第31話「カインの知略」

 使用人たちの間を通り過ぎる際にメイドの列にいたアイリーンと目が合った。


 カインはアイリーンの深い森のような翠のような色を心に焼きつけた。


 セバスチャンが一歩下がって続く。


「賊は対話を望んでいるようですが。いざとなれば私が機を作ります。坊ちゃまはジェフと一緒に都城へ奔ってください」


「だから私は逃げないといっただろう。それに相手が話をする気があるならば、なんとかなる」


「なんとか、ですか」


 玄関の大扉をセバスチャンが開けると、暴徒たちがそろって上げる獣のような雄叫びが聞こえて来た。


 カインが前庭に出ると前方には無数のむしろ旗と共に無数の人間が凶器を天に突き上げて喉から怨嗟の迸りを発していた。


 ゼンが必死で運んで来た椅子に腰かける。


セバスチャンの顔色は変わっていなかったが、彼の手がいつでも腰の剣を抜けるようにだらりと下がったのを見た。


 紳士であるいつものセバスチャンならば絶対に行わない所作である。


「そう固くなるな。相手が完全にトチ狂っているならどうしようもないが、話し合いを聞き入れる度量があるならば、理性を取り戻させ交渉に移ることができる」


「なんと……」


 カインの姿を認めた暴徒たちが猛然と距離を詰めて来る。その中から、ひと際巨躯の男が巨大な戦斧を手にして眼前に転がるようにして飛び出して来た。


「小僧、館の領主を出せ。俺たちは領主にいいたいことがある」


 血走った瞳をギロギロ輝かせて男が怒鳴る。

同時に背後の暴徒たちが同意を示す雄叫びを上げた。


「領主になんの用だ」


「なんの用だとは笑わせる。あの旗や槍が見えぬのか。俺たちは天に代わって無道な領主と直談判し、その首を取って天に捧げるつもりだ」


「天とはまた大きく出たな」


 カインがクスクスと笑うとゴライアスはなにか化け物を見たかのように「うっ」と小さく呻いて背後に一歩だけ後退った。


 彼が気勢を削がれたのは無理もない。ゴライアスの前にいる少年は小柄であり、まだほんの十かそこらの小僧だ。その小僧が数千を超える暴徒を前にしてまるで平然としたまま椅子に腰かけている。カインは鉄のような揺るぎなさを演出することでゴライアスの出鼻を挫いたのだ。


「そう焦るな。おまえがこの者たちの親玉か。まずは名前くらい名乗ったらどうだ」


「調子に乗るなよ小僧! 俺はザパドナのゴライアスだ!」


「そうか。私はカルリエの領主ニコラが一子カインだ」


「カイン……するってえと、おまえがレオポルドさまの御孫――いいや、だからって俺たちの気持ちは変わらねぇ!」


「変わらないとはどうするもつもりだ。そもそもそれほどまでに武器を携えて我が屋敷に来るとはどういうつもりだ」


「決まっている。ここまで来る間にぶっ殺した腐れ役人どもと同じように馬鹿な領主を血祭りにあげるためだ」


「ふぅん、その腐れ役人はおまえたちになにをした」


「なにをしただと! 俺たちは領主がロクに目を光らせないから、年貢は取られ放題。そればかりか村の娘は片っ端から役人に召し上げられ、赤子ができたらゴミのように殺して河に捨てられる。挙句の果てに俺たちが信仰する地母神に仕える巫女まで慰み者にしやがって、チキショウ。チキショウ、許さねえ!」


「そうか、まずは落ち着け。で、あるならば私はそなたに褒美を取らさねばならない」


「褒美、だと?」


「そうだ。私は病床にある父に代わって王都から政務を取りに参った。父は病のせいでロクに領地を見ることができず悔いておってな。この度、地方の隅々まで見聞して賄賂を取ったりやりたい放題をする不浄役人は残らず処罰することになっていてな。代わりにそなたが悪を断じてくれたのであるならば、これほどうれしいことはない。よくやってくれたゴライアス。父に代わって礼を申す」


「え、あ、いや」


 カインが真摯に礼の言葉を述べると、貴人にこれほど礼を尽くされたことがないのかゴライアスの目から凶暴な光がみるみるうちに消えていった。


「――さらにいえば、我が一族の拙い政治のせいで領民たちを苦しめてしまった。だが、私がカルリエに来たからにはもう大丈夫だ。これから今年中には地方の汚職役人を残らず処罰し、そなたら領民が安堵して暮らせるよう脳漿を振り絞って知恵を出し、この土地を永遠の王道楽土にするつもりだ」


「そ、そんな口先だけじゃ、誰だって――」


「その証拠がある。ゼン、屋敷の者たちに命じて倉庫にある物品すべてをここに運び出させろ」


「わかりやした!」






 それからは早かった。屋敷に残った下男たちと騎士たちは倉庫にため込まれていたカルリエ一族が代々集めていた宝物と、父ニコラの道楽で仕舞っておいた美術品をすべて運び出させ山と積ませた。


 壮観である。


 これだけで暴徒たちはカルリエの財宝の凄まじさに恐怖と強い欲望を覚え、殺意はだんだら模様に薄まり、興味はこれらのゆくえに注がれた。


 やがて残っていた領地の商人たちがおっかなびっくり連れて来られ、山と積まれた財宝の数々に目を剥いた。


「さあ、競売をはじめるがいい。本日は時間がないので値段はおまえたちで決めるがよい。ただし支払いはすべて現金だ。ここにはなくとも都城に戻ればいくらでもあるだろう。カルリエの商人であるならば、商人魂を私に見せてくれ」


 十一歳の少年貴族にここまでいわれて商人たちも負けてはいられない。彼らはそろって倉庫の物品を高値で落札し、昼前にはすべての財宝は落札者のものとなった。


「さあゴライアス。ひとつ頼まれごとを引き受けてくれないか。彼らが都城に戻って金を持ってくるのを護衛して欲しい。これらはすべて荒廃したカルリエの地を復興するために使うからだ」


「ようがす。ゴウライ、ゴウライいるか!」

「兄者、ここに」


 ゴライアスが叫ぶと彼と変わらない屈強な身体の持ち主が飛び出して来た。


「カインさまの指示通り商人たちを守って都城から金を持って来させろ。いいか! 金に目が眩んで襲って来るようなやつがいたら容赦はするな」


「わかりました」


 数刻後――。


 都城からは数千万ポンドルの金が無事運び出され、庭へと積み上げられた。


 山のように積み上げられてゆくインゴットにみなが欲望と恐れの光を同居させた瞳で見つめる。


「よし。ゴライアス、ところでここに来るまでのカルリエの様子はどうだった」


「へえ。それはもう、酷いもんで。特に流れの無法者やら野盗やらがあっちこっちいて。俺たちは元々がカルリエの領民だけで固めていますので、規律はそれほどゆるんではおりませんが」


「よし、ならばやることはひとつしかない。そなたが知っている通り、我がカルリエの地は今や地獄の釜の底だ。老若男女問わず平穏を求めている。だが、我がカルリエの正義の騎士は非常に少ない。よって――」


 カインは立ち上がって金塊の山を指差すといい放った。


「この金をすべてそなたに与える。この資金によって軍需物資を整え、見事このカルリエの地を安んじてくれ」


 驚天動地の采配に一同は一瞬カインの言葉の意味を理解しかね、正確にそれが伝わったとき、地が波打つような叫びが世界を揺るがした。


「――そ、そんな、そんな大役を、この俺が?」


「ゴライアス、聞けばそなたは昔から我がカルリエ家に忠実だったそうだな。それを揺らがせたのは文字通り私たちの責任だ。ここに一族を代表して謝す。我らの不明を許して欲しい」


「頭を上げてください。なにも、そこまでを望んでおりません」


「そうか許してくれるか。そなたは寛大だな。私は領民に甘えてしまった。そして甘えついでにそなたの気持ちにすがらせて欲しい。これほどの集団をまとめるのは並大抵の統率力では不可能なはずだ。そなたこそこの大軍団を率いる将に相応しい器。だからこそ私はそなたに力を貸して欲しいのだ」


 この言葉は瞬く間にその場にいる人々に伝わった。


 そしてもちろん、直接カインの言葉を聞いたゴライアスはその場へ倒れ込むように伏し、絶叫しながら涙を滝のように流した。


「もったいのう、勿体のうございます。ここまでされて断るのは男ではありません。それにこれだけの金があれば、カルリエにはびこる賊を討伐できます。それに故郷の村々でまだ食料が行きわたらない村人を救うことも可能です」


「そうだそうだ。賊を討伐し残りの金で困った人々を助けてやって欲しい。このような金は私が使うよりもそなたが使ったほうがずっと役に立つというものだ」


 声にならない声を押し殺してゴライアスは地面の赤土を両手で握り潰した。


 カインの言葉に魂を囚われた男は歓喜の涙を流して嗚咽した。



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