第30話「暴徒」

「てか、もう二月だぞ! ここに来てから四か月も経ったのに、ほとんど改革案は草稿もできてないし! このままじゃ破綻は目に見えてる?」


 カインが頭を掻き毟っていると、扉が狂ったように乱打された。


「うるさいな! 聞こえてるからとっとと入れ!」

「若さま、若さま、若さまぁあああっ!」


「なんだよ、ゼンか。どうした、その慌てぶりは」

「急使、急使でございます!」


 扉の開いた向こう側で傷ついて血を流す兵士のそばでゼンが喚いていた。


 兵士は村境の砦に籠る見張り役である。


「状況は」


 カインはスッと目を細めると逸る鼓動を抑えて感情を消したまま問うた。


「ご、ご領主さま。早くお逃げください。暴徒の群れがすぐそこまで迫っています」






 暴徒の頭はゴライアスというカルリエ領に住む農民に過ぎなかった。


 正確には西方の村の一土豪である。

 年齢は年が改まって四十二。


 農作業で鍛えた筋骨は群を抜いて優れており、膨らんだ力瘤は見るからに逞しい。

 ゴライアスは怒っていた。


 無論、ここまでカルリエの地を放っておいた貴族たちにである。


 彼は元々は率先して貴族階級に従い、誰よりも忠実に税を納め、賦役には村から人を割いて出し、カルリエ家を尊崇すること甚だしかった。


 時には彼の治める村人から領地の過酷な取り立てに苦情が出たときも、ゴライアス自身が赴いて膝詰めで説き伏せるほどの忠実ぶりであった。


 理由はそれほど込み入ったものではない。彼自身が名将で知られた先々代レオポルドを神のように慕っていたからであった。


 だが、レオポルドが幽明境を異にし、ちゃらんぽらんで知られるニコラが後継者として定まったのち、かのゴライアスの治める村に派遣された役人が禁忌を破ったのだった。


 代々、それこそカインの一族がやってくる以前から進行していた土地神の神殿に仕える巫女を、酒に酔った勢いで不浄役人たちが穢したのだ。


 折しも、カルリエ家の弱体化を見計らって隣国パラデウム伯爵が「野盗より領民を保護する」と盗人猛々しく寇掠をはじめた。


 さすがにカルリエ領は王家からレオポルドが拝領した土地なのでパラデウム伯も堂々と軍を進めることはなかったが、その代わりに傭兵を操って国境の村々を次々に襲いはじめたのだ。


 ゴライアス自身は当初の計画では自らが先頭を切ってカルリエ家に逆らうつもりはなかったが、傭兵や野盗の群れに襲われ行き場のなくなった農民たちが合流し、その勢力は数万を超え並々ならぬ勢力に成長していた。


 帰る場所を失った領民たちは、麦を残らず喰い荒らす飛蝗のように次から次へと村を破壊し、流民を糾合して膨張し続けた。


 彼らは一個の意思を持った生物のように、いつしかレオポルドの隠居所で知られたカルリエ屋敷に向かって進路を取る。


 ――こうなったら、今の領主に俺たちの責任を取らせてやる。


 カインが供給した物資は飢餓による緩慢な死をわずかばかりに農民から遠ざけただけであった。


結果として生き永らえた領民たちは暴虐の刃を振りかざす相手を主人と定めた。






対応が後手に回り過ぎたか。


屋敷ではメイドや下男たちが悲鳴こそ上げないまでも、みな集められた玄関ホールの前で蒼ざめた顔で震えていた。


セバスチャンだけはいつも通り平静さを保っていたが、特に打開策は見出せないようで静かに佇立している。


カインは一同を前にして頭脳を高速回転させていた。ふと見ると、最近雇い入れた――というか口減らしのために押しつけられた幼いメイドたちがえっえっとしゃくり上げながら涙を黙って零している。


その脇には場違いな上等の衣を着た一団が顔を歪めてひそひそと話し合っていることから、カインは倉庫に溜まった美術品を競売にかけるため呼び集めた商人であることを思い出した。


「今ならここにいる騎士たちと私とで坊ちゃまが都城に逃げ込む隙を作りますが」


 カインは押し黙ったままだ。


 耐えきれなくなったように、ひとりのメイドが声を張り上げた。


「あのっ、カインさま。私たちは、私たちはどうなってしまうのですかっ」


 喋らないカインの代わりにセバスチャンが答えた。


「先ほどひとりひとりに配った小瓶。意味は理解できますね。あなたたちは、仮にも坊ちゃまの寵愛を受けるため集められた者たち。カルリエ家の人間として恥じない最期を見せるのです」


 堰を切ったように悲鳴と絶叫が木霊した。セバスチャンも、今度はそれを制止するつもりはないらしい。甲高い不協和音の中でカインは押し黙ったままひたすら自分の眉を掻いていた。


「坊ちゃま。オラに死ねと申しつけてくだされ。盗賊の百や二百あの世の道連れにしてやるだ」


 農夫然としていたジェフも今は銀色の甲冑を着込みランスを太く節くれだった指で千切れんばかりに掴んでいる。


「その必要はない。ジェフ、おまえはここで待機だ」

「坊ちゃま!」

「おまえのような大男がいると敵が警戒するだろう」


 呆然とするジェフの腕をポンポンと叩く。


「大丈夫だ」


 ジェフと視線がかち合った。


彼の目は主人を見失った大型犬のように戸惑っていた。


「セバスチャン、押し込みの親玉と会ってくる。ゼンは椅子を一脚持ってついてこい。ああ、それと女たちは先走って毒を煽るな。すべては私に任せるんだ」


 カインはそれだけいうとまるで毎朝の日課のように庭を散歩するような気楽さで歩き出した。


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