第21話「黒猫の恩返し」

「アンタふざけんじゃないわよ。ンな無法がここでホントに通ると思ってるの?」


 カインが声に振りかえると入り口の扉が爆音と共に吹っ飛ばされた。


 濛々と立ち込める粉塵の向こうからカツカツと床石を叩く固いヒールの音。


「な――あ、あなたサマは。なぜここに?」


 審議官の声に絶望の色が濃い。傍らに侍っていたメイドは羽扇を投げ捨てると、スカートの裾を摘んだままそそくさと逃げ去った。


 王都出身のカインも当然ながら、目の前に現れた女のことを知っていた。


 年齢は二十歳前後だろう。


 大きな魔女ハットにブルーのドレスを着た娘は、王都で知らぬ者がいない有名人。


 王宮魔道士のマリン・ルフェという上級貴族の筆頭であった。


 カインの実家のような元をたどれば錬金術士という怪しげな素性ではない。


 それこそ数百年間、代々王家に仕え親族でもあるルフェ家の権威たるや、いくら王国の法を執行し巨大な権力を貪る法律院の審議官といえど逆らうことはまず不可能であった。


「なぜここに? じゃない。アンタね。法を執行する側が堂々と賄賂をせがむんじゃないの。バカなの? 死ぬの? 死にたいの?」


「いや、しかしですな。これはいつものこと、というか我らも常に手元不如意なため、こうでもせねばやってゆけぬのですよ」


「えっらそーに。アンタはただ彼の献金が少なかったからそこの娘をオモチャ扱いしようとしているだけじゃない。こんなこと許されると思ってるの?」


「ぐっ。――い、いくらマリンさまが王宮魔道士にして禁軍百万の魔術師範であろうと我らが領分に口を出すのはお門違いというものですぞ」


「へぇー。あたしを知っててそういう口利くんだ。あ、そーう」


「脅しは通用しませんぞ。我らに直接命令できるのは司空であらせられるリシャールさまだけのはず」


「ふぅん。おとなしくしっぽを撒いてわんわんみたいにヘソ天すれば許してあげようと思ったのに。あたしが仕えているオクタヴィア王女は曲がったことが大嫌いなの。同時に汚職も大嫌い。特にアンタみたいに腐った豚みたいなマネをする阿呆は特にね。このことが王女さまのお耳に入れば、あとはあたしのやりたい放題し放題よ。リシャールを飛び越えて、アンタを罷免させることなんてワケないんだけど」


「ぴっ! そ、それだけはご勘弁を」


 審議官は壇上からすべるように階段を下りきるとマリンの足元に額をこすりつけて、必死に命乞いをした。


「汚い豚ね。そうやって立場の弱い者を今まで何人食い物にしてきたの?」


「ひ、ひひひ。そんな、人聞きの悪い。すべてマリンさまの仰せのままにいたしますう」


 マリンは尖ったヒールで審議官の顔をそうすることがあたりまえのようにギュッと踏みつけた。


「ノワール」


 マリンがそういうとどこからともなく黒猫が現れて四つん這いになっている審議官の顔面へと縦横無尽に爪を走らせた。


「ンぎいいいっ!」


 真っ赤な血をほとばしらせて審議官は絶叫しながら七転八倒する。


 黒猫はのたうち回る審議官の周りをひょいひょいと跳ねながら執拗に追撃する。


「やべ、やべっ。やべてぇえええっ!」


「ほらほら、ノワール。まだまだお仕置きが足りないわよ」


 審議官の絶叫に法律院の衛兵たちが一斉に駆けつけるが、襲っているのがマリンの黒猫だとわかると誰も手出しをすることができない。


 審議官の動きが鈍くなったところを見計らってマリンが手を叩くと黒猫はようやく満足したのか離れた。


(あの黒猫は! それにしても一体全体なにがどうなっているんだ?)


「はーい、えっとカインくんだっけ? どうもあたしのノワールがお世話になったようね。主人として礼をいわせてもらうわ」


「……道士さま。お初にお目にかかります。私はカイン・カルリエ。この度は危ういところを助けていただき」


「あー、そういうのいいから。ノワールから聞いてるわよ。こっちこそノワールが危険なところを命懸けで助けてくれたみたいじゃない」


「あ、ええと、そうですね」


 馬車に轢かれかけた黒猫は咄嗟の判断だったが、この場合は吉と出たようだ。


 カインは呼吸を整えると貴族の子息として恥ずかしくない容儀でマリンに向かって一礼をした。


「ノワールって、その黒猫のことですか」


「ええ、そうよ。この子はあたしの使い魔なの。どうにも素直じゃなくって、あなたに正面切ってお礼をいうのが照れ臭いみたいでつき纏っていたみたいだけど。ま、あまり気にしないであげて。本当はとってもあなたのこと気にいっちゃったみたいなの」


「はぁ……」


 ノワールはマリンの足元に身体を半分隠しながらそれでもカインに向かってカギ尻尾をフリフリ小さく振ってみせた。


 審議官は役人たちに抱きかかえられながら息も絶え絶えに部屋を出てゆく。


「ちょっと。アンタのは自業自得よ。もし彼に意趣返しをしようものなら、一族郎党を根絶やしにされる覚悟で来なさい」


 マリンは腰に自分の手を当てたままそういうと胸元から懐中時計を取り出し目を丸くした。


「いっけない。もうこんな時間じゃない。カインくん、また時間に余裕があるときにお食事でもしましょう。繰り返すようだけど、ノワールはあたしの娘みたいなものよ。なにかあったら王宮まで来なさいね。あたしにできることなら力になるわ!」


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