第29話「変事の兆し」

「カインさまかわいかったねー」

「ねー」


「あら、かわいいだけじゃなくてとても頼りになりますの」

「ねー」


 きゃいきゃいと女子高生のように笑い転げながらメイドの一団が屋敷の廊下を横になって歩く。


「しかしあれだねー。まさかスカーレットさんがあのように暴走するとは思いもよりませんでしたわ。あ、あら?」


「スカーレットならさっきの感触を反芻しているから気にしないほうがいいよー」


「あのね、あなたたち。これじゃカインさまに気張って紹介したわたしの面目が――」


「なぁーにいっちゃってんのかなー。アイリーンが一番長くカインさまをぎゅってしてたじゃない」


「そうだよそうだよー! むしろハグのきっかけを作った私たちを崇め奉るべし」


「調子に乗らないでキャスリン」

「むぎゅ」


 ――だがそのやりとりも永遠には続かなかった。


 廊下の向こうから執事であるセバスチャンの姿が見えるなり、メイドたちは一糸乱れぬ素早い動きで散開状態から一列縦隊に一瞬で整列した。


 基本的に屋敷において私語は禁止なのだ。アイリーンは、以前客人に無作法な振る舞いをした下女がセバスチャンの冷徹な声で叱られているのを目の当たりにしまるで自分が叱られているかのようにキュッと肝を冷やした。


(どうか怒られませんように)


 老齢の身とは思われぬ背筋の伸びた歩調でセバスチャンの渋面がすれ違ってゆく。


 ややセバスチャンの姿が離れたところでメイドたちに明らかな弛緩した空気が流れた。


「キャスリン。今しがた坊ちゃまの部屋から戻ったようでありますが、どういった用件でしたか」


「ひゃ、ひゃいっ」


 ビクッとキャスリンは妙な声で直立不動になる。


「ぷっ、キャスリンビビりすぎ」

「しっ」


 小声で仲間が揶揄う。アイリーンはセバスチャンの片眉がピクッと動いたのを見逃さなかった。


「ええと、カインさま直々に本日の仕事ぶりについてお褒めの言葉を頂戴いたしました」


「そうですか」


 セバスチャンはそれだけいうと靴音も高らかに去っていった。






「ま、なんというかこの身体はやっぱ不自由だよな」


 カインは先ほどのメイドたちの触れ合いを思い出しながらひとり感傷に浸っていた。


(だって、おれまだ十歳かそこらだぜ。このシチュエーションは男なら誰でも想像しなくもないはずだが、如何せん肉体のほうがついていかない)


 そっとズボンをめくって己のものを確認する。


「ひたすらカワイイだけか」


 悶々としていてもこればかりは時間でしか解決できない。カインは昼間の疲れもあり、その日はおとなしく床に就くのであった。


 借金証文帳消しイベントから半月――。


 朝食を終えたのちカインはひたすら執務室で事務作業に没頭していた。


「とはいってもたいして頭を使うわけでもなし」


 カルリエ領の領主であるニコラが病床に伏したため、その間の政務が滞っていた。祖父レオポルドの時代より、実務は館より離れた都城リン・グランデにいる役人が執り行っており、領主は隠居所である屋敷で決済だけをするのが慣例となっていた。


(日本でいえば陛下が送られた書類に目をお通しになられ署名や捺印をするようなものだが……。実際はもっと権限はあるのだが、幼少であるからして大叔父上も気を遣っておられるのだろう)


「とにかくひと通り書類を捌き終わったらリューイ大叔父にあって今後のことを話合わなきゃならないな」


 トントンと扉がノックされる。入室を許可するとセバスチャンがいつも通り隙の無い動きで絨毯の上をすべるように近づいて来た。


「坊ちゃま。お忙しいところ失礼いたします。今、お時間よろしいでしょうか」


「なにかあったのか?」


「西のビュ・レーイ地方で野盗たちの動きが活発化しております。砦の将から兵員の補充を頼まれましたので、どうかご判断を」


 都城にいるカインの大叔父はあくまでカルリエ統治を手伝っているにすぎず、十一歳という幼少ではあっても軍権を握るカインの許可がなければ兵を動かせない。


 現在、領土の三分の二程度にしか実質支配していないカインたちであったが、兵の動員能力は四千はあった。


 そのうち各地に分散している兵を除けば都城には二千ほどの兵力がある。


「わかった。三百ほど送るよう手配しよう。書類は今用意する」


「素早き判断、さすがは猛将であられたお館さまのご血筋でございます」


「世事はいい。軍需物資も適宜手配して早急に送るように」


「は」


 カインはセバスチャンが退室したあとこめかみを指先でぐりぐりと揉んだ。


 野盗の猖獗は今に始まったことではない。


 膨大な借金と事実上の政務の機能不全により、当然ながら領地の力は激減し、結果として他領から食い詰め者が我が物顔で押し入り、さらに農地や果樹園がひっきりなしに横領される。


 本来であれば軍の出動はできる限り控えて、生産管理に資金を注ぎたいところであったが治安の悪化がそれを許さなかった。


 カインは机の事務書類をザッと横に押しのけると、引き出しから名簿を引き出して眉間にシワを寄せた。


「カルリエにおいてもっとも悲惨なのは人材の払底だ」


 先々代レオポルドの時代には政務が苦手であった祖父を手助けする優秀な官吏がかなりいたらしいが、ちゃらんぽらんな父ニコラに代替わりした過程でほとんどが職を辞し、現在各地で奮闘する家臣たちは往事の二級、三級程度の者しかいない。


 ――細かく調べてみれば当時から敏腕で鳴らした人材はもはやセバスチャンくらいしか残っていないのか。


 カインの武器といえば、もはや若さくらいしか無いのだ。


(欲しい。美人メイドじゃなくて優秀な人材が欲しい。それこそ楽毅や諸葛孔明とまでいわなくてもそれなりの軍人や政治家が……)


 カインが適宜村々を回ると、それこそ屋敷にポコポコとメイドだけが集まり、今では百を超えていた。追加されたメイドたちはすでにいた愛人候補たちと違って、ただの使用人として雇用しているので、特に飛びぬけた給与は支払っていないが支出が微妙に増えているのは否めなかった。


(村人たちが娘をおれに託すのは口減らしという理由が大きい。それと、運がよければの玉の輿目当てか)


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