第20話「腐れ役人」
――どれほどの時間を待っただろうか。
カインが痺れを切らして膝をカタカタ鳴らし始めたと同時に入室の許可が下りた。
「護衛はここまでで。武器を帯びての入室は禁じられているでござる」
黒いローブを纏った役人にジェフは遮られ困ったような目でカインを見た。
「おまえはここで待っていろ」
役人にはカインに続くアイリーンに対してはなにもいわなかった。
メイドは問題ないと判断したのだろう。
(勿体付け過ぎなんだよ、クソ)
見た目は子供でも中身は老練なオッサンである。焦れた胸中など微塵も態度には表さず、あくまで恐れ入ったという体でカインは審議官たちとの面談に臨んだ。
異様なまでに天井が高い大部屋の中央に据えられた壇上に中年の男が顰め面で座っていた。
美食と運動不足で肥え太った男は一〇〇キロを超えているであろう。
垂れ下がった顔の皮膚はブルドッグを思わせた。
本日の天気は晴天。
晩秋にしては異様に暑いのか、審議官は頻りに汗を傍らに立たせたメイドに拭き取らせながら不機嫌そうに首筋をさすっていた。
審議官は入室して来たカインを舐め回すように上から下までじっくり眺めると、その重たげな口をようやく開いた。
「で、そなたがカルリエ家の嫡子であるカインであるか。此度はどのような用件でこの法律院に参った」
「は。今回はロムレス商業法第二十四条三項に基づいた寄付金に基づく減税についての」
「ああ、それはもうよい。書類申請を通すための根回しだろうが」
(自分で聞いたくせにコノ野郎)
「ワシは本日多忙でな。そなたがカルリエ公爵の子息であることはわかっておる。それよりもだ。なにがワシに捧げられる?」
審議官は露骨に賄賂を要求してきた。
――ロムレスの政治が腐りきっていたのは知っていたが。ここまでだとは。
「些少でありますが寄付をさせていただきたく存じます。日々国のために心血を注いで働く皆さま方の、ひいては法律院運営のために役立てていただければ、我が領民も満足でしょう」
アイリーンが盆に載せた砂金入りの袋をしずしずと壇上の審議官に運んで行く。領民を助けるために、わずかな貯えを吐き出す矛盾に苛立ちを感じずにいられないのか、アイリーンの脚運びは普段よりも乱雑だった。
「これはこれは。カイン殿は大層若いが世間というものを知っている。しかしだ。このていどの寄付では到底我ら多忙を極める法律院における業務の支えにはならんなぁ」
(この上さらに金を工面しろというのか)
なけなしの十万ポンドルを捻出するのは破綻しかかった屋敷では相当に難しかった。
「我らが法典の守護者が遊興――もとい勉強会に費やす資金に使えば三日ともたぬ」
「そう、仰せられても。さすがにそれ以上の金を用意するのは、少し」
「難しいと申すか。そうかそうか。ならば、チト、今回カイン殿が減税に関する書類を提出したとしても、通るかどうかは確約できぬなぁ。ワシも仲間に対する面目というものがあるのでなぁ」
(肥え太ったゴミ野郎が)
カインは胸中で審議官の腹に短剣を思うさま突き刺す自分の姿を思い浮かべて軽率な行動に出ることをなんとか思い止まった。
「我らが同胞と繰り出す場所は一流での。まあ、ワシが何人かの心安い仲間に勉強会の出席を取りやめにするよう伝えれば、このわずかな寄付金でもカイン殿の要求に応えることは無理ではないが。そのためには――みなを満足させる条件が必要でな。たとえば、たとえばの話であるが、そこなる娘を我らに貸し出すことを呑んでくれれば。あるいは」
審議官の瞳はアイリーンの身体を舐るようにジットリ上から下まで視姦していた。
貸出はイコール譲渡。
そのままアイリーンの身柄を審議官に引き渡すことを意味している。
つまり、彼女は豚どもの供物に捧げられた後、オモチャにされようが奴隷として売り払われて、その対価が目の前の男の懐に入ろうがカインとしては一切文句がいえないのだ。
このときカインは冷静に減税に関する申請書が通らなかった場合に商工ギルドをどのように説得して金を救出させるのか、脳裏の中で幾つもの方法をシミュレートしていた。
「カインさま。わたしがお役人さまのもとへゆけばすべて上手くゆくのですね」
「え?」
アイリーンは一歩進み出ると、ニッコリとカインに笑いかけた。
「カルリエを救えるのはカインさま以外におりません。どうぞ、わたしの故郷に住む人々をカインさまのお力で安んじてくださいませ」
「おおうっ。さすがはカイン殿の家人だ。話が早い。ならば、もはや申請は通ったも同然。カイン殿、あとはすべてワシに任せて屋敷で吉報を待つがよい」
審議官は壇上の机にだしんと両掌を打ちつけると、アイリーンに向かってもはやその欲望を隠さない視線をぶつけている。
カインの腸は鋭く尖った刃物を差し入れられたようにスッと冷えた。
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