第17話「膝枕」

 金だ。

 つまるところ金が必要なのだ。


「なければあるところからかっぱげばいい」


 屋敷にはない。

 領地の商人からも金は借り尽くしている。


「となればほかの場所から頂戴する、もとい調達する」


 あるところとはどこか――。


 カインの脳裏に浮かんだのは、離れてそれほども経っていない愛しの都だった。


 屋敷から離れた都城にいる大叔父リューイ公に頼めば、幾らかの金銭は融通してもらえるだろうが、領内に蔓延する宿痾のような飢餓に立ち向かうためには、その程度では足りない。


「セバスチャン。私はこれから夜を徹して書類を作成する。客が来たら適当に追い返せ」


「承知いたしました」


 カインは昼過ぎから書類作成に取りかかった。

 前後を顧みず猛然となって書面にかじりついた。


 無論、これは比喩的表現であって実際書面をガジガジとやったわけではない。


 ときどきゼンに命じて書庫から特定の法典を持ってこさせ、睨めっこを延々と続けた。


 眼で書類を喰らうが如く、少年にしては鬼気迫る表情である。


 ペン先で紙片に字を埋め込むようにして作業に没頭し、ある程度の時間が経過した。


「お入り」


 書類に文字を埋めながらカインは振り返りもせず、扉の外の人物に語りかけた。


「し、失礼します」


 おずおずとアイリーンが茶器と菓子を載せた台車を室内に運び込んで来る。


 室内に上等な茶葉の香気が漂って来る。


「気を遣ってもらって悪いが今は集中したいんだ。そいつを置いたら出て行ってくれ」


 集中したい。

 アイリーンに含むところがあるわけではない。


 カインは一旦やりかけたことを中断すると、再起動する際に多大なエネルギーが必要なことをわかっていたので止めたくなかったのだ。


「で、ですが」

「まだなにかあるのか」


「カインさまは根を詰めすぎです。そんなに書面を覗き込んでいると、お目を悪くしてしまいます」


「仕方ないだろ。コイツは超特急で仕上げなければならないのだ」


「わたしになにかできることはありませんか」

「気にせず休んでくれ」

「……はい」


 従順そうに見えてアイリーンはその場を動こうとしない。


「なにがしたいんだよ」


「わたしは、その、なにもできないかもしれませんが。ここでカインさまを応援させてください」


 健気ではあるがそれを汲んでやるほどカインは心に余裕がなかった。


 昼間見た農村の光景。


 あれらはほんの一部だろう。実際は目を背けたくなるような現実があちこちに転がっているはずだ。真実の飢餓を手をこまねいて直視できるほどカインは肝が太くなかった。


 つまりは作業も現実逃避でしかない。


 考えがないわけではないが、実際試してみてどううにもならないことだって現実にはいくらでもある。


「もう好きにしてくれ。静かにしててくれればそこにいていいから」


 それだけいうとカインは再び机に向き直ってペンを使って書面を埋めていった。





「ほわ?」


 気づけばカインはよだれを垂らして寝入っていた。


「い、いけね」


 起き上がろうとして後頭部がやけにふかふかしているのに気づいた。さらには、なにか甘いようなかぐわしい匂いがする。瞬きをしてそろそろと首を動かし視線を上げた。


 そこにはカインを膝枕しながら舟を漕ぐメイドの姿があった。


 カインはソファに横になりながらアイリーンの膝の上で眠っていたのだ。


(こ、これは……)


 頭にはアイリーンの冷たく小さな手が幼子をあやすように乗せられている。カインの頭は丁度アイリーンの太腿の上に置かれていた。


 よってカインがグリッと首を半回転させたことで丁度顔がアイリーンのお腹のあたりに向いたことにより、柔らかな少女のお腹に包まれた格好となった。


(や、やべぇ。これ……なんてプレイ?)


 背徳感とドキドキがないまぜになってカインは激しく混乱しながら、同時に深い安堵感に包まれていた。


 ――母親に抱かれているような安心感。


 実際、転生したカインのオッサン的精神年齢からすればアイリーンの歳は娘みたいなものだ。


 しかし彼女の膝枕&抱っこは異常なほどのあたたかみがあり、カインの起き上がる力をゼロにするほどの破壊力を内包していた。


(も、もうちょっとだけこうしていよう)


 ヤバい性癖が養われそうで自分がちょっぴり怖いカインであった。


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