆっくり説明するんだぞ?」
「ぷはっ」
「――で、これはどういうことだ。私を攫うつもりだったのか?」
「ち、違います。あ、安全な場所にカインさまを匿うつもりだったのです」
「なーんで、いきなりそんな突拍子もないことをやろうと思ったんだ」
「だ、だって、そうでなきゃカインさまは明日、戦場にご出陣なされるのでしょう? リンダとキャスリンがこの方法がもっとも平和的に物事を収められると……今考えますとおかしな話ですが」
「わかってんなら決行するんじゃないよ」
(だが、それだけアイリーンも追い詰められていたということか)
「別に私が出陣するからといって剣を取って戦うわけじゃない。実際に前線で戦うのは騎士たちの役目だ。第一、私のような子供が戦場で役に立つはずもない。役に立たない子供ができることは神輿のようなもので、いうなれば暴徒や盗賊たちに対する大義名分というやつさ。それにカルリエ家の名前で敵が戦う前に降伏すれば無駄な人死にはさけられる」
「それならばわたしもっ。わたしもカインさまにお供しますっ」
「あのなあ、いくらなんでも戦場に女を連れて行けるわけないだろう。敵味方両方から私が侮りを受けることになる」
「でも、でも、わたしだってわたしだって――なにかカインさまのお役に立つことはできないのでしょうか?」
――小娘だからといって馬鹿にできないいじらしさにカインはクラッと来た。
貴族に転生したカインは普通の男女の主従がたかがいくさ程度でここまで命をかけないことを知っていた。
実際に、情を交わした恋仲であっても、女は男が戦場に出るとわかれば別れこそはそれなりに惜しむが万が一のときはサバサバしているものだ。
(おれは実際に王都の屋敷でそういった割りない仲の騎士とメイドが案外サッパリしていることを知っている。メイドは行かないでと泣くが大抵は無理についていくまでとはいわないものだ)
アイリーンの意思が固い証拠に彼女は荷物を詰めた旅行鞄を持参していた。
「とにかく。聞き分けてくれ。誓って無事に帰って来るから」
「でも、なにか。わたしはカインさまのためになにかしてあげたいです」
「……んじゃあ。膝枕でもしてもらおうかな」
「はい」
素早い動きで夜着姿のアイリーンは躊躇なくベッドに上がると正座をして、ポンポンと自分の膝を叩き準備万端の構えでカインを誘う。
(冗談だったんだが。まあ、少し形だけでも見せればそのうち帰るだろ)
「じゃあ、頼むな」
「はい、カインさま」
そっとアイリーンの膝の上に頭を乗せる。眼を瞑ると不思議なことに強烈な眠気が襲って来た。
あれよあれよという間に意識はゆっくりと深い場所へと潜っていく
「おやすみなさいませ、カインさま」
どこか遠くで優しいアイリーンの声が聞こえ、やがて意識は溶けていった。
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